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2024年4月7日
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竹輝飯店と寒山寺  松井昌美(A34)

2月18日の「つれづれに3」を見ました。木本さんとのゴルフ場の写真お元気そうですね。
少しずつ体重が増えると良いですね。
文中に木本さんの息子さんが「蘇州に帰る」とありましたので思い出したのです。

58歳の頃に大和の陶芸教室の方々9名と〈陶芸の街と中秋の中国の旅〉と称して上海から蘇州・無錫へ行きました。
蘇州では寒山寺・虎丘・世界遺産の拙政園や船に乗って東洋のベニスと言われる水郷巡りをしました。
ホテルは竹輝飯店に泊まり売店でチャイナ服を2枚買いました。そんな事が懐かしく思い出されました。
今の蘇州は変わったでしょうか。

今日はこちらは雨が降っています。春はまだ遠いみたいです。
〈あおぐ錦城〉楽しみに見ていますよ。
お元気で長く続けて下さいね。








2024年1月11日 後輩たちの活躍    
報告;木本土八(E39)

日本サッカー協会100周年功労表彰を受賞

伊藤 清春さん(M39)

「踏むな 育てよ 水注げ」
 ○…新設の公立校を全国大会に11度導き、高体連の専門部長として競技運営にも尽力するなどの活動が、サッカー界の普及発展を称える今回の日本サッカー協会100周年表彰につながった。公立高校の校長を歴任するなど、教育界での貢献が評価されて昨年受章した春の叙勲(瑞宝小綬章)に続いての慶事。「うれしいですね」と思わず顔をほころばせる。

 ○…山梨県生まれ。外国文化漂う文化都市ヨコハマに憧れて、神奈川県の教員を目指した。初任地は川崎技術高校の定時制。サッカー部の顧問となり、2年目で県定時制通信制大会で優勝。自らの指導に自信を深めていく中、1974年に当時開校2年目だった旭高校の顧問に就任。これが「旭トータルサッカー」伝説の始まりだった。

 ○…「知・徳・体のバランスが取れたトータル人間」「技術・戦術・体力・知識を備えたトータル選手」「一人ひとりに居場所があるトータルチーム」。練習場所もままならない頃からこの3つを「旭トータルサッカー」として部員たちに説いた。「踏むな、育てよ、水注げ」の精神で目指すべきイメージを各々に持たせ、才能を開花させる指導を心がけた18年。その結果全国で活躍するチームを作り上げ、Jリーグやなでしこリーグの監督を務めた菅野将晃さん、浦和レッズの黄金期にGMだった中村修三さんなど、のちに日本サッカー界で活躍する人材を育て上げた。

 ○…8年前から泉区サッカー連盟会長を務める。74歳の今も、深夜に衛星放送で欧州サッカーを見るのはもちろん、教え子たちとフットサルにも興じる。「ゴールが入った時の、頭のてっぺんから背中にかけて衝撃が身体を駆け巡る感覚。これは辞められないね」と笑顔を見せた。



2023年12月19日 後輩たちの活躍   
報告;村上博靱(E33
)

資料 山梨県人会連合会

 『茨城同窓会便り』                甲府工業茨城同窓会長    村上博靱(E3
  本日ここに令和5年度甲府工業高等学校同窓会総会・懇親会がここ甲府市で盛大に開催されます事心よりお慶び申し上げます。
茨城同窓会も発足して16年になりました。現在同窓会員は143名であります。
また平均年齢も75歳と高齢化が進み、若者が少ない茨城同窓会の将来は決して明るいものではありません。
なにしろ37年間も卒業生が茨城には一人も就職していませんからしかたないですね。
さて茨城同窓会は昨年12月3日(土)に3年ぶりに同窓会・懇親会を開催いたしました。
来賓の方々も甲府、東京、神奈川から9名お越しいただき、飲食を伴っての開催、皆さん会話に花が咲き有意義な時間を過ごすことが出来ました。
また今回資料の中に茨城同窓会員の消息を丹念に調べ冊子にまとめました。
結構調査の時間はかかりましたが、皆様方の関心が高く寄せられ作って良かったと思っています。
さて昨年度の活動内容を紹介します。
①「ゴルフコンペ月例会」を毎月続け既に190回開催しました。
学校の話題やふるさとの話など語り合える場所として、ゴルフは情報交換の絶好の場所です。
②真夏の炎天下の3日間、毎年茨城で行われる「明秀日立バロンカップ」サッカーの応援です。
甲府工業の選手たちが他県の強豪高校と真っ向勝負する姿を間地かに見て感動致します。
真夏なので応援者は少ないですが、トランペット演奏で校歌を歌いだすと生徒たちも元気がでるようです。
?毎年行われる高校野球の応援です。
コロナ禍でYBS山日球場には行けませんが、ネットを介して応援をしています。
昨年は決勝戦で惜しくも負けましたが、夢を与えてくれた関係者の皆さんに感謝しています。
④甲府工業卒業生の大学野球を応援しました。
特に東京国際大学の舟久保秀稔選手や駿河台大学の風間球星選手です。
二人は既に卒業して新しい職場で頑張っています。
舟久保選手はノンプロ「ヤマハ」に所属、風間選手はプロの独立リーグ「日本海オセアンリーグ」に所属しています。
皆さんもぜひ応援して下さい。
なお他の選手の情報がありません。誰か教えてくれませんか。
上記活動内容は毎日更新しているHP「あおぐ錦城」やblog「ちょっくらよっていけし」に掲載していますのでご覧ください。
令和4年度もオフイスバロンの木本貴一様(M41)から、同窓会の活動資金として3万円を。
また日立市の(株)W-TWM社長の渡辺孝明様(E39)が同級生の木本土八様(E39)を通じて2万円。
神奈川県の松井昌美様(A34)から2万円。
日立市の渡辺 孝様(E36)から1万円をそれぞれ寄付頂きました。
ありがとうございました。
最後に皆様方のご健勝とご多幸をお祈り申し上げると共に、甲府工業高校の発展を心より祈念しご挨拶と致します。


2024年2月
2023年11月12日   故郷訪問    報告; 木本土八(E39)

こんばんは、11月6日~8日の3日間山梨に行きました。
7日8日は恒例の女房兄弟姉妹旅行でした。
今回は甲府工業先輩の義兄(小野勝 E31)は体調がすぐれず不参加でした。
5組の家族8名での旅行になりました。
高齢者もいるので近場ということで忍野八海散策をメインの行程です。
初日は実家前までバスに来てもらい、韮崎と甲府駅で乗せて全員揃い出発です。
忍野八海に着いてから昼食は1時間並ばないと食べれないとのことで、ネットで探した下吉田の店を予約してバスの中から携帯で品目と着く時間を知らせ、すんなり食べられました。
それから忍野八海を散策して(外人ばかりで混雑)山中湖に向かい河口湖の紅葉街道を見ながら石和温泉の慶山に宿泊しました。
2日目は善光寺と山梨県立美術館を回り実家のお墓参りをして(ここまで観光バス)、実家にて皆で昼食をとりながら話も弾み散会しました。
帰りは14時に出て渋滞もなく日立に18時に帰って来ました。
参加した者は88歳から73歳でしたが比較的元気でした、面倒を見ながらですが楽しく旅行が出来ました。




















息子たちとゴルフ   報告;木本土八(E39)

2023年10月6日 今日は息子が中国から国慶節で休みを利用して帰国していたので、横浜から甥っ子を呼んでゴルフをしました。
以前も3人でやりましたが冬の寒い時期でした、やっと秋らしい良い気候になり、和気あいあいとプレーを楽し   むことができました。
2023年10月4日  息子と小旅行  報告;木本土八(E39)

中国から一時帰国の息子が温泉旅行に招待してくれました。
いわき市湯本の旅館で温泉と美味しい料理を楽しみました。
二日目は塩屋岬から小名浜で水産物を購入し五浦の岡倉天心六角堂をみて早めに帰宅しました。
中身の濃い一泊二日の旅行でしたが、久々息子と3人で楽しみました。


2023年9月14日  日立市の水害  報告;木本土八(E39)

昨日の豪雨の爪痕いつもの散歩コースで池のある所に通行止めが、車は入れないが様子を見に行ってみた。
水路トンネルが崩落してました。
旧国道近くの邸宅、裏から浸水して出入り門から流れ出てました。
我が家の下の小川が氾濫して写真の橋の上まで増水、左側の家は浸水しました。
夕方の今も泥をかきだし作業をしてます。
上空にはヘリコプターが朝から飛んでました。
自然災害の恐ろしさをあらためて感じた今回の豪雨でした。















からの投稿を募集しています。下記のアドレスから送って下さい。
murakami3@bea.hi-ho.ne.jp 





後輩たちの活躍    報告;松井昌美(A34)

2023年8月16日
今回のお盆休みは息子と横浜山下公園のホテルニュウグランドに泊まりました。
ホテル思い出のこのホテルに来ると心が癒されて和む場所で大好きです。

ホテルのロビーにて


ホテルの中庭


9階から見えるマリンタワー


ベイブリッジ


氷川丸


ホテル内 横山剣の手記



後輩たちの活躍
    報告;松井昌美(A34)

2023年7月27日

甲府工同窓会の皆様へ

今、20時38分トヨタ自動車4対2ヤマハの決勝戦が終了しました。
良い試合でした。
18日から25日のこの8日間、私は熱く燃えた日々でした。
社会人野球を見たことなどありませんでしたが、後輩ヤマハの舟久保秀稔君のおかげで、暑さもなんのそので過ごしました。
舟久保君可愛いね。
又秋の試合を楽しみに生きる目標を見つけた事を報告します。
有難うございました。

2023年7月25日 松井昌美(A34)







後輩たちの活躍    報告;松井昌美(A34)

2023722日  


社会人野球日本一を決める第94回都市対抗野球大会が開幕しました。
待ちに待った718日ヤマハ(浜松市)の新人で後輩の舟久保秀稔君(TH30)の応援に東京ドームに馳せ参じました。
20分前に着き入場券・タオル・名簿・新聞をいただき、24番ゲートから入りました。
時間は瞬く間に過ぎて試合開始。
丁度三塁側の外野席でしたので、舟久保君の元気な姿が目の前で見る事が出来ました。
その姿は全身から野球を楽しんでいるような、若さが溢れていました。
ヤマハの応援団もチアガール・これも又賑やかで気合が入って元気いっぱいでした。
これは社会人野球ならではの雰囲気ですね。
私も呑み込まれて日常を忘れて楽しかった!
応援には先生に引率されて高校生達が続々と観戦に来ていました。
この試合を見て又舟久保君のような選手が出て来るのではないかしら?なんて思ったりしました。
試合は日本製鉄37ヤマハ、ヤマハが勝利しました。
おめでとう!
次回は72318:00時からの予定です。暑い!熱い!一日でした。

2023
718日松井昌美 記 











後輩たちの活躍    報告;木本土八(E39)

2023年7月12日

中学の同級生から投稿がありましたので転送でご紹介致しす。 木本土八



「こんにちは。今日、南アルプス市芦安山岳館に行って来ました。
大草町出身の秋山樹好先生の文庫の中に牧野冨太郎博士の蔵書が数冊ありました。
博士と親交があったようです。朝ドラ見てますか?」












後輩たちの活躍    報告;松井昌美(A34)

2023年6月16日

5月25日の〈お茶でも飲んでけし〉を見て、 最近〈あおぐ錦城〉に舟久保秀稔さんのテロップが流れていて気になります。

そして舟久保さんの頁は楽しみに見ています。

私にとっては孫のような存在で、可愛い後輩でもありますので、最近は野球の試合結果が気になります。

村上さんは7年前から応援しているそうですが、今日の舟久保さんの才能を発掘したのですね。

今春〈ヤマハ〉にスカウトされ、ルーキー活躍されて、今回都市対抗で東京ドームで試合がある。

との事ですので、私は足を運んで甲府工の先輩として応援に行こうと思います。

在校生の応援もさることながら、卒業生で活躍している舟久保さんを応援してみたくなりました。

村上さんの「ひとつよろしく」に応えましょう。

首都圏在住同窓生の元気な方々、後輩の応援に行きませんか。

松井昌美(A34
)


今朝の大和・境川の紫陽花(1)


今朝の大和・境川の紫陽花(2)





後輩たちの活躍    報告;松井昌美(A34)



5月30日

Mr.Syoji  先日は忙しい所を東京でお付き合いをして頂き有難うございました。

二人で歩くのは伊豆以来の5年振り位かしら。

まさか私が日本橋界隈を案内されるとは。

今はMr.Syojiの方が詳しくなってしまった。   

水天宮から人形町通りを歩き、堀留町を横切り新日本橋駅近くの昔の勤務先のビルを一廻りして、懐かしい大江戸のうなぎ、仙八鮨、蕎麦屋

を見て何故が納得して、三越までブラブラと歩き、三越からメトロで渋谷へ出て相鉄線直通の電車で大和駅迄の小さな旅でした。

東京は昔のままでひっそりと生活している所もあれば、超新しいビルが建ち並んで忙しく人々が往来している所もあれば、様々な風景が歩けば

見られますね。

そして新しい発見もあり楽しかったですよ。又こんな機会が欲しいです。お世話になりありがとうございました。感謝です。from  Masami  

5月30日 Mr.Syoji 撮影






  田原さん


 優勝おめでとうございました! 


 次回 喜びのお話を聞かせてください。


 私は・・日立シニア会ゴルフ:A組、B組 再編初回の合同競技会、18組の大会でした。


 結果はG97―H22=N75(+3)にて、久方ぶりに8位入賞でした。


 これを機会にまた楽しくゴルフができそうです。


 今後共よろしくお願いします。
                    2023,5,27   広瀬英貴





投稿;村上博靱(E33)

2023,5,25

今年は都市対抗野球に感心があります。

何故なら後輩の舟久保秀稔選手がヤマハに入社して直ぐにスタメン出場するからです。

私は7年前から、ある縁で高校野球山梨県大会から彼を応援するようになりました。

彼が出場する試合は、小瀬球場に毎週足を運んでいました。

甲府工業の1番打者、ショートを守り野球のセンスに魅力を感じていた。

打つ、盗塁、とにかく足が早いので相手のミスを誘い、そして野武士のように暴れまくる。

その後東京国際大学卒業、今年卒業してノンプロ「ヤマハ」にスカウトされました。

あれから7年経ち、念願の大舞台、東京ドームでの試合に出場出来るように成長。

努力の結晶と云っても過言ではありません。


私事ではありますが私は1年前 2か所のガン手術を行ないました。

胃ガンは全摘、横行結腸は部分摘出、一年経っても後遺症は続いています。

よって以前のように球場に足を運び応援することはちょっと無理ですが

他の方法で出来る限り舟久保選手を応援して「ヤマハの日本一」を夢見ています。

同窓生の皆様もひとつよろしくお願い申しあげます。

村上博靱(E33)






  報告;村上博靱(E33)

2023年5月19日

明治の頃大月駒橋発電所建設工事で日立製作所創業者;小平浪平氏が宿泊した「猿橋の大黒屋旅館」猿橋の脇に存在しま
す。
このような事から、昔から日立と猿橋駒橋発電所は深い関係がありました。
今でも日立工場特称会がたびたび訪れて、小平浪平氏の思いを共有しています。
現在では東京電力駒橋発電所は、山梨県に存在する全ての発変電所のコントロールセンタになっている。

写真は建て替えられた大黒屋旅館(猿橋のたもと)小平浪平氏はここに宿泊して、駒橋発電所建設所長に携わっていた。


猿橋


駒橋発電所建設当時の水車(スイスのエッセンシャル社)が展示されている。


駒橋水力発電所。当時は6本の水管があったが現在は2本しかない。


小平浪平氏はここでの仕事のあと日本も発変電設備を国産化しなければと思い、日立鉱山に入り先ず5馬力モータの製作に着手した。


 おみゆきさん  投稿  村上博靱(E33)


4月15日、「おみゆきさん」の愛称で親しまれる笛吹市一宮町の浅間神社の大神幸祭が開かれ、氏子らが神輿を担ぎ水防を祈願した。
「おみゆきさん」は、釜無川の氾濫防止を願う浅間神社の例大祭で、その歴史は約1200年前の平安時代から続く伝統行事だ。
神社の氏子の男性が白塗りの女装姿となり、700キロある神輿を担ぎ「ソコダイ、ソコダイ」と威勢のいい掛け声とともに神社や甲斐市の信玄堤を練り歩いた。

また、信玄堤では、神職らが土手から清めた小石を釜無川の河原に投げ、水防を祈願する川除祭も行われた。
小さい時親父に連れられて毎年行っていたこと思い出した。良きお祭りこれからも長く続いてほしいと思った。




    







    




2023年4月2日 

センバツ高校野球で母校の山梨学院が全国優勝して夢のようです。村上聖佳





2023年3月29日        投稿;木本土八(E39)

こんにちは、実は女房の実家 長男(90歳)が亡くなり27.28日と山梨に行って来ました。

韮崎駅で横浜の妹夫婦を迎えて実家に向かいました。

写真は韮崎駅と甘利山 次は甲斐駒ヶ岳、穴観音上の平和観音です、曇りで今回も富士山は拝 めませんでした。 



    












投稿; 松井昌美(A34) 2023年3月21日記

 新宿西口は副都心から今は新宿新都心と呼ばれています。                                                                                                                
1960年前後に、淀橋浄水場の後ろに在った小西六写真工業()へ仕事で何回か行った事がありました。                                                        
近くには十二社温泉もあり
(当時東京にも温泉があるんだ、なんて思いましたが。)入ったような記憶が在ります。                                             
あの辺りの思い出をたどりたくなり行ってきました。                                                                                                                               

今、西口駅前は変わりつつあり、小田急百貨店本店の解体が始まっています。まん前に在った安田生命のビルは無くなってしまいました。           
まず新宿住友ビルの三角広場に旧淀橋浄水場で使われた巨大なバルブ「蝶型弁」を見に行きました。誰も立ち止まる人はいませんでした。        
広場の床面積は道路から
7m下、ほぼ浄水場の底に当たるそうです。                                                                                                     
地下新宿西口広場から都心方面へ続く、地上と地下の
2層をたくみに使い分けた、新都心の全体構造が、巨大な池が並んだ浄水場に由来す

る事を物語っているそうです。新宿中央公園をぐるりと一周
14500歩きました。後はスケッチで出します。                                                         
独身の時から通っている醤油味で叉焼の美味しいラーメン屋で一休み。                                                                                                
「冬晴れや昔の想いたどりたく」  

 
    



投稿; 
松井昌美(A34) 2023年3月12日記


今朝の天声人語に元中学教諭の武勝美さんの記事が出ていました。

毎月手作り新聞をを発行して来て全国で244人の購読者がいるそうです。

何気ない日常や教え子達との事を書き続けて先月400号に達した。

「継続は惰性なり。できるところまで続けます」と。

この記事を読んで、私は村上会長の「ちょっくらよっていけし」が重なりました。

何でも独学でHPを起こしたと聞いています。

そして毎日休むことなく15年以上も続いているとのこと。

その間には大きな病気で入退院を繰り返しているそうです。

今朝のカウンターは347760という数字が出ています。

多くのファンがいるのですね。

凄い事をしている方だと改めて感じました。

これからも続く事を願って、陰ながら応援させて下さい。




            投稿;木本土八(E39)

韮崎市立甘利中睦会同級生各位


同級会開催のご案内 

新年を迎え皆様にはご健勝にてお過ごしのことと存じます。
ウイズコロナの世の中ですが卒業から60年余過ぎました。
皆様と喜寿を迎える年に同級会開催を企画致しましたのでご案内申し上げます。


期日 令和5年3月12日(日)~13日(月)

場所 ホテル 喜仙 石和町川中島482

電話番号 055-262-2404

時間 午後5時~7時(山梨県からの要請時間)
(二次会会場を用意いたします)

会費 当日受付にて、共に写真代等諸経費込 。
宿泊で参加  19,000円
日帰りで参加 10,000円

甘利中睦会会長 田原一孝 
今年度幹事   木本土八
                                                                




           村上博靱(E33)2022
年11月9日

全国の中学校の修学旅行の行き先を調べた調査で、昨年度、山梨県が全国で3番目に多かったことが分かった。

修学旅行の調査や研究を行う「日本修学旅行協会」は、毎年度、全国の中学校を対象に修学旅行の行き先などを調べている。

昨年度は、1万校余りからおよそ3000校を抽出して調査を行い、1046校から回答を得た。

このうち、修学旅行の行き先についての回答数は776件で、5.9%にあたる46件が山梨県を訪れていて、京都府、奈良県についで全国で
3番目に多くなった。



要因について、日本修学旅行協会は「これまで人気だった東京で新型コロナウイルスの感染者が多かったことから、中京圏の学校が新幹線からバスに切り替えて山梨県を訪れたほか、関西圏に行くことが多い関東周辺の県でも東京を経由することを避けてバスで近場の山梨県に訪れたのではないか」と分析している。
2021年11月15日



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投稿;村上博靱(E33)

甲府工業33年度卒電気科2組クラス会報告   幹事 村上博靱


 平成13年5月27日~28日 茨城県大洗海岸・大洗ホテル於
開催
    出席者(28名)
      奥田先生
      芦沢正志  網倉聖紀  飯島正雄  石川 信   石田直哉
   長田 要  落合 隆  萱沼紀久夫 小池辰樹 小林一彦
   齋藤 剛   柴田敏男  島津勝董   新谷 隆
   保坂 弘  天川蜃也   名取久俊   服田尚隆
   原田秋雄  平山袈裟雄  藤原賢次  松木征伍
   松土彰男  村上博靱  八巻弘倫    山田辰雄 渡辺興一


2009年
  
甲府へ行きました。

母校の野球愛するあまり後先を考えず1回戦を応援する為、16日早朝甲府へ行きました。
案の定雨が心配され、八王子あたりを走行中数野局長から「今日の試合は18日に延期になった」とのメールが入ってきた。
引き返すかどうか一瞬考えたが、折角ここまで来たのだからと思いそのまま甲府に向かいました。
ところが、中央道が「大月―勝沼間が通行止」の電光標識が出ているではありませんか。
これはヤバイと思い、すぐ相模湖ICで降り国道20号で行くことにしました。
ところが20号もいたるところでものすごい雨に見舞われて、道路の冠水っがあっちこっちにあり、水しぶきの激しさでエンジンが止まるのではないかとびくびくもんでした。

笹子トンネルを抜けると、雨も止み勝沼から見る甲府盆地は平穏の空になっていて安心しました。
更に甲府市内に入ったら天気も良く、まず中村同窓会長の家を訪ねました。
20号線から良く見えてわかりやすいところにあり、自前の4階建てマンションに1階は会社の事務所、4階に自宅があります。
幸い会長もいたのでいろんな話を伺いながら時を過ごしました。
かれこれ2時間はいたでしょうか。
話は甲府工業野球部に賭ける夢と期待、その話しに終始しました。
その為には援助の手を差し伸べることも惜しまないとの信念がひしひしと感じました。
いままでとは違った「甲府工業野球部」を育てようとする想いが、甲府在住同窓会の仲間たちの間に広がって100周年記念までには甲子園へ行くんだと会長の意気込みを垣間見ました。

午後5時頃になってテレビでニュースをで見ていたら、山梨県の雨がだんだん激しくなると報じていたので、泊まらず早めに茨城に帰ることに決めました。
いやな予感が当たりました。
夜7時ごろから雨足が強くなり20号線が上野原付近で通行止めになりました。
中央道も混むだろうと思い早々に乗って帰途に着きました。
朝早かったせいか急に眠気がして来たので、「談合坂」で仮眠をとることにしました。
かれこれ1時間くらい経ったとき、構内放送で「間もなく台風の為中央道が通行止になります。お休みの方々はお早めに出発して下さい」とのアナウスにビックリして早々に引き揚げました。
今まで他人事のように思っていた20号と中央道の通行止めは大変な事です。
その前にいわば脱出できただけでもツイていました。

台風は四国だというのに余波の影響で大雨が続き、台風が来ることは百も承知だったのに、発作的に行ってしまった今回の甲府行き。
結局トンボ帰りになってしまいましたが、野球の応援が出来なかったことが残念でした。
その代わり会長と親しくお話を聞かせて頂いたことは、今後の同窓会活動にヤル気をもらい有益になると思いました。

結局深夜1時頃自宅にたどり着きました。
目もしょぼしょぼしながらテレビを見たら、身延町に崖崩れの恐れがあると報じていました。
ああやっぱり山梨は雨がすごかったんだと改めて思いました。
走行距離は565Kmこの歳にしてはいささか強行軍で今でも疲れが取れません・・・。

 あ3 20号線。寄って見ました。「笹子トンネルを抜けると道の駅だった」。

あ7 山梨育ちでないと読めませんね。はじかのどうもん。

あ2 南アルプスではありません。

あ4 小瀬公園の時計塔、嵐の前の静けさ不気味な空でした。













伝統校で初の女子生徒会長、後ろ指をさされても、臆せず。斉藤由姫さん(AH25)

 女子の生徒会長は、男子生徒が圧倒的に多い工業高校でも誕生している。芝浦工業大学建築工学科4年の斉藤由姫さん(21)は、高2の秋から1年間、山梨県立甲府工業高校で生徒会長を務めた。1917年創立の同校で、女子の会長は初めてだつた。
小5の時、自宅のリフォームで、女性建築士の仕事ぶりを見たのがきつかけで、 工業高校に進学した。工業高校への進学に、両親や中学の先生は当初「普通高校に行つてから進路を考えればいいのではJと難色を示したが、建築を学びたいという思いは強かつた。
 高校は1学年280人で、女子生徒は全体の5~ 6パーセントほど(在校当時)。機械や土木などクラスの中で、女子の割合が最多だった建築のクラスでも、女子は40人中5人という「男社会」だつた。
小中学校時代 は内弁慶だったが、学校公開で案内してくれた生徒会の先輩に憧れ、1年生で実行委員に。同学年が数人しかおらず、2年生の時、推されて会長になつた。
「女子がトップに立つなんておかしい」。そんな声が、OBなどから学校にいくつか寄せられていたのを知ったのは、卒業してからだ。3年生の夏、甲子園の出場 経験が何度もある野球部が、夏の県大会で30年ぶりに初戦敗退。「生徒会長が女子だからだ」。そう言われた時は、さすがに関係ないでしょうと思ったが、「トップに立てば、何かといろいろ言われるのは仕方ないことかな、と思った」と振り返る。
 大学では、大学生協の活動で150人規模の学内組織をまとめ、 3年生からは首都圏 にある18大学の学生委員会を支援する役職にも就いている。
いま在籍する建築工学科も、女子は少数派。でも、斉藤さんは「高校での生徒会長の経験は、組織運営や、たくさんの男子の前でも臆することなく自分の意見を伝えることにとても役立っている」と話す。
「建築が好き。学校が好き。そういう思いに男女差はない。10代の女の子たちには、性別を意識せず、自分の中の『好き』を大切に、どんどん自分を出していってほしいです」
いずれは地元に戻り、建築設計競技に打ち込んだ高校時代の仲間たちと、県産材を活用した建物をつくりたい。そんな夢を描いている。資料;朝日新聞全国版


 

投稿欄


  2020年1月18日

先日の甲府工行茨城同窓会総会・懇親会 改めてお疲れ様でした。

じつは同窓会閉会後、神奈川県からお越しの松井昌美様から話しかけられ意外な接点が判明しました。
「韮崎出身の木本さんと聞いて伺って見ようと思っていました、昭和7~8年生まれで韮高からバレーボールをやっていて明治大学に進まれたお兄さんおられますか?」と聞かれ即答で「私達の長男です」と答えました。
松井さん「実は私の兄が当時木本先輩をよく口にしていて、木本さんに続き兄もバレーボールをやり明治大学に行って日本代表にまでなったのです。お兄さんにお顔が似ていたのでそんな気がして声をかけました」・・・
私の兄は長男で高校時代(韮崎高校)バレーボールをやり生徒会の役員もやっていたようです、大学卒業後日刊スポーツ新聞社に入り取締役局長まで出世したのですが50歳で心筋梗塞の為亡くなっています。と答えたら、松井さんのお兄さんも2年前にお亡くなりになったそうです、もっとお話しをしたいと仰っておりましたが、又来年お逢いできたらと伝えお別れ致しました。 木本土八(E39) 筆者は後列左端






2019年6月12日                                       木本土八(E39)
毎年恒例の女房の兄弟姉妹旅行を(6組夫婦  11名)6月8日~9日に行いました。
初日は韮崎に朝集合でしたので、私達夫婦は前日に山梨入りをして実家に泊めてもらいました。
7日(金)は早めに車で日立を出てまだ行ってなかった「山梨県立美術館」でミレーの絵画を鑑賞してから実家に向かいました。8日(土)の初日は貸切り観光バス(中型)が実家前迄来て、そこから長男(86歳)夫婦と一緒に乗り込み韮崎駅で横浜組(義兄  小野勝[E31卒]を含む2夫婦 4名)等も合流全員揃い旅が始まりました。
1日目
 韮崎駅→中央道諏訪南→北八ヶ岳ロープウェイ(残念ながら濃霧の為蓼科淡水魚水族館に変更)→昼食(信州信濃蕎麦を堪能)→上田城(真田一族の城)→北向観音→別所温泉泊
2日目
 別所温泉→美ヶ原高原美術館→白樺湖(雨模様で通過)→昼食(ネットで探してイタリアン料理の店を急遽予約、料理も時間と品名を伝えて到着してすぐ食べられました)→諏訪南から中央道→実家のお墓(全員と甥姪家族も合流)→実家でお茶を頂きながら各家族の近況報告を和やかに2時間→散会
私達は帰り中央道小仏トンネルから25キロの渋滞を乗り越え5時間かけ午後9時30分に日立に帰宅しました。
今年は久し振りに全員が揃い多少雨の時間も有りましたが、臨機応変に対応して無事に楽しく旅行を終えられました。



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茨城同窓会便り                平成22年9月27日発行

甲府工業茨城同窓会

会長 村上博靱

murakami23@bea.hi-ho.ne.jp

東京スカイツリー設計陣に土屋哲夫さん(勝沼町出身) 再び甲州人の手で ”内藤博士の意思継承

 

世界一高い634メートルを目指して東京都墨田区で建設中の「東京スカイツリー」の設計に、甲州市勝沼町下岩崎出身の土屋哲夫さん(40)が携わっている。半世紀以上にわたり国内最高で、完成当時は世界一を誇った東京タワーの設計を手掛けた南アルプス市櫛形町出身の内藤多仲に続き、“最高峰”の建築に再び甲州人がかかわっている。新たなランドマーク建設で課題となった狭い敷地は、日本の伝統的な建築技術を応用した耐震性の強化でクリア。地面の三角形が次第に円形となる形状は先端ノウハウを生かした。「内藤多仲先生も当時、最新技術を駆使したと思う」という土屋さん。技術の粋を集めたこだわりは塔博士と同じだ。
 建設現場の約200メートル東にある墨田区押上の京成橋は、展望スポットとして平日でも混雑。見物客が写真撮影する姿を見ながら、土屋さんは「東京タワー(333メートル)を超えてからお客さんが増えたようだ。多くの人に見られるのは、うれしい」と目を細める。
 土屋さんは、駿台甲府高を卒業後、東京大学、同大学院に進学。東京タワーも手掛けた日建設計(本社、千代田区)に就職した。スカイツリーの設計には社員約20人が中心となってかかわり、土屋さんは建物の                                           
デザインや建物内部の仕様を手掛ける意匠設計チームのリーダーになった。(設計の思い出を語る土屋哲夫さん) 高さ634メートルの計画に対する最初の印象は「本当に立つのか」だった。超高層建築物は通常、底辺と高さの割合が「1対5」程度とされるが、建設予定地(約3万7千平方メートル)が細長い地形のため底辺は68メートルで、割合は「1対9」という厳しい条件だった。
 耐震性を増すため地下約50メートルまで支えのコンクリートを埋め込んだほか、建物の中心に柱のように立つコンクリート製の構造物を、鉄骨パイプが覆う二重構造にした。中心の「心柱」と周囲の梁(はり)などで成り立つ法隆寺五重塔の工法を応用し、中心部と周囲が異なる揺れをすることで、大きな地震にも対応できるような仕組みにした。
 デザインにも趣向を凝らした。タワーの断面は地面が「最も安定感がある」三角形で、高くなるに連れて丸みを帯び、最後は完全な円形となる。日本刀のそりなどをイメージした鉄骨パイプを組み合わせることで特殊な形状を実現。「工事をする人は大変だが、最初から造りやすい形では面白くない」とこだわりを見せる。
 日建設計が内藤多仲と協力して設計した東京タワーの図面も見たという。「内藤先生はわたしにとって教科書の中の人物。意識することはなかった」と振り返るが、「東京タワーもスカイツリーと同じように最新技術を駆使したと思う。その点では内藤先生と同じかもしれない」と話す。なお、高さ634mは「武蔵」と覚えやすい。 




2023年10月4日  息子と小旅行  報告;木本土八

中国から一時帰国の息子が温泉旅行に招待してくれました。
いわき市湯本の旅館で温泉と美味しい料理を楽しみました。
二日目は塩屋岬から小名浜で水産物を購入し五浦の岡倉天心六角堂をみて早めに帰宅しました。
中身の濃い一泊二日の旅行でしたが、久々息子と3人で楽しみました。

2023年9月14日  日立市の水害  報告;木本土八

昨日の豪雨の爪痕いつもの散歩コースで池のある所に通行止めが、車は入れないが様子を見に行ってみた。
水路トンネルが崩落してました。
旧国道近くの邸宅、裏から浸水して出入り門から流れ出てました。
我が家の下の小川が氾濫して写真の橋の上まで増水、左側の家は浸水しました。
夕方の今も泥をかきだし作業をしてます。
上空にはヘリコプターが朝から飛んでました。
自然災害の恐ろしさをあらためて感じた今回の豪雨でした。















からの投稿を募集しています。下記のアドレスから送って下さい。
murakami3@bea.hi-ho.ne.jp 





後輩たちの活躍    報告;松井昌美

2023年8月16日
今回のお盆休みは息子と横浜山下公園のホテルニュウグランドに泊まりました。
ホテル思い出のこのホテルに来ると心が癒されて和む場所で大好きです。

ホテルのロビーにて


ホテルの中庭


9階から見えるマリンタワー


ベイブリッジ


氷川丸


ホテル内 横山剣の手記








後輩たちの活躍    報告;松井昌美

2023年7月27日

甲府工同窓会の皆様へ

今、20時38分トヨタ自動車4対2ヤマハの決勝戦が終了しました。
良い試合でした。
18日から25日のこの8日間、私は熱く燃えた日々でした。
社会人野球を見たことなどありませんでしたが、後輩ヤマハの舟久保秀稔君のおかげで、暑さもなんのそので過ごしました。
舟久保君可愛いね。
又秋の試合を楽しみに生きる目標を見つけた事を報告します。
有難うございました。

2023年7月25日 松井昌美(A34)







後輩たちの活躍    報告;松井昌美

2023722日  


社会人野球日本一を決める第94回都市対抗野球大会が開幕しました。
待ちに待った718日ヤマハ(浜松市)の新人で後輩の舟久保秀稔君(TH30)の応援に東京ドームに馳せ参じました。
20分前に着き入場券・タオル・名簿・新聞をいただき、24番ゲートから入りました。
時間は瞬く間に過ぎて試合開始。
丁度三塁側の外野席でしたので、舟久保君の元気な姿が目の前で見る事が出来ました。
その姿は全身から野球を楽しんでいるような、若さが溢れていました。
ヤマハの応援団もチアガール・これも又賑やかで気合が入って元気いっぱいでした。
これは社会人野球ならではの雰囲気ですね。
私も呑み込まれて日常を忘れて楽しかった!
応援には先生に引率されて高校生達が続々と観戦に来ていました。
この試合を見て又舟久保君のような選手が出て来るのではないかしら?なんて思ったりしました。
試合は日本製鉄37ヤマハ、ヤマハが勝利しました。
おめでとう!
次回は72318:00時からの予定です。暑い!熱い!一日でした。

2023
718日松井昌美 記 











 



後輩たちの活躍    報告;木本土八

2023年7月12日

中学の同級生から投稿がありましたので転送でご紹介致しす。 木本土八



「こんにちは。今日、南アルプス市芦安山岳館に行って来ました。
大草町出身の秋山樹好先生の文庫の中に牧野冨太郎博士の蔵書が数冊ありました。
博士と親交があったようです。朝ドラ見てますか?」















後輩たちの活躍    報告;松井昌美

2023年6月16日

5月25日の〈お茶でも飲んでけし〉を見て、 最近〈あおぐ錦城〉に舟久保秀稔さんのテロップが流れていて気になります。

そして舟久保さんの頁は楽しみに見ています。

私にとっては孫のような存在で、可愛い後輩でもありますので、最近は野球の試合結果が気になります。

村上さんは7年前から応援しているそうですが、今日の舟久保さんの才能を発掘したのですね。

今春〈ヤマハ〉にスカウトされ、ルーキー活躍されて、今回都市対抗で東京ドームで試合がある。

との事ですので、私は足を運んで甲府工の先輩として応援に行こうと思います。

在校生の応援もさることながら、卒業生で活躍している舟久保さんを応援してみたくなりました。

村上さんの「ひとつよろしく」に応えましょう。

首都圏在住同窓生の元気な方々、後輩の応援に行きませんか。

松井昌美(A34
)


今朝の大和・境川の紫陽花(1)


今朝の大和・境川の紫陽花(2)





後輩たちの活躍    報告;松井昌美



5月30日

Mr.Syoji  先日は忙しい所を東京でお付き合いをして頂き有難うございました。

二人で歩くのは伊豆以来の5年振り位かしら。

まさか私が日本橋界隈を案内されるとは。

今はMr.Syojiの方が詳しくなってしまった。   

水天宮から人形町通りを歩き、堀留町を横切り新日本橋駅近くの昔の勤務先のビルを一廻りして、懐かしい大江戸のうなぎ、仙八鮨、蕎麦屋

を見て何故が納得して、三越までブラブラと歩き、三越からメトロで渋谷へ出て相鉄線直通の電車で大和駅迄の小さな旅でした。

東京は昔のままでひっそりと生活している所もあれば、超新しいビルが建ち並んで忙しく人々が往来している所もあれば、様々な風景が歩けば

見られますね。

そして新しい発見もあり楽しかったですよ。又こんな機会が欲しいです。お世話になりありがとうございました。感謝です。from  Masami  

5月30日 Mr.Syoji 撮影






  田原さん


 優勝おめでとうございました! 


 次回 喜びのお話を聞かせてください。


 私は・・日立シニア会ゴルフ:A組、B組 再編初回の合同競技会、18組の大会でした。


 結果はG97―H22=N75(+3)にて、久方ぶりに8位入賞でした。


 これを機会にまた楽しくゴルフができそうです。


 今後共よろしくお願いします。
                    2023,5,27   広瀬英貴





投稿;村上博靱

2023,5,25

今年は都市対抗野球に感心があります。

何故なら後輩の舟久保秀稔選手がヤマハに入社して直ぐにスタメン出場するからです。

私は7年前から、ある縁で高校野球山梨県大会から彼を応援するようになりました。

彼が出場する試合は、小瀬球場に毎週足を運んでいました。

甲府工業の1番打者、ショートを守り野球のセンスに魅力を感じていた。

打つ、盗塁、とにかく足が早いので相手のミスを誘い、そして野武士のように暴れまくる。

その後東京国際大学卒業、今年卒業してノンプロ「ヤマハ」にスカウトされました。

あれから7年経ち、念願の大舞台、東京ドームでの試合に出場出来るように成長。

努力の結晶と云っても過言ではありません。


私事ではありますが私は1年前 2か所のガン手術を行ないました。

胃ガンは全摘、横行結腸は部分摘出、一年経っても後遺症は続いています。

よって以前のように球場に足を運び応援することはちょっと無理ですが

他の方法で出来る限り舟久保選手を応援して「ヤマハの日本一」を夢見ています。

同窓生の皆様もひとつよろしくお願い申しあげます。

村上博靱(E33)






  報告;村上博靱

2023年5月19日

明治の頃大月駒橋発電所建設工事で日立製作所創業者;小平浪平氏が宿泊した「猿橋の大黒屋旅館」猿橋の脇に存在しま
す。
このような事から、昔から日立と猿橋駒橋発電所は深い関係がありました。
今でも日立工場特称会がたびたび訪れて、小平浪平氏の思いを共有しています。
現在では東京電力駒橋発電所は、山梨県に存在する全ての発変電所のコントロールセンタになっている。

写真は建て替えられた大黒屋旅館(猿橋のたもと)小平浪平氏はここに宿泊して、駒橋発電所建設所長に携わっていた。


猿橋


駒橋発電所建設当時の水車(スイスのエッセンシャル社)が展示されている。


駒橋水力発電所。当時は6本の水管があったが現在は2本しかない。


小平浪平氏はここでの仕事のあと日本も発変電設備を国産化しなければと思い、日立鉱山に入り先ず5馬力モータの製作に着手した。








 
おみゆきさん


4月15日、「おみゆきさん」の愛称で親しまれる笛吹市一宮町の浅間神社の大神幸祭が開かれ、氏子らが神輿を担ぎ水防を祈願した。
「おみゆきさん」は、釜無川の氾濫防止を願う浅間神社の例大祭で、その歴史は約1200年前の平安時代から続く伝統行事だ。
神社の氏子の男性が白塗りの女装姿となり、700キロある神輿を担ぎ「ソコダイ、ソコダイ」と威勢のいい掛け声とともに神社や甲斐市の信玄堤を練り歩いた。

また、信玄堤では、神職らが土手から清めた小石を釜無川の河原に投げ、水防を祈願する川除祭も行われた。
小さい時親父に連れられて毎年行っていたこと思い出した。良きお祭りこれからも長く続いてほしいと思った。




    












    




2023年4月2日 

センバツ高校野球で母校の山梨学院が全国優勝して夢のようです。村上聖佳






    

2023年3月29日        投稿;木本土八

こんにちは、実は女房の実家 長男(90歳)が亡くなり27.28日と山梨に行って来ました。

韮崎駅で横浜の妹夫婦を迎えて実家に向かいました。

写真は韮崎駅と甘利山 次は甲斐駒ヶ岳、穴観音上の平和観音です、曇りで今回も富士山は拝 めませんでした。 



    
















 松井昌美 2023年3月21日記



 新宿西口は副都心から今は新宿新都心と呼ばれています。                                                                                                                
1960年前後に、淀橋浄水場の後ろに在った小西六写真工業()へ仕事で何回か行った事がありました。                                                        
近くには十二社温泉もあり
(当時東京にも温泉があるんだ、なんて思いましたが。)入ったような記憶が在ります。                                             
あの辺りの思い出をたどりたくなり行ってきました。                                                                                                                               
今、西口駅前は変わりつつあり、小田急百貨店本店の解体が始まっています。まん前に在った安田生命のビルは無くなってしまいました。           
まず新宿住友ビルの三角広場に旧淀橋浄水場で使われた巨大なバルブ「蝶型弁」を見に行きました。誰も立ち止まる人はいませんでした。        
広場の床面積は道路から
7m下、ほぼ浄水場の底に当たるそうです。                                                                                                     
地下新宿西口広場から都心方面へ続く、地上と地下の
2層をたくみに使い分けた、新都心の全体構造が、巨大な池が並んだ浄水場に由来す

る事を物語っているそうです。新宿中央公園をぐるりと一周
14500歩きました。後はスケッチで出します。                                                         
独身の時から通っている醤油味で叉焼の美味しいラーメン屋で一休み。                                                                                                
「冬晴れや昔の想いたどりたく」  

 
    




         

 
松井昌美(A34) 2023年3月12日記


今朝の天声人語に元中学教諭の武勝美さんの記事が出ていました。

毎月手作り新聞をを発行して来て全国で244人の購読者がいるそうです。

何気ない日常や教え子達との事を書き続けて先月400号に達した。

「継続は惰性なり。できるところまで続けます」と。

この記事を読んで、私は村上会長の「ちょっくらよっていけし」が重なりました。

何でも独学でHPを起こしたと聞いています。

そして毎日休むことなく15年以上も続いているとのこと。

その間には大きな病気で入退院を繰り返しているそうです。

今朝のカウンターは347760という数字が出ています。

多くのファンがいるのですね。

凄い事をしている方だと改めて感じました。

これからも続く事を願って、陰ながら応援させて下さい。




お茶でも飲んでけし            投稿;木本土八(E39)

韮崎市立甘利中睦会同級生各位


同級会開催のご案内 

新年を迎え皆様にはご健勝にてお過ごしのことと存じます。
ウイズコロナの世の中ですが卒業から60年余過ぎました。
皆様と喜寿を迎える年に同級会開催を企画致しましたのでご案内申し上げます。


期日 令和5年3月12日(日)~13日(月)

場所 ホテル 喜仙 石和町川中島482

電話番号 055-262-2404

時間 午後5時~7時(山梨県からの要請時間)
(二次会会場を用意いたします)

会費 当日受付にて、共に写真代等諸経費込 。
宿泊で参加  19,000円
日帰りで参加 10,000円

甘利中睦会会長 田原一孝 
今年度幹事   木本土八

 
                                                                




お茶でも飲んでけし           村上博靱(E33)2022
年11月9日

全国の中学校の修学旅行の行き先を調べた調査で、昨年度、山梨県が全国で3番目に多かったことが分かった。

修学旅行の調査や研究を行う「日本修学旅行協会」は、毎年度、全国の中学校を対象に修学旅行の行き先などを調べている。

昨年度は、1万校余りからおよそ3000校を抽出して調査を行い、1046校から回答を得た。

このうち、修学旅行の行き先についての回答数は776件で、5.9%にあたる46件が山梨県を訪れていて、京都府、奈良県についで全国で
3番目に多くなった。



要因について、日本修学旅行協会は「これまで人気だった東京で新型コロナウイルスの感染者が多かったことから、中京圏の学校が新幹線からバスに切り替えて山梨県を訪れたほか、関西圏に行くことが多い関東周辺の県でも東京を経由することを避けてバスで近場の山梨県に訪れたのではないか」と分析している。
2021年11月15日



お茶でも飲んでけし        

 

お茶でも飲んでけし           投稿;村上博靱(E33)


甲府工業33年度卒電気科2組同級会報告   幹事 村上博靱

        平成13年5月27日~28日 茨城県大洗海岸・大洗ホテル於
開催
    出席者(28名)
      奥田先生
   芦沢正志  網倉聖紀  飯島正雄  石川 信   石田直哉
   長田 要 落合 隆  萱沼紀久夫  小池辰樹 小林一彦
   齋藤 剛   柴田敏男  島津勝董   新谷 隆
   保坂 弘 天川蜃也   名取久俊    服田尚隆
   原田秋雄 平山袈裟雄  藤原賢次   松木征伍
   松土彰男 村上博靱  八巻弘倫    山田辰雄 渡辺興一



    
IEEEマイルストーンは、開発から25年以上が経過し、社会や産業の発展に多大な貢献をしたと認定された歴史的偉業を表彰する制度で1983年に制定された
制度です。日本では
1995年から16件目の認定ですが日立製作所にとっては初めての受賞です。
受賞対象となった「電界放射形電子顕微鏡」は1970年より小生が最初の一号機から長年にわたって中心になって開発してきた装置です。その後の開発
は日立の多くの研究者や技術者に引き継がれ、弛まぬ努力の成果は現在でも世界のトップシェア―を保持しており、那珂事業所の中心的な製品に育っています。
この授賞式には栄誉な事に開発者代表として小生も招聘され、初めての受賞を喜んでおられた日立の中西社長や日立ハイテクノロジーズの久田社長と一緒に式典に臨みました 』


齊藤 尚武(E32)



お茶でも飲んでけし』         村上博靱(E33)


2022年4月12日
   

新年度になって母校では信任式や始業式そして入学式が行われる。
そのあと新入生はこわい応援団員から校歌や応援方法を徹底的にたたきこまれる日々が数日続く。

その時には声が枯れて出なくなる生徒もいたり、中には涙を流すものも少なくないらしい。
我々の時もそうだったように甲府工業の伝統と魂をみっちり叩きこまれ、何事にも動じない強い甲工生に育てあげるのが目的だそうだ。

本部同窓会においても6月4日(土)に総会・懇親会が行われ新年度の幕あきとなる。例年4月に行なわれて来たのでこれもコロナ禍のせいか。
わたくしたちも母校の生徒たちに負けないよう、健康に注意していつまでも元気でいられるよう頑張りたいものです。


お茶でも飲んでけし』         村上博靱(E33)


2022年4月10日菓子大手のシャトレーゼホールディングス(甲府市)は7日、グループの新たなシンボルマークを発表した。「ユニクロ」のロゴマークなどを手掛けたクリエイティブディレクターの佐藤可士和(かしわ)氏がデザインを担当した。

マークのコンセプトは八ケ岳や富士山など風光明媚(めいび)な山々に囲まれた山梨の土地に建つ、大きな屋根のお菓子の家をイメージ。焼き菓子や大地、収穫の恵みなどを思い起こさせる「シャトレーゼブラウン」を企業カラーに選定、店舗や工場、ホテル、ゴルフ場などグループ施設で活用し、一体感を明確にする考えだ。

斎藤寛会長は「世界市場を狙う段階に入った。世界中のお客さまに親しまれるブランドとして新たな一歩になることを期待している」とコメントした。

小生が甲府工業の頃、中込百貨店の脇で甘太郎(大判焼き)を売っていたころを思い出す。




お茶でも飲んでけし』         村上博靱(E33)


2022年4月4日
小生の自宅から10分くらいの所(水戸市7城東)に第19代横綱 常陸山の生誕地があります。
水戸市城東
(旧、宝鏡院門前町)は武家屋敷が多かった。
角聖、米国に相撲を伝道するためワシントンで土俵入りを行う。
その時の黄金の太刀(金彫師、北川北仙=水戸市(旧三ノ町)出身)がスミソニアン博物館に納められている。
常陸山は「(株)川村製餡所」の敷地内で生まれたが、現在は10mほど移動して建立されている。

2022年4月2日



お茶でも飲んでけし』         村上博靱(E33)


2022年3月28日
“お札の中の山梨”再発見 逸話たっぷり銀行資料館
 
五千円札の樋口一葉や千円札の逆さ富士などに山梨ゆかりの人物・風景があるのをご存じでしょうか。
五千円札では表に樋口一葉が登場したことで、山梨県民自慢の一つとなったが、裏の国宝「燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)」が
甲州財閥の一人、
根津嘉一郎のコレクションだったことはあまり知られていなかった。

 
昭和26年発行の旧五百円札には「雁ケ腹摺山(がんがはらすりやま)」から撮影した富士山が使われた。
撮影者は
名取久作。撮影は17年11月3日。名取は旧国鉄職員で写真の仕事をしていた。
写真コンクールに応募して入選したことがきっかけで使われた。44年発行の新五百円札でも使われた。

写真家、
岡田紅陽の本栖湖北岸から撮影した富士山は有名。
湖面に映る逆さ富士が美しく、59年発行の五千円札に続き平成16年発行の千円札にも使われた。
「実は札に使われている富士山は、岡田紅陽が撮影した写真がそのまま使われているのではない。
紙幣を製造する国立印刷局の工芸員が、写真をもとに描いた紙幣の図柄のもと、コンテ画を銅板に当て、特殊な彫刻刀を使い、
印刷用原版を彫ったいう。
樋口一葉コーナーには紙幣のもととなった一葉の肖像画(複製)が展示されていた。一葉が若く顔にシワがないため、偽札づくり防止に
苦労したエピソードがあった。  

写真は千円札の富士山と同じ場所で撮りました。

写真は千円札の富士山と同じ場所で撮りました。

         


お茶でも飲んでけし』         村上博靱(E33)


2022年3月25日

JR身延線(市川三郷町)に駅員配置  
平成25年4月
山梨県市川三郷町内にあるJR身延線の7駅全てが無人駅になっていたことを受け同町が1日、独自に採用した職員を市川大門駅に3人を採用して配置し有人化した。
乗車券や定期券を発券などの業務を開始する。 
身延線は東海道富士駅と中央線甲府駅を結ぶ88Kmの鉄道で1941年に国有化された。
7駅とは 甲斐上野、芦川、市川本町、市川大門、鰍沢口 落居、甲斐岩間駅のことで、7駅の総延長はわずか14Kmと短い事で話題になっている。
 
昔から身延線沿線には甲府工業生が多く、通学に身延線を利用していました。私のクラスだけでも12人いました。

身延線の前身は富士身延鉄道と言い甲州財閥の小野金六韮崎市出身)や根津嘉一郎らによって創られ、当初から電化されていたので国内でもめずらしかった。
写真は身延線用に製造された日立製作所製の電気機関車。,
syouwa



当時の車両が日立製作所水戸事業所(ひたちなか市)に展示されています。
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お茶でも飲んでけし』         


甲州街道宿場巡り ふるさと再発見
 
        平成30年1月  広瀬英貴(M35

1.初めに 日立電鉄ではこれまで「東海道」「中山道」「日光街道」の宿場巡りを催行してきた。

今回その第4弾として「甲州街道」が企画され、宿場巡りの常連の同期生より、“広瀬のふるさと山梨を案内してくれ”と。
今さら・・ゴルフの方が楽しい、とは思ったが、75歳に達した記念にと「ふるさと再発見」に挑戦いたしました。 
山梨で18年暮らしたとはいえ、甲府工高へ塩山~甲府間を電車通学したくらいで、当時は 甲府以西にほとんど行ったことが
なく、今回のツアーに参加して初めて、歴史を感じながら、 故郷山梨の美しい景色に心ひかれた次第です。
“ちょっくら よっていけし”の村上会長の郷土愛に見習い、これからも機会ある度に“ふるさと再発見”を続けていきたいと思う。


2.甲州街道の概要紹介と感じたこと  
(1)江戸幕府による参勤交代で発達した5街道(東海道・中山道・甲州街道・奥州街道・日光街道)いずれも日本橋を起点と
している。甲州街道は信州の3藩(高島藩・高遠藩・飯田藩)のみが利用した。甲斐の国は武田家滅亡後、徳川直轄領となり参勤
交代は該当外であった。
(2)甲州街道は江戸城に危機が迫った際の生命線として、服部半蔵が率いる伊賀衆が警備していた半蔵門から甲州街道に入り、
内藤新宿で「百人組鉄砲隊」、八王子で「千人同心」を従え甲府城に入り、富士川の舟運で一気に駿府に抜ける主要路として整備
されたといわれている。
その後、甲府から下諏訪まで延長され、44ヶ所の宿場が設置された。
(3)物流と通信網の要所として整備された甲州街道は、現在の国道20号線へと発展し、更に今や中央高速道路が開通して、東京
への交通を飛躍的に発展させ、山梨県の産業発展に大きく寄与しているのはご承知の通りです。
(4)道中、笹子峠が一番の難所、旧道はバス通行不可のため、峠入り口と出口側のみの散策となった。また、甲府以西特に韮崎や
北杜市、峡北地区の自然・景観の良さ・歴史に興味が湧く。今や北杜市は住みたい田舎日本一になっている。また道中、富士山が見え
るたびに、バスの中に歓声が沸いたが、帰路、小淵沢~韮崎付近より遠くに見える富士山がまた感動的でした。
(5)甲府盆地に入れば、宿場と言うより武田信玄公にまつわる史跡・名所の観光が重点となった。恵林寺(甲州市塩山) 武田神社
(甲府) 武田八幡宮(韮崎) 信玄堤(釜無川)など。
(6)「旅は道連れ 余は情け」のことわざ通り、日立電鉄 四季の旅バスツアーに参加した仲間の皆さん、道中で出会った人たちと会話
しながら、古い時代の面影を残す町並みを散策して歴史を学ぶことが出来たことは、後期高齢者にとっても一服の清涼剤となり、有意義
なものであった。
(7)全6回共、好天に恵まれ高齢者にとっては助けられた。また、参加者25~28名中、女性グループが2/3を含め、始終和やか
であった。中には、世界中を旅している80歳近いご婦人もいて、大いに刺激を受けた。
(8)時代とともに古い建物は改修や取り壊されているが、街道沿いには多くの案内板、記念碑、歌碑、馬頭観音等が建立されて昔の
面影を残している。「百聞は一見に如かず」皆さんもどうぞ一度、国道20号沿いをドライブして、当時に思いを馳せてみませんか!


写真は甲州街道20号線沿いにある「小原宿本陣」。江戸から数えて9番目の宿場で小仏峠を前にして重要な宿場でした。




お茶でも飲んでけし』         


令和4年3月20日
愛宕山界隈を散歩して   村上博靭(E33)
 
去年、甲府へ行った時、時間があったので、愛宕山の界隈を散歩してきました。
昔から気になっていたので一度ゆっくり歩いてみたかったのです。
何故って言われるとほかでもありません。
紺のセーラー服とエンジのネクタイ英和高生徒にあこがれた青春時代を思い出したからです。

当時、甲府二高や湯田高の生徒とは、身延線通学でさほど気にせず話しかけられたが、英和高生となるとちょっと違いました。
「ミッションスクールのお嬢さん」というイメージが強かったので、なかなか近寄りがたく、結局3年間が一度も話せず終わってしまいました。

そんななか、親友の網倉さんは甲府工業の生徒会長や弁論部の部長ををやっていたので、いつも英和高生と気軽に話してる姿を見て、
うらやましかったですね。

今考えれば、あの頃は話も出来ない、ウブ?な自分だったんだなぁーと思いました。
あれか60数年。時の経つのははやいものです。いまや傘寿を過ぎて、やけに昔を偲び英和高校の周りを歩きたいと思った訳であります。
目的を達成した気持ちは、真夏の夕立見たいなモノでした。

舞鶴城から見た愛宕山

 



                                           


お茶でも飲んでけし』 

鉛使わない圧電体開発 世界初環境汚染防止の新素材 山梨大学の
和田教授ら開発 
 平成24年3月18日
 山梨大学工学部の和田智志教授(49)らのグループは、廃棄時の土壌汚染が心配される鉛を使わない新たな「圧電体」の素材の開発に
、世界で初めて成功した、と発表した。
 圧電体は、電圧をかけると伸び縮みする性質を持った物質。車の燃料をタンクから押し出す装置の動力源として使われているほか、
パソコンやケイタイなど様々な電子機器に組み込まれている。 環境汚染防止のため、新素材の開発が急務となっていた。                  

圧電体の性能は、「いかに少ない電圧で伸び縮みするか」「耐熱性」の2点で決まる。鉛を使った圧電体は、この2点で他の素材よりもはるかに
優れており、鉛は1950年代後半頃から、圧電体材料の 主流だったという。                                                    

だが、鉛は廃棄時に酸性雨などによって溶けだす心配がある。2000年頃からは、世界中の研究者が、鉛の圧電体の性能を超える代替素材の開発をめぐり、競争
を繰り広げてきた。

そんな中、和田教授は、鉛の圧電体の構造を応用した新構造の圧電体を、人体への影響がないとされるバリウムを使った化合物で作ることに成功。性能は鉛を
使った場合の2倍以上、製造コストは鉛と同程度だという。
和田教授は「常識を覆す、まさに異端とも言える素材」と胸を張る。 実用化されれば、環境問題への対応が最も大きなメリットとなるが、それ以外にも多くの活用法が
考えられるという。