7月25日(火)
SPH技術者育成で文科省指定…甲府工業
県立甲府工業高校(甲府市)が、県内で初めて文部科学省の「スーパー・プロフェッショナル・ハイスクール(SPH)」
に指定された。指定期間は2021年度までの5年間。
20日には、県教育委員会で、守屋守教育長から同校の手塚幸樹校長に指定書が手渡された。
SPHは、社会の第一線で活躍できる専門的職業人を育成するために、先進的な取り組みをしている専門高校などを文科省が
指定する制度で、2014年度に始まった。指定されると、文科省から補助金など財政支援が受けられる。指定期間は通常3
年だが、同校は20年度に専攻科を開設するため、5年間となった。同校は、企業での実習や専門家の講義などを通して、
地域産業を支える技術者を育成する。
また、県立甲府南高校(甲府市)と韮崎高校(韮崎市)、日川高校(山梨市)、巨摩高校(南アルプス市)、北杜市立甲陵高校は、
科学技術分野で活躍できる人材を育てる文科省の「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)」に継続して指定された。
このほか、SSHには、山梨英和高校(甲府市)が指定されている。
資料;読売新聞
7月24日(日)
大相撲 竜電勝ち越し決める
大相撲名古屋場所は15日目。
甲府市出身で西の十両8枚目の竜電は魁聖と対戦しました。
その結果竜電は寄り倒しで勝ち、これで9勝6敗となり来場所の優勝に望みをつないだ。
平成29年7月9日
創立100周年記念式典実施要項このページの先頭へ
平成29年7月3日
母校体育館壁面に「創立100周年」の看板が取り付けられました。 数野 均
平成29年7月3日
野球部のユニフォームが新調されました。。
お世話になっています。
野球部の新ユニフォームが完成しました。評判はよいです。
選手・指導者一同、喜んでいます。
同窓会事務局 数野 均
貴重な一枚の写真このページの先頭へ
甲府工業が夏の甲子園出場を初めて決めた昭和37年7月 埼玉県大宮球場での表彰式直後の写真です。
提供者;新井利夫(KM35)さん
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山梨県立甲府工業高等学校
同窓会事務局 数野 均
平成29年6月10日 このページの先頭へ
高校野球育成功労賞に原 初也さんが選ばれました。
高校野球の発展や選手の育成に貢献した指導者に日本高校野球連盟と朝日新聞社から贈られる「育成功労賞」に、甲府工の元監督原初也さん(71)が選ばれた。製作所を営みながら約25年間指導し、春夏合わせて8回甲子園に導いた。甲斐市出身。1964年に甲府工のエースとして春の甲子園に出場し、その後社会人野球でプレー。引退後の85年に母校の監督に就任した。1年目、監督人生を左右する出会いがあった。当時、甲府工は甲子園から遠ざかっていた。
入学してきたのは、後にドラフト1位でプロになる中込伸投手。中学時代から実力を知られていた中込さんを生活面から指導した。自宅に住まわせ、寝食をともにした。中込さんとともに87年、14年ぶりの甲子園出場を果たし、8強に。「あの出会いが、甲府工も、中込も、自分も変えた」と振り返る。その後自宅にプレハブを建て、寮として遠方から入学した部員らを住まわせた。約13年間続いた。
90年の夏の山梨大会決勝の東海大甲府戦が忘れられない。当時、81年から90年まで春夏合わせて甲子園出場10回という圧倒的強さを誇っていた。指導では「簡単なことを丁寧に」という信条を選手に徹底させた。誰が見てもアウトにできるプレーをミスしないかどうか。そこが勝負の分かれ目になる。その成果が発揮された。二つの併殺など内外野の好守が随所に出て失策は0。緊張感で心臓が張り裂けそうになった。東海大甲府を1点に抑え、17年ぶりの夏の甲子園出場を決めた。2010年夏の大会を最後に監督を退いたが、今も母校の練習や試合に顔を出す。「その時々の出会いがあったから自分の野球人生がある。体が動く限りはアドバイスをしていきたい」と話す。資料;朝日新聞
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平成29年5月14日
平成29年度高校総体 甲府工業は惜しくも準優勝
陸上・駅伝部 2点
バスケットボール部【ベスト8】 2点
ソフトテニス部 【準々決勝敗退】 1点
バレーボール部【準優勝以上】 5点
卓球部【準優勝】 5点
ハンドボール部 【ベスト8】 1点
相撲部 3点 ( 53年ぶり優勝)
バドミントン部【ベスト8】 0点
柔道部【男子団体3位】 2点
剣道部【ベスト8以上】 2点
テニス部【準優勝】 5点
空手部【ベスト4】 2点
新体操部 オープン 0点
弓道部【優勝】 7点
自転車部【表彰台独占】 3点
ボクシング部 0点
サッカー部 1点
ラグビー部 0点
山岳部 1点
最終42点
なお、優勝は日本航空高校
現代の名工に甲田紀文(こうたとしふみ)さん選ばれた。甲府工業34年度機械科卒。
卓越した技能を持ち、その道の第一人者とされる「現代の名工」の受賞者が20日、厚生労働省から発表された。山梨県内からは、建築板金工の甲田紀文さん(75)(中央市布施,旧田富町)が選ばれ、表彰式は21日、東京都港区の明治記念館で行われた。
建物を建てる時に使う板金作りの道に入り、57年間、現場一筋に働き続けてきた。丁寧な切断と溶接で、板金を繊細に仕上げる技術は、ほかの職人の追随を許さない。高い技術を生かして、県庁や中学・高校など、県内の数多くの建物の板金を手掛けてきた。「裏方として仕事をしてきたので、受賞で光を当ててもらえたことが本当にうれしい」と表情をほころばせる。
3歳の時、建築板金工だった父、文衛さんが出征し、戦死した。母、多け子さんが「手に職をつけたほうがいいので、お父さんと同じ仕事をしたほうがいいよ」と口癖のように話していたことや、「亡くなった父とのつながりを持ちたい」と思い続けていたことから、甲府工業高校に進学した。母子家庭で苦労も多かったため、「受賞を一番喜んでくれているのは両親かもしれない」と目を細める。
卒業後は、建築板金工としての修業を経て、25歳の時に「甲田板金工業」を設立。甲府工業高の校長から教わった「技術者になる前に人間となれ」という言葉を座右の銘にして、どの顧客とも公平に付き合い、教えを請われると助言を惜しまなかった。
難しい依頼でも、「できないと言うのは悔しいから」と、情熱を燃やして取り組んだ。ある社員寮の仕事では、板金の角を、すべて手作業で丸める必要があった。食事時間も惜しんで実験したり、角を変形させないための溶接の温度を考え続けたりして、やっと納得できる板金を仕上げたことも。「その時はつらかったけど、かえって記憶に残っています」と振り返る。
設立した甲田板金工業は10年前、長男・武治さん(43)に引き継いだ。これからも、自分にできることがある限り、社会に貢献していきたい」と、言葉に力を込めた。資料&写真;読売新聞
甲工生OBの誇りです。おめでとうございます。
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平成28年8月10日
「明秀日立バロン杯」開催。出場校 甲府工業 学法石川 宇都宮短大 明秀日立
明
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平成27年8月9日
明秀日立の人工芝サッカーグランドに行き「明秀日立バロン杯」を見てきました。
私が到着した時には既に甲府工業と明秀日立の選手がグランドでウオーミングアップしていました。
今日は木本兄弟の昔からのサッカー部OBの仲間達が甲府より馳せ参じての応援で盛り上がりました。
朝5時に甲府を発ち10時にはグランドに到着、「甲府よりこっちの方が涼しいじゃん」と云っていました。
白のジャジーが甲府工業、ブルーが明秀日立、いよいよ10:30キックオッフです。
試合が始まって間もなくいきなりカウターパンチを食らったようなシュートで簡単に点を取られてしまいました。
明秀日立はさすが先週までインタハイで戦ってきた強者。
玉裁きのうまさが目に尽きました。
その後甲府工業も本来の試合に戻ってきて膠着状態が続き、随所に攻撃が出てきてほとんど見劣りしない試合がしばらく続きました。
しかし終わってみれば0-3で敗戦。
明秀日立のホームグランドでもあったし、甲府工業はよく頑張りました。
ところで私はサッカーの試合はテレビで見るくらいでしたが、今回はまじかで3試合観戦しました。
その結果サッカーのすさまじいさと、すごさを改めて知りました。
体と体を張ってのプレー、迫力がすごかったです。
良く怪我しないなーと感心すらしました。
また何といっても監督さんやコーチからでる大きな声は初めてそばで聞きました。
次から次へとひっきりなしに出てくる各選手への叱咤激励にはビックリしました。
またその指示に即応する選手も凄いですね。
今日も応援に行き新しい何かを発見してきたいと思います。
試合は12:30、学法石川と対戦です。
どちらもアウエイですので期待できます。
とは云え福島では最古の伝統校、中高一貫校のマンモス校あなどれません。
甲府工業サッカーOB会の皆様方と。
サッカー部とOB会の記念写真 高萩市石滝グランドにて。この後生徒たちは海岸に泳ぎにいきました。
出場校 甲府工業 上田西 学法石川 明秀日立
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