自分の非を認めたら即謝ることの大切さ。
市野沢 伊司著 [六十歳の成人式]より
日立製作所水戸工場に勤務していた頃、仕事の中で設計の立場から現場の組長さん(先輩)と大喧嘩をしたことがある。
しかし、一晩の冷却期間を置くと(振り上げた拳をそのまま十数える)自分の非に気づき、相手の言い分にも理があることに気がつくものである
そういう時には、出来るだけ速やかに「悪かった!」と謝ることだ。
相手は「そうだろう!お前が悪かったろう!」と言う人はいない。
「俺も悪かった」となるものだ。
こういう関係の人はお互いに永く付き合える友人にと思う。
そういうお友達が何人かいます。
自分の非を認めたら謝ることの大切さを体験した例として『天つゆ』事件がある。
時に平成15年11月6日、所は山梨県の石和温泉・ホテル八田における出来事でございます。
秋も深まった11月初め、県外研修として瓜連町青少年相談員及び教育委員会関係者15名が参加し、甲府市内の児童自立支援センター
「甲陽学園」を訪れ、夜はホテル八田に泊まりました。
ホテルでの宴会の席では、盛り沢山の料理が載ったお膳の上に天ぷらと天つゆの入ったお皿も当然のように配膳されてありました。
宴会が始まる前に私と隣の席の仲間は“天ぷらは最後にごはんと一緒に食べよう”ということで、天つゆだけを隣の仲間はお皿の下に、私はお
膳の下へ置きました。
しばしの後、酒も十分に飲み宴会も終わり、皆でご飯を食べることになりました。
ところが、私と隣の仲間の天つゆがないと二人で騒ぎだしたのが事の始まりです。
若い配膳担当の仲居さんが「確かに全員の分を用意したのですが・・」と釈明するも、二人は見つからないと言う。
次に、仲居頭の宇野さんが様子を聞きに来ました。
隣の席の仲間は、お皿の下に天つゆを置いたのに気づき騒ぎにはなりませんでした。
私は酔った勢いと若い仲居さんに息巻いてクレームをつけた手前、頑張り通してしまったのです。
「天つゆを今からつくりますのでお待ちになってください」と言うのに対し、「待ってられない!醤油を持って来い!」と言ったようです。
結局、醤油挿しを持ってきていただき醤油をつけて食べました。
食事も終わりみんな部屋に戻り、私もついて行きました。
でも途中で、「いや待てよ。このまま帰ってしまって“旅の恥は掻き捨て”としてしまうことが出来るが、逃亡中の犯人が何時捕まるかという心
配が頭から離れないのと同じように、一生気にしながら生きて行くことになるかもしれない」と思い一種の恐怖感を抱いたようです。
勇気をだして正直に謝った方が楽になるという気持ちが湧いてきました。
宴会場に戻り「先程の仲居頭の宇野さんは居ますか?」と聞くも、どこかに行って不在とのこと。
「呼んできてください」と頼みました。
間もなく彼女が戻って来て「お客様にご迷惑かけたので、お二人分の天ぷらと天つゆ作りお部屋の方へ運んでおきました。
また何か不手際があったのでしょうか?ご迷惑おかけしたことをお詫びいたします」とおっしゃられた。
私は慌てて「謝らねばならないのは私の方です。実は天つゆをお膳の下に置いたのを忘れていて、あのような態度を
とってしまいました。私の大きな間違いです。お許しください。」と謝りました。
その時の彼女は「お客様の間違いは私どもの間違いです。よく本当のことを言って下さいました。
お客様が自分の非を認めた勇気をだしておっしゃっていただいたのは初めてです。
私も本当にうれしいです」と両手でがっちりと握手したのです。
明けて11月7日は、昨日の曇り空が嘘のように晴れ上がり、昇仙峡の山々の紅葉が一段と映えて見え、途中で見学 した水晶の輝きがさらにきら
めいているように思えました。
帰町してから、感謝とお礼の気持ちをこめてホテルへ手紙を送りました。
その後、ホテルではこのお手紙がしばらくの間、掲示板で紹介されたそうです。
今どき、このようにお客様を大事にしようとする接客態度には、なかなか遭遇する機会が少ない(皆無?かも)と感じ紹介する次第です。
“旅の恥は掻き捨て”をしなくて良かった。(終)