
2025年12月22日 年末の富士山

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2025年12月8日

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2025年12月3日
甲府工業茨城同窓会定期総会用資料が完成しました。20ページです
2025年11月11日

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2025年11月1日
拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます
平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます
さて私儀
このたび令和7年10月1日付にて小林 務氏の後任として
山梨県立甲府工業高等学校 東京同窓会会長に就任させていただきました
同窓会も高齢化が進み一段と厳しさが増している折 本部 中村会長のご指導を
戴き微力ではございますが円滑な運営に全力を傾けたいと
存じますので前任者同様のご厚誼とご鞭達を賜りますようお願い申し上げます
まずは路儀ながら書中をもって就任のご挨拶を申し上げます
敬具
令和7年10月 東京同窓会会長 保坂 善昭

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2025年10月26日
弟木本貴一の葬儀無事に終える事ができました。
ご参列頂いた皆様はじめ、お悔みのお言葉をメール等で賜りここに深謝申し上げます。
今後ともよろしくお付き合いの程お願い申し上げます。甲府工業茨城同窓会 木本土八




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2025年10月23日
訃報 甲府工業同窓会会員 昭和41年機械科卒

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2025年10月23日
> 七澤様
> 終わってみれば今年の甲府工業よくがんばったと思います。
> 関東大会1勝、久々の快挙だといっても過言ではありません。
> 夢を見させてくれてありがとうございました。
> これからもblog、hpで工業をバンバン応援していきます。
> 見てください。
> 村上博靱
> -----Original Message-----
> From: Dosokai <kths-1917ogb@nns.ne.jp>
> Sent: Tuesday, October 21, 2025 12:50 PM
> To: 村上 博靭 <murakami3@bea.hi-ho.ne.jp>
> Subject: 関東大会の結果について
> 村上会長 様
> 本日の関東大会準々決勝、対花咲徳栄戦は10対0の完敗でした。
> 茨城の地より応援を頂き有難うございました。
> 来年も更なる応援宜しくお願いいたします。
> これまでの応援に感謝申し上げます。本当に有難うございました。
> 七澤福富
山梨県立甲府工業高等学校
同窓会事務局
TEL:055-252-4480
FAX:055-252-4438
メール:kths-1917ogb@nns.ne.jp
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2025年10月22日 関東大会

2025年10月21日 関東大会


2025年10月15日サッカー選手権山梨県大会

2025年10月11日


2025年10月9日


2025年9月29日 資料;七澤福富氏提供
2025年9月24日 写真:山梨日々新聞提供

秋の高校野球 3回戦 甲府工業大対日川の試合は 10-6で甲府工業が勝利しました。
準決勝戦は9月23日(火)9時から駿台甲府と対戦します。

秋の高校野球 2回戦 甲府工業対都留の試合は10Xー0で甲府工業が勝利しました。
3回戦は9月20日(土)9時半からベスト4をかけて行なわれます。
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2025年9月14日
雨宮幾雄さんの海釣り報告
12日平潟港からタイ釣りに行きまし。天気雲風もなく最高の条件でした。最初からマハタ40位のがヒットしました。
最後一投ウマズラハギでまとまりました。
6種類の魚種が沢山釣れた最高の釣になりました。
タイ、カワハギ、アジなぞ豪華な刺身御膳バーティーに大満足楽しかったです。



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小旅行の報告 木本土八
9/3~5の3日間 仕事の褒賞旅行で茨城空港から神戸空港へ向かいました
9/3
神戸の白鶴酒造を見学 その後六甲山ケーブルにのり山頂からの景色を楽しみました
9/4
神戸から直行バス(バスは予約は受け付けないで並んだ順、45分も暑い中待ち)で万博に行きました(歳の近い者3名で行動)
曇りでしたが高温多湿、人の多さでどこのパビリオンも予約出来たところ以外は入れずただ歩き廻って涼を求めていました。
当然食事できるところも長蛇の列であきらめて早々に会場を後にして(正味2時間)
神戸三宮にてやっと昼食が取れました。
夜は予約してあったナイト・クルージング ディナーでゆっくり楽しめました。
9/5
電車で移動して予約してあった「なんばグランド花月」で笑いの時間を過ごしました。
終演後 大阪に在住の中学時代同級生と64年振りに再会、昼食を共にして大阪の繁華街(戎橋辺り)を案内して頂きました。
台風に依る影響も最小限で雨にも濡れず3日間楽しみましたが、万博は年配者には厳しい(暑い 金額が高い ほとんど見れない)と感じました。
タクシーの運転手も地元の者は行かないと言ってました。
こんな今回の旅でしたが疲れた3日間でした、ご報告させて頂きました。












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です


















2025年5月11日 山梨県高校総体結果 【学校対抗 男子】 1位 山梨学院 2位 甲府工業 3位 日本航空 4位 駿台甲府 5位 甲府南 6位 日大明誠2025年5月4日
2025年4月28日 高校野球山梨県大会2回戦の結果
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2025年4月14日 春季高校野球山梨県大会組合せ。甲府工業今期は調子良いので決勝まで残って欲しい。そうしたら甲府に応援に行きたいです。
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2025年3月14日 校歌、応援歌の思い出。 木本 土八(E39) おはようございます。ブログに載っている校歌、応援歌等は懐かしく拝聴させて頂いています。 入学して間もなく校歌や応援歌の練習をさせられた思い出は強烈に焼き付いております。 高校生当時、私がやっていたサッカーはまだマイナーでしたので試合での応援はほとんど有りませんでした。 県大会決勝戦でも応援団が来たという記憶が無いです。 ですから応援歌等は総体の壮行会で他の部と一緒に歌ってもらった位です。 私の記憶では野球の応援に行かされて、グランドで歌った思い出しかありません。 大阪でのサッカー全国選手権大会ベスト8の試合でも、校長先生と生徒会役員数名が応援に来てくれたが校歌も応援歌も有りませんでした。 今とちがって部員は練習漬けだったので女生徒との交流が出来ず二高や湯田高生がいとしく思いました。 唯一、全国大会に行く前に電通(現在の電子科)の女生徒達から千羽鶴を頂き嬉しかった思い出が有ります。 校歌、応援歌は今聴いても当時を思い出させてくれる宝物です。 これからも時々聞いて元気をもらいたいと思っています。 ありがとうございました。------------------------------------------------------
甲府工業ファミリー「芝垣さん一家」 芝垣直秀(A49)さん 芝垣(石合)玲子(A52)さん 芝垣祐哉(AH15)さん
芝垣克哉(AH17)さん 芝垣あづさ(AH20)さん 2007年投稿
2024年12月26日 山梨は男性3位、女性は4位。

2024年5月19日
明治の頃大月駒橋発電所建設工事で日立製作所創業者;小平浪平氏が宿泊した「猿橋の大黒屋旅館」猿橋の脇に存在します。
このような事から、昔から日立と猿橋駒橋発電所は深い関係がありました。
今でも日立工場特称会がたびたび訪れて、小平浪平氏の思いを共有しています。
現在では東京電力駒橋発電所は、山梨県に存在する全ての発変電所のコントロールセンタになっている。
写真は建て替えられた大黒屋旅館(猿橋のたもと)小平浪平氏はここに宿泊して、駒橋発電所建設所長に携わっていた。

猿橋

駒橋発電所建設当時の水車(スイスのエッセンシャル社)が展示されている。

駒橋水力発電所。当時は6本の水管があったが現在は2本しかない。

小平浪平氏はここでの仕事のあと日本も発変電設備を国産化しなければと思い、日立鉱山に入り先ず5馬力モータの製作に着手した。
2024年12月24日 "たった今吾も咲たやかえり花"

2024年12月23日 昨日の夕日 16:18 津田夕日の丘にて

2024年12月23日

2024年12月22日 ゴルフ場の中にコテージがあるのは珍しい

2024年12月21日 昨日のスパ&ゴルフリゾート久慈の青空 気温2度 寒い

2024年12月20日昨日の夕日 毎日眺めていても飽きない、なぜだろう?

2024年12月19日たわしの花、初めてみた。

2024年12月18日すっかり雪化粧した富士山

2024年12月17日 最近天気の良い日が続きます。津田夕日の丘より。
2024年12月16日
甲府工業茨城同窓会総会・懇親会を開催しました。田原和雄さんのトランペット 「真夜中のブルース」を演奏してくれました。(6)

2024年12月15日 初冬の富士山

2024年12月14日
甲府工業茨城同窓会総会・懇親会を開催しました。校歌斉唱 指揮は後藤春樹さん(5)

2024年12月13日
昨日の夕やみ 筑波山がかすかに。

2024年12月12日 昨日のたそがれ

2024年12月11日
甲府工業茨城同窓会総会・懇親会を開催しました。ゴルフ年間優勝表彰(4)

2024年12月10日
甲府工業卒業生の仲間たち茨城同窓会総会にて

2024年12月9日
甲府工業茨城同窓会総会・懇親会を開催しました。(2)

2024年12月8日甲府工業茨城同窓会総会・懇親会を開催しました。(1)
2024年12月7日 昨日の富士山、相鉄線から

2024年12月6日 昨日の夕日、筑波山のダイヤモンド

2024年12月5日 茨城ロイヤルゴルフ倶楽部の風景(3)。

2024年12月4日 茨城ロイヤルゴルフ倶楽部の風景(2)。

2024年12月3日 昨日茨城ロイヤルゴルフ倶楽部でゴルフをやってきました。(1)

2024年12月1日 昨日の夕日 16:11 津田夕日の丘にて。

浮かび上がった筑波山

2024年12月1日 昨日の富士山 12:04写す

2024年11月30日 昨日の夕日 16:12 夕日の丘にて。昨日より4分早くなりました。

2024年11月29日 昨日の夕日 筑波山がクッキリと見えました。こんなこと今時めったにありません。夕日の丘にて16:16写す。

2024年11月28日 昨日の夕日 16:07 天神山夕日の丘で写す

2024年11月27日(6) 故郷の神社 表門(うわと)神社本殿

2024年11月26日(5) 故郷の神社 表門(うわと)神社本殿

2024年11月25日(4) 故郷の神社 表門(うわと)神社

2024年11月24日(3) 故郷の神社 表門(うわと)神社の神楽殿

2024年11月24日 昨日の富士山 11:10写す

2024年11月23日(2) 故郷の神社 表門(うわと)神社の石鳥居

2024年11月22日 昨日同窓会月例ゴルフを行いました。

2024年11月21日 故郷の神社 表門(うわと)神社。別名「お文珠さん」と呼ばれている。永保元年(1081)建立

2024年11月20日津田夕日の丘より

2024年11月19日 手前の柳、伐採されました。クリスマスの飾りになる。

2024年11月18日 富士山

2024年11月17日 富士山の雄姿

2024年11月16日 昨日の富士山、天使の雲こと傘雲。16:04写す。

2024年11月15日 津田夕日の丘にて

2024年11月13日
4校(甲府工業 甲府一高 甲府商業 日川高校) 同窓会有志対抗親善ゴルフ大会が12日行なわれ
甲府商業同窓会の7連覇を阻止し、甲府工業同窓会が優勝しました。
またこの大会で甲府工業同窓会長の中村邦弘会長(81歳)が見事エージシュート(スコアー79)を達成しました。
おめでとうございます。
甲府工業同窓会事務局長 七澤福富

2024年11月13日 「こがらしぶどう」の生産地 のどかな牧丘町

2024年11月12日
おはようございます。野球部についての連絡です。
昨日行われた高校野球1年生大会で甲府工業が30年ぶりに優勝しました。
これで来年・再来年と甲子園が身近になってまいりました。
是非、同窓会の皆さんのご声援を今後とも宜しくお願いいたします。
取り急ぎの連絡でした。
甲府工業同窓会事務局長 七澤福富

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2024年11月11日 高校サッカー茨城県大会 優勝 明秀日立 おめでとう!

2024年11月10日 昨日写す

2024年11月9日 昨日の夕日、津田夕日の丘より、16:22

2024年11月8日 昨日の夕日、少しずつ左側に移動しています。上に月が見える。明日は上弦の月になります。

2024年11月7日 渡月橋から眺めた山々。

2024年11月6日 一昨日の渡月橋、舟久保氏提供

2024年11月5日 日本シリーズ26年ぶりの優勝、横浜DeNA 写真は松井氏提供

2024年11月4日 筑波山も左で頑張っています。16:32 津田夕日の丘にて。

2024年11月2日魚が踊っているよう

2024年11月1日 朝日のような夕日 天神山夕日の丘より。

2024年10月31日重たい雲が垂れ下がっている。

2024年10月30日
27日、 田原俊彦の デビュー45周年記念 コンサートがありました。甲府には 5年ぶりです 会場にはお母さんも来てました。
今 63歳 この年で 初めから 体を動かしっぱなしで まあ すごかったですね。楽しかったです

2024年10月29日

2024年10月28日
ひたちなか市コラボ祭り見学。

2024年10月27日
落日、天神山夕日の丘より

2024年10月26日
昨日同窓会ゴルフをやりました。やっぱり同窓会のメンバーは楽しいなあ。

2024年10月25日 天神山の夕日

2024年10月24日 期日前投票に行ってきました。

2024年10月23日 一昨日の富士山

2024年10月22日 昨日の富士山、14:17写す。

2024年10月21日 昨日の夕日 16:50写す。

2024年10月20日 綿菓子のような雲 まだ暑さが残るようです。

2024年10月19日
柿が鈴なり。柿食えば・・・・・・・・・・・・・。

2024年10月18日 夕日、芸術的な雲の色彩

2024年10月17日 十三夜の月 津田田んぼにて。

2024年1月15日
工友会(甲府工業同窓会ゴルフコンペ) 秋季大会;10月9日(水) 韮崎市 グリーンバレー
| RNK | 氏 名 | OUT | IN | GRS | HCP | NET | OTHER |
| 優 勝 | 伊藤 文治 | 53 | 50 | 103 | 32.4 | 70.6 | 優勝 |
| 準優勝 | 鶴田 勉 | 43 | 41 | 84 | 13.2 | 70.8 | 準優勝 |
| 3位 | 保坂 喜一 | 52 | 51 | 103 | 31.2 | 71.8 | 3位 |
| 4位 | 遠藤 雅彦 | 44 | 40 | 84 | 12.0 | 72.0 | 4位、DC賞14 |
| 5位 | 穴山 武 | 47 | 49 | 96 | 24.0 | 72.0 | 5位 |
| 6位 | 七澤 福富 | 41 | 41 | 82 | 9.6 | 72.4 | 6位、Bg賞 |
| 7位 | 中山 仁人 | 48 | 54 | 102 | 28.8 | 73.2 | 7位 |
| 8位 | 保延 龍介 | 43 | 47 | 90 | 16.8 | 73.2 | 8位 |
| 9位 | 吉井 貴 | 41 | 42 | 83 | 9.6 | 73.4 | 9位、DC賞14 |
| 10位 | 乙黒 正彦 | 42 | 41 | 83 | 9.6 | 73.4 | 飛び賞、DC賞2、NP賞12・16小波賞 |
| 11位 | 芦澤 一位 | 50 | 45 | 95 | 21.6 | 73.4 | 会長賞 |
| 12位 | 長坂 正 | 45 | 43 | 88 | 14.4 | 73.6 | 飛び賞 |
| 13位 | 長澤 成宜 | 55 | 49 | 104 | 30.0 | 74.0 | DC賞2 |
| 14位 | 土橋 英俊 | 46 | 44 | 90 | 15.6 | 74.4 | NP賞12 |
| 15位 | 長澤 一成 | 44 | 46 | 90 | 15.6 | 74.4 | 飛び賞 |
| 16位 | 大森 栄治 | 44 | 46 | 90 | 15.6 | 74.4 | 飛び賞 |
| 17位 | 石川 宏二 | 45 | 50 | 95 | 20.4 | 74.6 | NP賞16 |
| 18位 | 大沼 聖志 | 53 | 54 | 107 | 32.4 | 74.6 | |
| 19位 | 志村 芳光 | 42 | 46 | 88 | 13.2 | 74.8 | |
| 20位 | 細入 和彦 | 53 | 53 | 106 | 31.2 | 74.8 | 飛び賞 |
| 21位 | 松本 治 | 47 | 52 | 99 | 24.0 | 75.0 | |
| 22位 | 溝口 健一 | 54 | 51 | 105 | 30.0 | 75.0 | 会長賞 |
| 23位 | 相川 瑞希 | 44 | 49 | 93 | 18.0 | 75.0 | |
| 24位 | 鮎川 稔 | 50 | 46 | 96 | 20.4 | 75.6 | 飛び賞 |
| 25位 | 渡辺 正美 | 51 | 44 | 95 | 19.2 | 75.8 | 飛び賞 |
| 26位 | 中村 邦弘 | 44 | 44 | 88 | 12.0 | 76.0 | |
| 27位 | 新井 利夫 | 46 | 48 | 94 | 18.0 | 76.0 | |
| 28位 | 仙洞田 勝 | 53 | 53 | 106 | 30.0 | 76.0 | 飛び賞、NP賞4 |
| 29位 | 廣瀬 泰三 | 54 | 52 | 106 | 30.0 | 76.0 | |
| 30位 | 加藤 裕樹 | 43 | 44 | 87 | 10.8 | 76.2 | 飛び賞 |
| 31位 | 内藤 裕 | 49 | 49 | 98 | 21.6 | 76.4 | |
| 32位 | 戸田 泰明 | 45 | 46 | 91 | 14.4 | 76.6 | |
| 33位 | 橘田 清孝 | 48 | 43 | 91 | 14.4 | 76.6 | 会長賞 |
| 34位 | 福沢 光尚 | 45 | 45 | 90 | 13.2 | 76.8 | |
| 35位 | 石澤 辰郎 | 54 | 54 | 108 | 31.2 | 76.8 | 飛び賞 |
| 36位 | 三枝 眞二 | 50 | 46 | 96 | 19.2 | 76.8 | NP賞4 |
| 37位 | 其田 丈士 | 51 | 51 | 102 | 25.2 | 76.8 | |
| 38位 | 古屋 浩 | 63 | 50 | 113 | 36.0 | 77.0 | |
| 39位 | 小澤 宏至 | 52 | 48 | 100 | 22.8 | 77.2 | |
| 40位 | 藤巻 亮次 | 51 | 49 | 100 | 22.8 | 77.2 |
| 41位 | 川野 一男 | 54 | 55 | 109 | 31.2 | 77.8 | |
| 42位 | 小林 務 | 54 | 54 | 108 | 30.0 | 78.0 | |
| 43位 | 渡辺 和彦 | 56 | 58 | 114 | 36.0 | 78.0 | |
| 44位 | 新谷 幸司 | 56 | 52 | 108 | 30.0 | 78.0 | 会長賞 |
| 45位 | 横森 達朗 | 53 | 48 | 101 | 22.8 | 78.2 | 飛び賞 |
| 46位 | 植松 和秀 | 53 | 54 | 107 | 28.8 | 78.2 | |
| 47位 | 芦澤 洋一 | 55 | 51 | 106 | 27.6 | 78.4 | |
| 48位 | 有泉 富夫 | 49 | 50 | 99 | 20.4 | 78.6 | |
| 49位 | 長田 史壮 | 56 | 47 | 103 | 24.0 | 79.0 | シルバー賞 |
| 50位 | 八巻 和夫 | 54 | 54 | 108 | 28.8 | 79.2 | 飛び賞 |
| 51位 | 山本 哲也 | 51 | 50 | 101 | 21.6 | 79.4 | |
| 52位 | 野尻 淳一 | 48 | 47 | 95 | 15.6 | 79.4 | |
| 53位 | 前嶋 洋一 | 58 | 54 | 112 | 32.4 | 79.6 | |
| 54位 | 滝口 功 | 54 | 56 | 110 | 30.0 | 80.0 | |
| 55位 | 加藤 紀彦 | 53 | 50 | 103 | 22.8 | 80.2 | 飛び賞 |
| 56位 | 窪田 幸三 | 58 | 59 | 117 | 36.0 | 81.0 | |
| 57位 | 鈴木 祥久 | 53 | 48 | 101 | 19.2 | 81.8 | |
| 58位 | 山本 藤雄 | 50 | 50 | 100 | 18.0 | 82.0 | |
| 59位 | 中込 勝也 | 61 | 55 | 116 | 33.6 | 82.4 | 会長賞 |
| 60位 | 深澤 達人 | 55 | 54 | 109 | 26.4 | 82.6 | 飛び賞 |
| 61位 | 岩間 哲也 | 51 | 52 | 103 | 20.4 | 82.6 | 会長賞 |
| 62位 | 大沼 光弘 | 57 | 54 | 111 | 27.6 | 83.4 | 会長賞 |
| 63位 | 上山 秀次 | 57 | 59 | 116 | 32.4 | 83.6 | 会長賞 |
| 64位 | 古屋 吉文 | 55 | 57 | 112 | 26.4 | 85.6 | 会長賞 |
| 65位 | 保坂 満 | 64 | 56 | 120 | 33.6 | 86.4 | 飛び賞 |
| 66位 | 二宮 茂徳 | 69 | 57 | 126 | 34.8 | 91.2 | BB賞 |
| 67位 | 大島 義徳 | 75 | 65 | 140 | 36.0 | 104.0 | 会長賞 |
おはようございます。
先日(10月9日)の工友会ゴルフ大会の成績をまとめましたので、お送りいたします。
今回は、志村関西支部長並びに小林東京会長にもご参加いただき大いに盛りあがりました。
また、中村会長からは会長賞の提供があり過去の大会には無いほどの賞の数となりました。
来年には、村上茨城会長にもご参加いただければと思います。
今後とも宜しくお願いいたします。
甲府工業同窓会事務局長;七澤福富
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2024年10月15日 富士山は日々冬に向かっています。

2024年10月14日 コスモスが満開。自宅の近くで。
2024年10月12日
以前は毎日この辺を歩いていましたが、最近はさぼりがちで「男心と秋の空」です。気が向いたら歩く、これではいかんと思っていますが・・・
2024年10月11日
青い空、地には緑、秋ですね。

2024年10月10日
小生毎日元気がないので、見かねて家内がこんなものを作ってくれました。子供じゃあるまいしと思ったんだけど、よくよく見ると可愛いね。


2024年10月9日 水平線の雲は天と地の境めかな?今日は天気悪いです。
2024年10月8日稲の根を耕しています。7日16:58写す.
今日のゴルフ雨のため中止になりました。

2024年10月7日 黄色の雲出現する。 6日17:00写す。

2024年10月6日 黒い雲の下から日の出

2024年10月5日 くすぶっていた空も青空が

2024年10月4日 しらさぎもお友達、近づいても逃げません。

2024年10月3日 稲刈りも終わり、雲も穏やかな平穏な姿。

2024年10月2日
6月5日の母校での講演会では、同級生、同クラスのメンバーも数人参加してくれるとのことです。
山梨には4日の朝行き、講演会(約900名)の事前打ち合わせを午後する予定です。また、山梨にはワイフも同行予定ですので車で行こうと思っています。なお、6日には甲府(湯村)にて昭和32年度機械科卒合同のクラス会(M32会)が予定されております。
※講演は「電界放射形電子顕微鏡」と「IEEEマイルストーン」の受賞について。
『 (株)日立製作所、(株)日立ハイテクノロジーズが電気、電子、情報、通信分野の世界最大の学会IEEE*より「電界放射形電子顕微鏡」を実用化した功績により「IEEEマイルストーン」の認定を受けました。
IEEEマイルストーンは、開発から25年以上が経過し、社会や産業の発展に多大な貢献をしたと認定された歴史的偉業を表彰する制度で1983年に制定された制度です。日本では1995年から16件目の認定ですが日立製作所にとっては初めての受賞です。
受賞対象となった「電界放射形電子顕微鏡」は、1970年より小生が最初の一号機から長年にわたって中心になって開発してきた装置です。その後の開発は日立の多くの研究者や技術者に引き継がれ、弛まぬ努力の成果は現在でも世界のトップシェア―を保持しており、那珂事業所の中心的な製品に育っています。
この授賞式には栄誉な事に開発者代表として小生も招聘され、初めての受賞を喜んでおられた日立の中西社長や日立ハイテクノロジーズの久田社長と一緒に式典に臨みました 齊藤 尚武(E32)
2022年4月12日
新年度になって母校では信任式や始業式そして入学式が行われる。
そのあと新入生はこわい応援団員から校歌や応援方法を徹底的にたたきこまれる日々が数日続く。
その時には声が枯れて出なくなる生徒もいたり、中には涙を流すものも少なくないらしい。
我々の時もそうだったように甲府工業の伝統と魂をみっちり叩きこまれ、何事にも動じない強い甲工生に育てあげるのが目的だそうだ。
本部同窓会においても6月4日(土)に総会・懇親会が行われ新年度の幕あきとなる。例年4月に行なわれて来たのでこれもコロナ禍のせいか。
わたくしたちも母校の生徒たちに負けないよう、健康に注意していつまでも元気でいられる親父になりたいものです。

2022年4月10日菓子大手のシャトレーゼホールディングス(甲府市)は7日、グループの新たなシンボルマークを発表した。
「ユニクロ」のロゴマークなどを手掛けたクリエイティブディレクターの佐藤可士和(かしわ)氏がデザインを担当した。
マークのコンセプトは八ケ岳や富士山など風光明媚(めいび)な山々に囲まれた山梨の土地に建つ、大きな屋根のお菓子の家をイメージ。
焼き菓子や大地、収穫の恵みなどを思い起こさせる「シャトレーゼブラウン」を企業カラーに選定、店舗や工場、ホテル、ゴルフ場など
グループ施設で活用し、一体感を明確にする考えだ。
斎藤寛会長は「世界市場を狙う段階に入った。世界中のお客さまに親しまれるブランドとして新たな一歩になることを期待している」とコメントした。
小生が甲府工業の頃、中込百貨店の脇で甘太郎(大判焼き)を売っていたころを思い出す。

2022年4月4日
小生の自宅から10分くらいの所(水戸市城東)に第19代横綱 常陸山の生誕地があります。
水戸市城東
角聖、米国に相撲を伝道するためワシントンで土俵入りを行う。
その時の黄金の太刀(金彫師、北川北仙=
常陸山は「(株)川村製餡所」の敷地内で生まれたが、現在は10mほど移動して建立されている。 川村直也氏談

写真は水戸市のマスコット「水戸ちゃん」
2022年3月28日
“お札の中の山梨”再発見 逸話たっぷり銀行資料館
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R身延線(市川
平成25年4月 村上博靱(E33)
山梨県市川
乗車券や定期券を発券などの業務を開始する。
身延線
7駅とは 甲斐上野、芦川、市
昔から身延線沿線には甲府工業生が多く、通学に身延線を利用していました。私のクラスだけでも12人いました。
身延線の前身は富士身延鉄道と言い甲州財閥の小野金六(
写真は身延線用に製造された日立製作所製の電気機関車。,
syouwa

当時の車両が日立製作所水戸事業所(ひたちなか市)に展示されています。
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2022年3月23日 甲州街道宿場巡り 故郷再発見 平成30年1月 広瀬英貴(M35)
1.初めに 日立電鉄ではこれまで「東海道」「中山道」「日光街道」の宿場巡りを催行してきた。
今回その第4弾として「甲州街道」が企画され、宿場巡りの常連の同期生より、“広瀬のふるさと山梨を案内してくれ”と。今さらゴルフの方が楽しい、とは思ったが、75歳に達した記念にと「ふるさと再発見」に挑戦いたしました。
山梨で18年暮らしたとはいえ、甲府工高へ塩山~甲府間を電車通学したくらいで、当時は 甲府以西にほとんど行ったことがなく、今回のツアーに参加して初めて、歴史を感じながら、 故郷山梨の美しい景色に心ひかれた次第です。
“ちょっくら よっていけし”の村上会長の郷土愛に見習い、これからも機会ある度に“ふるさと再発見”を続けていきたいと思う。
2.甲州街道の概要紹介と感じたこと
(1)江戸幕府による参勤交代で発達した5街道(東海道・中山道・甲州街道・奥州街道・日光街道)いずれも日本橋を起点と
している。甲州街道は信州の3藩(高島藩・高遠藩・飯田藩)のみが利用した。甲斐の国は武田家滅亡後、徳川直轄領となり参勤
交代は該当外であった。
(2)甲州街道は江戸城に危機が迫った際の生命線として、服部半蔵が率いる伊賀衆が警備していた半蔵門から甲州街道に入り、
内藤新宿で「百人組鉄砲隊」、八王子で「千人同心」を従え甲府城に入り、富士川の舟運で一気に駿府に抜ける主要路として整備
されたといわれている。
その後、甲府から下諏訪まで延長され、44ヶ所の宿場が設置された。
(3)物流と通信網の要所として整備された甲州街道は、現在の国道20号線へと発展し、更に今や中央高速道路が開通して、東京
への交通を飛躍的に発展させ、山梨県の産業発展に大きく寄与しているのはご承知の通りです。
(4)道中、笹子峠が一番の難所、旧道はバス通行不可のため、峠入り口と出口側のみの散策となった。また、甲府以西特に韮崎や
北杜市、峡北地区の自然・景観の良さ・歴史に興味が湧く。今や北杜市は住みたい田舎日本一になっている。また道中、富士山が見え
るたびに、バスの中に歓声が沸いたが、帰路、小淵沢~韮崎付近より遠くに見える富士山がまた感動的でした。
(5)甲府盆地に入れば、宿場と言うより武田信玄公にまつわる史跡・名所の観光が重点となった。恵林寺(甲州市塩山) 武田神社
(甲府) 武田八幡宮(韮崎) 信玄堤(釜無川)など。
(6)「旅は道連れ 余は情け」のことわざ通り、日立電鉄 四季の旅バスツアーに参加した仲間の皆さん、道中で出会った人たちと会話
しながら、古い時代の面影を残す町並みを散策して歴史を学ぶことが出来たことは、後期高齢者にとっても一服の清涼剤となり、有意義
なものであった。
(7)全6回共、好天に恵まれ高齢者にとっては助けられた。また、参加者25~28名中、女性グループが2/3を含め、始終和やか
であった。中には、世界中を旅している80歳近いご婦人もいて、大いに刺激を受けた。
(8)時代とともに古い建物は改修や取り壊されているが、街道沿いには多くの案内板、記念碑、歌碑、馬頭観音等が建立されて昔の
面影を残している。「百聞は一見に如かず」皆さんもどうぞ一度、国道20号沿いをドライブして、当時に思いを馳せてみませんか!
写真は甲州街道20号線沿いにある「小原宿本陣」。江戸から数えて9番目の宿場で小仏峠を前にして重要な宿場でした。

2022年3月20日 松井昌美(A34)
誌上でこんにちは。「お茶でも飲んでけし」2月13日掲載の甲州人国記・作家、ギタリストでもある深沢七郎を読んで改めて興味を持ちました。
私は「楢山節考」は長野県出身の人が書いた、と思い込んでいましたので、山梨県境川村と知ってん!と引っ掛かったのです。何故ならば
私の母は川中島出身なので、小さい頃から中央線の姨捨駅を知っていました。
眼下を長野平野が広がり、手前には有名な「田毎の月」が見られる段々畑があります。そして何時からか姨捨山は何処にあるのだろう。
と周りの山を漠然と見ていました。「楢山節考」の映画は1958年おりんに田中絹代、1983年には坂本スミ子が演じて何回も見ています。
何処かに何か引っ掛かっているものがあったのです・・
今日自分なりに理解出来ました。深沢七郎は民間伝承の棄老伝説を題材に舞台は山梨県境川村大黒坂だと。深沢七郎についてまだ知りたい事が沢山ありますが、ぼちぼちと資料を読んで行きたいと想います。
山梨県に素晴らしい作家がいたのですね。お茶でも飲みながらゆっくりとお話が出来たら良いのに。掲載して下さり有り難うございました。
2022年3月19日
愛宕山界隈を散歩して 村上博靱(E33)
去年、甲府へ行った時、時間があったので、愛宕山の界隈を散歩してきました。
昔から気になっていたので一度ゆっくり歩いてみたかったのです。
何故って言われるとほかでもありません。
紺のセーラー服とエンジのネクタイ英和高生徒にあこがれた青春時代を思い出したからです。
当時、甲府二高や湯田高の生徒とは、身延線通学でさほど気にせず話しかけられたが、英和高生となるとちょっと違いました。
「ミッションスクールのお嬢さん」というイメージが強かったので、なかなか近寄りがたく、意中の生徒とは結局3年間一度も話せず終わってしまいました。
そんななか、親友の網倉さんは甲府工業の生徒会長や弁論部の部長ををやっていたので、いつも英和高生と気軽に話してる姿を見て、うらやましかったですね。
今考えれば、あの頃は話も出来ない、ウブ?な自分だったんだなぁーと思いました。
あれから60数年。時の経つのははやいものです。いまや傘寿を過ぎて、やけに昔を偲び英和高校の周りを歩きたいと思った訳であります。
目的を達成した気持ちは、真夏の夕立見たいなモノでした。
舞鶴城から見た愛宕山

山梨大学工学部の和田智志教授(49)らのグループは、廃棄時の土壌汚染が心配される鉛を使わない新たな「圧電体」の素材の開発に、世界で初めて成功した、と発表した。| 東京スカイツリー設計陣に土屋哲夫さん(勝沼町出身)再び甲州人の手で「内藤博士の意思」継承 世界一高い634メートルを目指して東京都墨田区で建設中の「東京スカイツリー」の設計に、甲州市勝沼町下岩崎出身の土屋哲夫さん(40)が携わっている。半世紀以上にわたり国内最高で、完成当時は世界一を誇った東京タワーの設計を手掛けた南アルプス市櫛形町出身の内藤多仲に続き、“最高峰”の建築に再び甲州人がかかわっている。 新たなランドマーク建設で課題となった狭い敷地は、日本の伝統的な建築技術を応用した耐震性の強化でクリア。地面の三角形が次第に円形となる形状は先端ノウハウを生かした。「内藤多仲先生も当時、最新技術を駆使したと思う」という土屋さん。技術の粋を集めたこだわりは塔博士と同じだ。 建設現場の約200メートル東にある墨田区押上の京成橋は、展望スポットとして平日でも混雑。見物客が写真撮影する姿を見ながら、土屋さんは「東京タワー(333メートル)を超えてからお客さんが増えたようだ。多くの人に見られるのは、うれしい」と目を細める。 土屋さんは、駿台甲府高を卒業後、東京大学、同大学院に進学。東京タワーも手掛けた日建設計(本社、千代田区)に就職した。スカイツリーの設計には社員約20人が中心となってかかわり、土屋さんは建物のデザインや建物内部の仕様を手掛ける意匠設計チームのリーダーになった。 高さ634メートルの計画に対する最初の印象は「本当に立つのか」だった。超高層建築物は通常、底辺と高さの割合が「1対5」程度とされるが、建設予定地(約3万7千平方メートル)が細長い地形のため底辺は68メートルで、割合は「1対9」という厳しい条件だった。 耐震性を増すため地下約50メートルまで支えのコンクリートを埋め込んだほか、建物の中心に柱のように立つコンクリート製の構造物を、鉄骨パイプが覆う二重構造にした。中心の「心柱」と周囲の梁(はり)などで成り立つ法隆寺五重塔の工法を応用し、中心部と周囲が異なる揺れをすることで、大きな地震にも対応できるような仕組みにした。 デザインにも趣向を凝らした。タワーの断面は地面が「最も安定感がある」三角形で、高くなるに連れて丸みを帯び、最後は完全な円形となる。日本刀のそりなどをイメージした鉄骨パイプを組み合わせることで特殊な形状を実現。「工事をする人は大変だが、最初から造りやすい形では面白くない」とこだわりを見せる。 日建設計が内藤多仲と協力して設計した東京タワーの図面も見たという。「内藤先生はわたしにとって教科書の中の人物。意識することはなかった」と振り返るが、「東京タワーもスカイツリーと同じように最新技術を駆使したと思う。その点では内藤先生と同じかもしれない」と話す。なお、高さ634mは「武蔵」と覚えやすい。 |


私が初めて 清里高原を訪れたのは、今からちょうど56年前( 昭和32年)高校三年生の夏休みである 。その当時の清里駅前には、人家は殆んど数えるくらいしか無かった。
口野道男さん
七十九歳になる慶大名誉教授前島信次は、『アラビアン・ナイト』(平凡社・東洋文庫)全十五巻完訳の筆を執り続けている。英訳本や仏訳本からではなく、原典からの翻訳だ。四十一年に第一巻を出し、いま十二巻。
前島と東大東洋史の同僚に、お茶の水女子大学長をした中大教授市古宙三(69)。
四十八年、国連本部の総会に民間代表として出席した大木は、ロビーでの自由討議に走り回る。「その折、国際人を育てねばと痛感した。
「美術学校へ行くほど絵は下手ではなかった」。独学の絵はパリ下町の哀歌ととらえ、聖書に題材をとり、ドン・キホーテを描く。「自分がドン・キホーテだから」。天衣無縫を気取るが、「女房に監視されながらパリでは一日十時間は描きます。
水温二十八度。甲府スイミングクラブのプールで、英和高三年輿水秀香の十八歳の体が、水に溶け、水を切る。「水に入ると魚になったような感じです」。
『謀殺・下山事件』の著書がある元朝日新聞記者、富士見育ちの矢田喜美雄(70)が、早稲田時代、走り高跳び五位に入賞したベルリン・オリンピックから、もう半年近い。
佐野は石和町の旅館の末っ子。小学校五年の時から親元を離れ、
(敬称略)資料;朝日新聞
旧制日川中出身の曽根崎の後輩に、詩人の杉田巌(57)や石原武(52)。杉田が初代理事長となった山梨詩人懇談会には、七十人の会員。
甲府サドヤ醸造場は、明治年間の倒産ブドウ酒会社を引き継ぎ大正六年の創業。世界中の八十四種を集め、ワイン造りの十余品種を精選、栽培した会長今井友之助(72)の研究が、サドヤワインの名を高めた。
大蔵省関税局長をした副社長の吉田富士雄(58)は、「南アルプスからの水が実にいいんです」。旧制甲府中出身の吉田は、東大法学部で知事・望月と同級。
詩人土橋治重(73)の第六詩集に、『サフランシスコ日本人町』がある。果樹農業を実地に体験しようとカリフォルニアに渡った父の後を、大正末、旧制日川中四年の土橋も追った。
甲州・山の民の英雄武田信玄。十五世武田昌信(65)は、東京農大に勤める気さくな庶民だ。法務省暮らしが長く、甲府地方法務局の人権擁護課長もした。
甲州には昌信を最高顧問とする「武田家旧温会」があり、会員三百人。相談役は『定本武田信玄』の歴史家、山梨大名誉教授磯貝正義(70)。
山梨日日新聞、山梨放送社長の小林茂(59)は、山梨郷土研究会長でもある。複雑人間である信玄研究のおもしろさ。郷土佐藤八郎(73)は、信玄は戦国武将の中でぬきんでた詩人です。
十年前、舞台の奈落への転落が参議議員八代英太(45)の人生を変えた。背骨の中の神経の束が切れた。再びつなぐことは出来ない。立てず、歩けず、排せつも思うままにならない。車イス人生のスタートである。
その八代に、参院全国区の新選挙制度は、弱者、少数者の声を締め出す「ファシズムへの突破口」と映る。「優秀人種」を呼号し、「壮健な兵士」づくりを国是としたのが、ナチズムであり日本軍部だった。
たった一つの命は自分で守るしかねえ。貝原益軒が『養生訓』で、毎日の生活で健康に悪かったと思うことはよして、良かったと思うことだけをやりなさいといっているが、よしあしは十人十色。
千葉大学医学部教授時代から、「天衣無縫(てんいむほう)の銀ラッパ」のあだ名。「戦前、アルコール性肝炎なんてのはなかった。ありゃあっ安酒に入ってるきょう雑物でなる薬餌(やくじ)性肝炎だよ、君」
奥秩父の山中からやがて甲府盆地を流れ、富士川に注ぐ笛吹川は、みやびた名にも似ず、しばしば大きな水害をもたらした。
詩の道を稲村は歩いて来た。県立蚕業学校を首席で出た篤農青年は昭和初期、農民運動で投獄される。「お正月に刑務所ではタイの切り身や、リンゴが丸ごと出た。村では食べたことのないごちそうでした」。
の旗をふる。会員の一人、小沢春雄(61)は通信機械工業会専務理事。
文化放送会長、全国朝日放送会長で放送界にも大きな発言権を持つが、なんといっても「豆単の赤尾」のイメージが強烈だ。旺文社社長の赤尾好夫(75)。
「小林中さんに『山申会』入りを勧められ、私は財界人じゃなく出版人だから入りません、と断ったら怒られた」と笑う。少年のころから「文章で身を立てよう」と思いを定め、外語時代は校友会誌にファシズム批判の巻頭論文を書いて学生課長に注意された。クレー射撃の名手で、猟にまつわる近著『猟人夜話』を川上徹太郎は、「一芸の達人文章」とほめている。
「七十五を過ぎると人生余禄ですよ。念頭には毎年、声の遺書を吹き込む」。昨春、「親不幸をした」母親の生地
小尾は国語教師として教壇に立った経験を持つが、国語教育の推進者が須玉町出身の輿水実(75)。国立国語研究所の名誉所員だ。


て
敗戦後の若者たちが背負った重荷と哀切を、木村功演ずる犯罪者を通して描いた映画『野良犬』。
おとぎの国の館めいた東京・品川の本社で辻は、六千種類という商品の地域別、時間別売上高を見分けたりするコンピューター工房の「王様」めいていた。
黒澤明の『七人の侍』で若い農民・利吉を演じた土屋嘉男(55)は、「同郷の菊島さんと一緒の仕事がやりたいですね」。塩山市上於曽の旧家に育ち、「父は私が医者をやっていると思っていますよ」。
三浦友和、178cm浅黒く引き締まった童顔だが、青春俳優も三十一歳になった。父親は駐在所のお巡りさん。「八歳までの間に大菩薩嶺のふもとを四回も転勤しました」。
多くの若者のように、三浦も挫折を体験している。高校を出て日本電子工学院に進むが、中途で勝手にやめた。「いまは学歴の世の中だ、なんとしても大学へ、という親たちの期待を見事に打ち破ってしまって」。フォークグループに出入りして芽を出す。
「愛なんてきれいごといったって、なんていうのが流行だけれど、愛の真実はいつの世でも変わらないじゃないでしょうか」。映画『E・T・』の子どもの心情に打たれた。「やりたいものと、見にきてくれるものの接点を探っています」と俳優設計を模索中。
山深い山梨県から、高名な水産学者が出ている。日本学士院会員、東大、名大名誉教授の雨宮育作(93)だ。東京・駒場の東大教養学部のすぐ近くに住み、「もう悠々自適、友達も亡くなっています」。
「今は汚れちまってダメですけれど、少年時代は河口湖の水を飲みながらお昼を食べました。冬は全面結氷の湖でげたスケートで滑り、氷の下からワカサギ釣って」。
標高千メートル、富士山おろしが雨戸を鳴らして、陸上自衛隊北富士演習場ゲートわきの「入会小屋」は寒かった。
スゲがさにカスリのモンペ姿で、「富士を撃つな」「入会地の横取りを許さず」と、着弾地への座り込みをした北富士の女たちの猛女ぶりは、全国に有名である。
「それにしても、闘争は気楽でないともたねえですよ」。天野の「おんな宿」の研究が、母の会づくりに結びついた。「女族の方が強いねえ。(敬称略)資料;朝日新聞
「山申会」のメンバーの一人が、日本電気(NEC)会長小林宏治(75)だ。総合エレクトロニクス(電子技術)産業トップメーカーへの基盤固めをした、実力者会長である。
父は小学校校長だった。無公害のNEC工場は各地引っ張りだこ。小林は、コンピュウータ通信システムが村と大都市をつなぐ
「私たちのロボットはユーザーの必要から生まれた。お上意識でロボットを作るのと、利用者の要請にこたえて作るのでは大変な違いですよ」と、業界大手の「知名度」に闘志を燃やすのが、大日機工社長の河野敏旺(43)。社是なし。タイムレコーダーなし。給与は自己申告。週休三日制。「自由に、フルに、能力を生かすのがモットー。技術はブランドや学歴じゃありません」。月産二百五十台体制を確立し、二百人の若者がロボット作りに取り組む。
東京生まれだが、父が勝沼町の出身。「私は甲州への出稼ぎ。武田信玄にならって、甲府から世界市場に攻め込みますよ」といった。
(敬称略)資料;朝日新聞
所得倍増論の池田勇人元首相とつながり、「高度成長の演出者」「裏の財界総理」といわれた石和町出身のコバチューこと小林中・元日本開発銀行総裁が一昨年死んだあと、甲州財界人の集まりである「山申(さんしん)会」の中心は、水上達三という格好になった。「オレたちゃあ山ざるだ」の甲州人一流の自虐(ぎゃく)が命名の由来。
敷地二万数平方メートル。都心の森の美術館に、『那智滝図』はじめ国宝七点、重要文化財七十七点、重要美術品九十二など美術品七千三百、発掘陶磁片一万百。「高名な学者が『写しもの』とけなした絵でも、父は自分の面識買って『もうけたよ』といっていました。
先代根津に見込まれたのが、早大を中退し故郷で禅坊主と碁など打っていた小林中だ。根津が社長をしていた富国徴兵保険の部長にすえ、小林は三代目社長となった。一方、「レジャーの総合経営」をうたう後楽園設立に小林一三は力を入れ、異母弟で塩山市の田辺宗英(故人)が社長をした。現社長の保坂誠(72)は瀋陽で生まれ戦後、塩山へ引き揚げた。「役割は上手な遊び方の手助け役ですよ」(敬称略)資料;朝日新聞
甲州を愛し、晩年まで気心の知れた仲間らと甲府市の湯村温泉郷を訪れた作家、井伏鱒二(1898~1993)。
昨年の晩秋、日本貿易会会長の水上達三(79)は小半日、故郷の山を眺めて来た。水上の故郷は、南アルプス・甲斐駒ケ岳のふもと、北巨摩郡清哲村(現
ハヤブサの鋭さは、温和な表情に変わったが、国際経済摩擦も深刻化する中でまだ自適にはほど遠い。毎朝五時に起きて、ラジオニュースを聞く。
江戸風の着流し姿で、文士熊王徳平(76)は、文机を前に端座していた。富士川に臨む南巨摩郡増穂町青柳下の下町風の二階家。文筆生活六十年。
「田舎文士」を自称するが、率直、簡明な熊王文学のファンは少なくない。十四歳で継いだ床屋を三十五でやめ、『狐と狸』に描く。二度映画化され、甲州行商人の生態を通して、欲と色の人間模様をすかし浮き彫りにした。
小佐野賢治(65)。運輸、観光、不動産の四十社、二万人を擁し、年商三千五百億円の国際興業のオーナー社主。ロッキード事件の被告人である。
「山地区の純収入は、年間一戸三百万円はない。甲州はまだ貧しいさ」と賢治。急逝した片腕とも頼む二人の弟に話が触れると、目に涙をにじませた。『お茶でも飲んでけし』 令和4年2月18日
村上様
誌上でこんにちは。「お茶でも飲んでけし」2月13日掲載の甲州人国記・作家、ギタリストでもある深沢七郎を読んで改めて興味を持ちました。
私は「楢山節考」は長野県出身の人が書いた、と思い込んでいましたので、山梨県境川村と知って引っ掛かったのです。何故ならば私の母は川中島出身なので、小さい頃から篠ノ井線の姨捨駅を知っていました。
眼下を長野平野が広がり、手前には有名な「田毎の月」が見られる段々畑があります。そして何時からか姨捨山は何処にあるのだろう。と周りの山を漠然と見ていました。
「楢山節考」の映画は1958年おりんに田中絹代、1983年には坂本スミ子が演じて何回も見ています。何処かに何か引っ掛かっているものがあったのです・・
今日自分なりに理解出来ました。深沢七郎は民間伝承の棄老伝説を題材に舞台は山梨県境川村大黒坂だと。深沢七郎についてまだ知りたい事が沢山ありますが、ぼちぼちと資料を読んで行きたいと想います。
山梨県に素晴らしい作家がいたのですね。お茶でも飲みながらゆっくりとお話が出来たら良いのに。掲載して下さり有り難うございました。
松井昌美
令和4年2月16日

甲州方言まる出しの七郎さんは、作家の深沢七郎(69)だ。四十二歳の「厄年」に書いた小説『楢山節考』は、「恐るべき小説」と文壇に衝撃を与え、続く長編『笛吹川』で、武田家三代統治下の庶民生活流転の相を描く。
「ポイと家の塀を乗り越えて男に会いに行った家の女中」の生命力に共感し、中学生の深沢は「貧乏人の糸織り工女とだけ付き合っていたよ」。
『お茶でも飲んでけし』 令和4年2月12日

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資料 山梨県人会連合会

