甲州人国記  “若アユと突貫小僧” ⑲   昭和58年            令和4年3月7日     村上博靱
水温二十八度。甲府スイミングクラブのプールで、英和高三年輿水秀香の十八歳の体が、水に
溶け、水を切る。「水に入ると魚になったような感じです」。

強化合宿の時は一日二万メートル、学校のある日は七千メートル。168センチ、六十二キロ。
山口百恵と薬師丸ひろ子のフアンという色白の少女は、ひたすら泳ぐ。
山国の少女が昨年夏、四百メートル個人メドレーで4分58秒98の記録を出し、日本女性として
初めて5分の壁を破った時、「ヒデカがんばった」と甲府はわいた。

昨秋のアジア大会では、5分2秒台の記録で一位。今春、英和短大国文科へ進む秀香はロサンゼルス・オリンピックの時は
二十歳になる。
『謀殺・下山事件』の著書がある元朝日新聞記者、富士見育ちの矢田喜美雄(70)が、早稲田時代、走り
高跳び五位に入賞したベルリン・オリンピックから、もう半年近い。

社会部記者として、体当たりで戦後の暗黒史に挑んだ矢田は、モノ書きとして健在だ。
秀香のコーチ古屋哲男は、世界選抜の名ウイング、ラグビーの藤原優(29)を育てた日川高でラグビーを
した。「水泳は専門家じゃないけど、ラグビーの鍛え方と同じ基礎訓練をします。秀香はついてきますよ」
と古屋。

一宮町育ちで早稲田ラグビーの黄金時代を築いた藤原は、いま丸紅自動車第一部の商社員。「日川高には
いい選手がいるのに、全国決勝まで進出できず残念です」。

秀香はカラっ風を突いて、毎日九キロの道を自転車でプールに通う。小さな子の面倒をよくみるお姉さんだ。
秀香が山国の若アユなら、佐野稔(27)は精進湖が生んだ氷上の曲芸師。「父に連れられ、小学校一、二年のころから自然
結氷の湖で滑りました」。
日大時代、東京でのフィギュア世界選手権で、見事な三回転ジャンプをこなし自由演技では最高得点。日本初のメダル
(銅)を獲得したのは五十二年春だった。「自分の持っているものを出し切った満足感で泣けました」。

その後はプロスケター。チームで氷上ショーを展開する。
佐野は石和町の旅館の末っ子。小学校五年の時から親元を離れ、川崎市へスケート留学した。「一日八
時間の練習というスパルタ教育ですからね。くたくたになって、さびしいなんて感情はわからなかた」。
今も一日三時間の夜間練習は欠かさない。
クールなさわやかさを買われて、テレビニュースのスポーツキャスターや歌謡番組の司会も。「上っつら
だけ、なでるようなスポーツ報道はしたくない、選手のほんとの姿を伝えたい、と心掛けてるんですが、
時間的な制約で難しい。ボク実は、感激屋なんです」
富士桜栄男(35。「突貫小僧」といわれた大相撲の突進男は、この三月、初土俵以来満二十年の場所を迎える。まさに
根性相撲で、通算連続出場千六十五回は史上第一位の記録である。幕内出場も千五回を数えた。
「体がちっちゃいですからね。いつもけいこをやってなきゃあ勝てない。甲府の先輩の富士錦関、いまの尾上親方には、マワシを取る相撲をするとこっぴどく怒られた」。

長男の富士桜は、甲府の農家の跡取り息子。「百姓がイヤで。新弟子検査の時は、水を飲んでメシを食って七十二キロ体重
を七十五キロに増やした」。

夫人の息子、娘の住む自宅から高砂部屋へ自転車で通うのも、精進のうちだ。「車なんか持ってないす」。故郷へは電車で
帰る。

「いくつまで相撲をとるなんてまったく考えてなんかいない。ただ、押せなくなったら終わりで」。

「升々酒」の酒豪も、「今は、翌日残るから、ふだんは家でビールの子びん二、三本」と節約する日が続く。