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2019年6月12日                                       木本土八(E39)

毎年恒例の女房の兄弟姉妹旅行を(6組夫婦  11名)6月8日~9日に行いました。
初日は韮崎に朝集合でしたので、私達夫婦は前日に山梨入りをして実家に泊めてもらいました。
7日(金)は早めに車で日立を出てまだ行ってなかった「山梨県立美術館」でミレーの絵画を鑑賞してから実家に向かいました。
8日(土)の初日は貸切り観光バス(中型)が実家前迄来て、そこから長男(86歳)夫婦と一緒に乗り込み韮崎駅で横浜組(義兄  小野勝[E31卒]を含む2夫婦 4名)等も合流全員揃い旅が始まりました。
1日目
 韮崎駅→中央道諏訪南→北八ヶ岳ロープウェイ(残念ながら濃霧の為蓼科淡水魚水族館に変更)→昼食(信州信濃蕎麦を堪能)→上田城(真田一族の城)→北向観音→別所温泉泊
2日目
 別所温泉→美ヶ原高原美術館→白樺湖(雨模様で通過)→昼食(ネットで探してイタリアン料理の店を急遽予約、料理も時間と品名を伝えて到着してすぐ食べられました)→諏訪南から中央道→実家のお墓(全員と甥姪家族も合流)→実家でお茶を頂きながら各家族の近況報告を和やかに2時間→散会
私達は帰り中央道小仏トンネルから25キロの渋滞を乗り越え5時間かけ午後9時30分に日立に帰宅しました。
今年は久し振りに全員が揃い多少雨の時間も有りましたが、臨機応変に対応して無事に楽しく旅行を終えられました。



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2019年3月17日

H30 年度東京同窓会横浜部会報告


国会議事堂(衆議院)・憲政記念館見学会、新宿「黒門」訪問

   平成 30 年 12 月 8 日に横浜部会として、国会議事堂(衆議院)・憲政記念館見学会、忘年 会を行いました。今回の会場を提供して頂いた中村公彦様(E57)、何から何までお世話に なりました奥様のご厚意ご協力を頂き、16 名の参加を得て開催することが出来ました。 国会議事堂 当日、待合室から中庭を抜けて、最初 に、案内された場所は「本会議場」です。 中央上部にあるカーテンが掛かってい る場所は、天皇陛下がご来場された際に 使用される「御座所」です。議長席の真 上にあります。右の写真は、テレビでよ く見るお馴染みの議長席周辺です。 次に向かった「御休所」は、天皇陛下 が国会に来られた際にお使いになる部 屋です。部屋のドアは、贅をつくした造 りで一枚の巨大な大理石をくりぬいて造っているそうです。その隣には皇族専用の休憩室 があり、室内の天井の装飾や菊のご紋章の入った調度品の素晴らしさに目を奪われました。 さすがに立派です。そして赤い絨毯が敷いてある廊下を通っていると、部屋の前に「自民 党」とか書いた古木の看板がありました。

そして、国会議事堂内で最後に訪れた のが「中央広間」、 伊藤博文・板垣退助・ 大隈重信、議会政治確立に功労のあった 3名の銅像が三方向に立っています。 広間は正方形で、各隅に4つ台座があり、 銅像は3つなので一つは空席です。理由 はいくつかあるみたいです。この広間は
かなり広く、天井も高く法隆寺の五重の 塔がすっぽりと入る大きさです。その四 隅には、油絵で春夏秋冬と四季折々の風 景が描かれています。国会議事堂の建設にかかわる説明を聞いて、当時の日本の建築技術 はすごいと改めて知る事が出来ました。正面前の各都道府県から送られた木を植えている 遊歩道を眺めながら見学会は終了しました。久しぶりに訪れた今回は、この場所で日本の
政治が動いているのだと改めて実感しました。
憲政記念館 1 階で、本会議場の疑似体験もできました。 2 階には幕末から明治維新までの歴史上の 人物などの書物が陳列され、歴代首相の色紙 もありました。 右の写真の一番右が現在の 安倍首相、左側はその前の首相、野田さんで す。順次左側に遡って見ることができます。
歴代首相の功績も理解できましたし、吉田 茂・鳩山一郎などの声をテープで聞けるなど、 体験をとおして政治の知識を学ぶことがで き、改めて政治の歴史に興味を持ちました。当時の本物の資料や、映像検索コーナーでは 有名な政治家などの音声や映像を見聞きできます。 新宿「黒門」訪問 (忘年会) 保坂常任の名司会により会員同士の親交 を深め楽しく大いに盛り上がり和やかな忘 年会となりました。会員 16 名の参加を頂き、 賑やかに開催する事が出来ました。 今回は、㈱銀座ナカムラ代表取締役中村公 彦様(E57)の経営されている新宿「黒門」 で奥様手作りのおでん、たっぷりのお酒、気 持ちのこもった料理、締めのラーメンまで美 味しく、奥様(甲府西高卒)の気遣いとご一緒
に堪能させていただきました。中村社長には業務ご多忙の中、奥様にも同席頂き、学生時 代の話、飲食業を立上げた話、お二人の馴れ初め話も語って頂き、ふるさと山梨の話題で 盛り上げてくれました。テーブルの料理に舌鼓を打ちご馳走になりました。お陰様で大変 和やかな懇親会となり、終了後、出席者の皆さんからも喜ばれ大好評でした。 後輩中村社長の頑張っている姿を拝見し甲工同窓会の誇りと思います。これからも宜しく お願いいたします。 後 記
同窓会活動の総会、東京・横浜・応援の各部会で、大先輩の神田二男(C22)、金丸吉夫(M24)、
乙黒勝(C30)、谷山三晴(C30) 様に何かとご参加頂き、講演、応援、激励を頂き、その都度 大先輩の元気なお姿にお会いでき、役員一同も大変感動しておりよく話題になり、私共後 輩たちの目標と励みとなっております。改めて感謝申し上げます 来年度も、地区部会を継続し先輩後輩と会員相互の懇親の場と考えています。 引き続き東京同窓会発展の為にご支援・ご協力をお願い致します。
(記:事務局 髙谷正紘


2019年2月4日                                                                                                                               


2019.1.27





2019年1月21日

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2018年11月13日
青春讃歌「五葉会 (山岳部OB)」に幸あれいついつまでも
甲工同窓会には五葉会という会が他にもあると聞いていますが、私の所属している五葉会は出岳部OB会です。
少しだけ興味をもつて読んで下さい。こんな会があるのです。
今から遡ること59年前のお話しです。当時、部活に入りたくても女子生徒の部は無く、また遠距離通学の事もあり悩んだ末、山岳部に入部しました。二年生の春でした。
部長は保坂善昭さん、顧間は藤田先生、石川先生、笠井先生でした。
部員は20名 位いたと思います。4月の新入生歓迎登山は残雪の入笠山。
登山知識の無い私はズックとジャンバー姿で雪に足を滑らせながらザイルで頂上まで引張ってもらつたこと。
雪をとかし熱いコーヒーを飲ませてくれた先輩達。夏の南アルプス縦走。稜線に広がるお花畑。
八ヶ岳連峰の赤岳への集中登山。秋の学園祭の乾徳山登山。なつかしい青春の感動が甦ります。
保坂部長が卒業後、この時の一年生、二年生、三年生と交流が続き、やがてOB会となる五葉山岳会が結成され数々の
活動が展開されてきました。
途中、中断はありましたが平成1411月に当時のメンバーが結集して今の「五葉会」が12人の同士で再発足されました
以来毎年、南アルプス山麓の山行、山里の温泉、新年会、暑気払い等卒業から半世紀を過ぎても心通じる、すばらしい
限りない青春の仲間です。
この五葉会は保坂部長がいる限り続くと思います (長生きして下さいね|)。 私は16才の春に知り合い、それからずつと続いているこの会は奇跡に近いと思つています (それは私が女1人であり、男性ばかりの学校でしたから)
今でも五葉会のメンバーには心から感謝しています。ありがとう青春の人達。私の青春は五葉会と共に更に刻教続けます。
五葉会に幸あれ・いついつまでも。
暮れゆ〈南アルプスの峰々、雪に輝く夕陽が美しい・・・雪よ岩よ青春よ。
  
 
松井昌美(A34H28年東京同窓会誌より

最近の五葉会のメンバー(左から長田さん、松井さん、保坂さん)
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2018年10月15日


今年も女房の兄弟姉妹旅行を行いました。

1日目 (10月6日)
 韮崎の実家から貸し切りバスで出発し途中韮崎市内、甲斐市、甲府駅北口で横浜組(甲府工  E31卒  義兄の小野勝他)と合流しました。その後は昼食を私の甥がオーナーのフランス料理店(甲府市住吉町)でコース料理を食べてから富士五合目に
行きました。
観光客はほとんどが中国人でお土産を沢山買っておりました。
次は本栖湖に行きましたが突然の雨でトイレのみの休憩で宿泊先の下部ホテルに向かいました。
温泉に浸かり宴会を楽しんで初日は終了いたしました。
2日目 (10月7日)
 ホテルから身延山に向かい本院とロープウェイで奥の院に行き参拝をしました、山頂から見る富士山も素敵でしたね。
次は予定を変更して山梨組の進言で[なかとみ現代工芸美術館]で「木喰上人展」を見学、昼食は隣のレストランで
「おだら定食」を懐かしく頂きました。
その後は義兄(長男)が入院している韮崎市立病院に前代未聞の観光バスでお見舞いに行き、3日後に退院とのことで元気な
姿を見て明るく会話が出来ました。
最後は実家でお茶をご馳走になり各自家路つき無事に旅行を終えることが出来ました。
私は前日に車で行き恩師の墓参りと久しぶりに姉に会い夕食を共にしました。
帰りは中央道が29Kの渋滞との情報で長野から群馬、栃木と北関東道を使って帰りましたが5時間半かけ日立に着きました。
年々山梨が遠く感じますね、以上ご報告させていただきました。
木本土八(E39)




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2018年7月10日




高原をかけ廻る乙女達
 甲府工業高校東京同窓会誌へ寄稿  昭和32年度 土木科卒 雨宮 二六 (平成25年5月記) 

私が初めて 清里高原を訪れたのは、今からちょうど56年前( 昭和32年)高校三年生の夏休みである 。その当時の清里駅前には、人家は殆んど数えるくらいしか無かった。日用雑貨の傍らにお土産品を少し並べたお店と、駅から一寸下がったところに木造の旅館が一軒、それに並んで木造の民家が数軒と、別荘がチラホラ見受けられる程度で有ったと記憶している。
駅から歩いて二十〜三十分ほどの所にあった清泉寮へ通じる道路は田舎道そのもので、大きな石がゴロゴロ転がっており、道路脇の木々は埃をかぶって真っ白くとても歩きにくかった 。その道路の両側の林の中には牛や馬が放牧されておりあちこちで顔を覗かせ高原の放牧地帯そのものであった。
清泉寮( ポールラッシュさん経営キープ協会)の周りの林の中には、Hokkido-Cabin.・Tokyo-Cabin-Osaka-Cabin等と名ずけられた別荘風の寮( 現在のコテージ)があちこちに建てられており、ちょうど東京のミッション系大学の学生さん達が大勢訪れ、夏休みを楽しんでいるようであった。
このような山間の中で、清泉寮が主催する夏のカンテイーフアイアーとして当時としては、日本では珍しいクロスカントリーレースが行われるとのことで、山梨・長野をはじめ・東京方面からも多数の選手が参加した。
我々甲府工業高校からも夏休みの合宿訓練の打ち上げを兼ねて長距離部員全員が出場のため当地に赴いた。
我々は、レースの前日に清里入りし、前述の当地ただ一軒の旅館に荷物を置き、休む間もなく、明日に備えて調整のトレーニ ングを行った。 夕食後、精神的な緊張をほぐすため、それ程賑わいもない駅前に、仲間を連れて散歩に出た。 程なくして、暗闇の中で花火の上がるのが目にとまった。近づいて見ると、そこには別荘に来ていた中学生くらいの女の子達( 英和女学院)が花火を楽しんでいるところであつた。
我々は、彼女たちが恐る恐る火をつけているのを見て 、点火役を引き受けることを理由に、その花火を殆んど取り上げた形で一緒に楽しんだ。 花火が終わつて立ち去ろうとした時、 彼女達から「別荘に遊びに来ないか?
と声がかかった。しかし、今回の清里入りの日的が先に述べたクロスカントリーレースである 。「 明日のレースを控えているので 、早寝をしなければならないから」と残念ながら鄭重に断り、その代り明朝ウオーキングの折に寄らせて貰うことにした。 翌朝、約束どおり、上級生三〜四人で 立ち寄ったところ、コーヒーなどを用意して待っていてくれた。静かな高原の早朝のコーヒーを御馳走に預かりながら「今日予定がなければ、クロスカントリーレースの応援に来てくれないか」と頼んでみた。彼女達は 大はしゃぎで「 みんなで応援に行く」と引き受けてくれた。彼女達の予期しない 回答に気を良くしてウキウキしながら宿に戻ると、いましがたの感激が何処くやら 、監督の先生のカミナリが待っていた。 正座させられ「団体行動を乱すような行動は許せない 」と怒られ、昏々と諭された。監督に皆で詫びて、レースの参加は事なきを得た。
さて、いよいよレースである 。御存じの通り、クロスカントリーレースは、野を越え山を越え、小川を超え、牧草地帯や、大きな石の上を飛ぶように走る競技である。
この起伏の激しいコースで 、しかも合宿の疲れも出ておリベストコンデイションというわけにはいかなかった。しかし合宿で十分走りこんでいたので 、距離についての不安は全くなく、どうやらトップ集団についていくことができた。後半に入り、疲れが出てきたあたりで 、旨い具合にあの女の子達の応援が待っていてくれた。黄色い声援のおかげでゴール500m位手前で最後の力を振り絞り前の選手を追い抜き第二位に上がり入賞する事が出来た 。このとき、最後に迫い抜いた相手( 彼は三位)が、なんとその数年前ボストンマラソンで優勝した東京松屋所属の田中茂樹選手であった。何といことだろう 。クロスカントリーレースとはいえ、こんな世界的に有名な選手にまさか勝てるなんて 、とても信じられない事で 、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
 またこんな強い 選手に勝てたことは 、その後の選手活動に力強い自信となって発揮することができた。最近競技会で中茂樹さんとお会いする機会が有るけど田中さんもあの時のことを覚えていて懐かしい昔話に華を咲かせている。
 表彰式では、上空からヘリコプターで来場された高松官妃殿下から直接大きな盾を戴いた。これもまた競技生活でたつた一度の経験で有り感激もひとしおであつた。
表彰式の後、たまたま取材に来ていた新聞記者 山梨時事新聞の駒井さん)が、日頃から面識が有ったこともあり、「あそこにいる、まるで高原に咲き匂うような彼女達を取材して貰えないか」と頼んでみた。これが彼女達の声援に対して自分のできる最高のサービスで有った。 翌日の朝刊に 、ススキや名も知らない 草花が咲き乱れている清里高原を飛び廻っている姿が写真人りで「 高原をかけ廻る乙女達」という見出しで 紙面を飾ってくれた。 またレース後、 林道を歩いてくると、Hokkaido-Cabin等が点在する木陰では、 浴衣に装つた、お嬢さんたちが野点を楽しんでいた。それに見とれながら通りかかった我々に「 お客になってくれませんか」とここでもまたお誘いを受けることになった。お茶の作法も味も知らない連中が正座して御馳走になった 。
日頃、女性にはとんと縁の無い我々が、何故かこの2日間だけは、青春の楽しい想い出を沢山与えてくれた高原で有つた。

   自転車通学と 60 年後の今   秋山豊
◇ 通学の思いで 釜無川と御勅使川との合流近くの家から、御勅使川の水量が少ない時は自転車を担いで渡り、水量の多い 時には国道 52 号線に出て御勅使川架かる橋を渡り六科から県道 20 号線に出て、信玄橋を渡り、竜王、貢川 に入ってからはその時の気分で道を変え、学校まで 9km~11kmの道のりを 50 分程かけて通った。帰り は上り坂のため 1.5 倍の時間がかかった。 当時、国道、県道は大部分未舗装。晴れた日は埃に、雨の日は水溜りに、夏の炎天下に、冬の風雪などに難儀したこと、砂利道のためパンクが多かったこと、、曲乗りの真似で自転車ごと水田や川に落ちたことなど は、なつかしい思い出である。 今の健康は、この時の自転車通学のおかげと思うこの頃である。 ◇あれから 60 年 当時、“偉大な田舎”と言われた名古屋に就職。知人は1年先輩Hさんと、同期入社機械科 M 君の二人だ け、その後、後輩も来ることなく、山梨からは遠いと地と感じた。今は親兄弟も亡くなり山梨はさらに遠く なった。この地が終の住かとなった。 定年後は、介護輸送、パソコンイストラクターのボランテアをしていたが、ある時、関東地区に住む E31仲間の飲み会に誘われ、参加しているうちに、山登りの話が出て、3 年生の時クラス仲間と登った鳳 凰三山から始まり、金峰山・みずがき山・北横岳・・・と毎年のように参加してきた。4 年ほど前登った仙 丈岳で体力の限界を感じ、以後、三ツ峠などの低山に参加。当時のクラス仲間との昔話は若返りの薬になる。 山梨の世話役には感謝、感謝。 若い頃から歴史探訪が好きだったので、定年後本格的に江戸時代の街道歩きを始め、今日までに下図の通 り歩いてきた。平成 24 年に歩いた甲州街道は印象深い。今は、街道歩きのガイドと各地に残る古道を探し ては歩いている。自称 “街道愛好家”。

街道歩きホームページ http://akiyama.my.coocan.jp/

平成30年2月27日

首都圏甲府会が開催される

お世話様です。東京同窓会常任幹事の保坂善昭(E33)です。
首都圏甲府会 総会・交流会が2月24日、東京市ヶ谷のアルカディア市ヶ谷(私学会館)で開催されました。 首都圏在住、在勤の山梨出身関係者および各学校同窓会等が主体となり交流を図る集いであります。  後藤山梨県知事他多数の来賓のもと盛大に開催され東京同窓会からも10名(小林、秋山、五味、志田、大嶋、遠藤、坂野、高谷、深澤、保坂)が参加しました。中でも甲府大使を任命されている大相撲の山梨出身
竜電関の参加に、会場は大盛り上がりでした。
甲府は来年2019年に「甲府開府500年」の歴史的な年を迎えます。武田信玄公の父、武田信虎公が躑躅ヶ埼(つつじがさき・現 武田神社)に館を築いて500年。2021年には武田信玄公の生誕から500年を迎える。 この熱き心に人は想う 「すばらしい故郷よ永遠に」。有り難うございました。




              
                                  以上








平成29年10月30日

 姉妹夫婦旅行   茨城同窓会  木本土八(E39)

   今年も女房姉妹夫婦6(11)の旅行を1027日~29(23)に行いました。(義兄にE31の小野 勝がいます)当初は1020日からの3日間の予定でしたが、母校の100周年式典参列の為、1週ずらしてもらいました。その関係で予定が入ってる者や入院中の者もいて7名の参加となりました。

1日目

韮崎、横浜と日立の私達が東京駅京葉線ホームに集合して[南房総の旅]へと出発しました。 安房小湊駅からホテルにチェックイン後に明日の天気予報が良くないので直ぐ[鯛の浦遊覧船観光]をして、ホテル前の[誕生寺]も参拝しました。夜は宴会でゲームなども行い盛り上がりました。

2日目

ホテルから貸し切りバスにて[海中展望塔]に行き、自然の魚の姿を堪能しました。 そのあと、日本山妙法寺を参拝して昼食を食べてから鴨川シーワールドを雨の中で楽しみました。 2日目のホテルは館山でした。

3日目

朝から雨でしたので予定の鋸山ロープウェイと散策はあきらめ、ネットで探しだした[菱川師宣記念館][金谷美術館]を見学して昼食を食べ君津駅から快速電車で帰路につきました。 初日の夜、入院していた者も今日退院したと連絡が入り「行きたかったー」と元気そうでした。 来年は山梨を見直そうと、身延山から下部温泉泊。翌日は本栖湖、精進湖を観光するコースを提案したいと思っています。84歳から60代後半のじじばば旅行ですので無理な行程は計画できなくなってきました、兄弟が元気な内は続けたいと思っております。

      

       左端が筆者、 その隣が小野 勝氏(E31
                               
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平成29年11月23日(木)


 



青春讃歌 ~山なみ遥かなり~    E33 保坂 善昭






 

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平成29年9月12日(木)



身延線での通学と56年後の今   遠藤 武彦(C34
)

*56年 前、冬の寒い朝530分 私の家の前(家 は現在の身延町飯富)に工業に通学して いる下級生2名が自転車で来る、3人で工業まで毎日の遠足出発だ | まだ砂利道だった国道52号線を身延線の甲斐岩間駅に向かつて約50分のサイクリング。 いや寒い手足の感覚無いよ。雨の日は地獄だ。道路工夫さんご苦労様です。 甲斐岩間駅から甲府まで一時間半くらいの電車の旅。これは楽しかった。工業、商業、英和 、 甲府二高、湯田、市川等学校関係なく高校生の社交場(あ の娘今日いないよ、今度ここに行こう よ、あいつやばいよ、などワイワイガヤガヤ )。 通学大変だったでも楽しかった。

*あれから56年同級生との集い絆 毎年11月 第二火曜日 10時 京浜東北線桜木町駅 C34年 度土木卒12人前後集合(京浜地 区在住や遠くは三島、大月、千葉酒々井からも)c 赤い靴号バスで大桟橋、外人墓地、赤レンガ 倉庫、など毎年変えて散策。  12時 より中華街の海員閣(店は民家みたいに小さいが中華街の隠れた名店)で の会食。その後カラオケボツクスに移動し 最後に全員で校歌熱唱解散。 この会は 3 5歳の頃から毎年欠かさず開催(40年続いている)し 、激動の現役時代は遠距離の単身赴任地か ら皆集合し 、励ましあい、支え合い、絆を強め会いました。 今でも一声かければ皆同調、協力実行、掛け替えのない会です。 これからもずっと続けます、同級生は宝です。(皆工業オタク、工業万歳です)

甲斐上野ー東花輪間の桃林橋(笛吹川)の鉄橋。昭和30年代。


甲府駅身延線ホームにて現在。

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平成29年8月10日(木)



平成29年度総会記念講演 『全国高校駅伝 我が青春の思い出』  雨宮二六(C32)
 
私は今から62年前の昭和30年4月 に甲府工業高校土木科に入学致しまし た。 入学式では あの総理大臣賞を受賞し た五重塔が飾られていた講堂で,一段と 高い透き通った声の古屋一雄校長先生から「諸君は技術者となる前に人間となれ」「学業とスポーツは両立する」との訓示 を受けたことを鮮明に記憶しています。新入生歓迎校内マラソン大会で10位 になつたのをきつかけに、陸上部顧間の中村剛男先生が両親を説得し陸上競技部 に入つたのが競技生活の始まりでした。練習は、放課後飯田町グランドで甲府商業、甲府―高、甲府三高、湯田高校生等と一緒に行ないましたが、自分はいつも一番ビリばかり走つているという有様で、何とか“ 一度で良いから校内で一番になつてやろう"と 固く決意し練習に励みました。
二年生になつた時、指導者に東京教育大で箱根駅伝のキャプテンをされていた恩師の水上和夫先生が我が校に赴任されて来ました。
水上先生は現役競技者いわゆるプレーイングコーチこして部員 と一緒に飯田町グランドを走りました。
先生のメニューは、当時チェコス回バキア出身で、ロンドンオリンピックの1万mで優勝、ヘルシンキオリンピックの5000m、 1万m、 マラソンの3冠 王となり人間機関車と言われたエミール・ザト ペック選手が練習に取り入れていた400mX200、 400m×400の インターバル走を10~ 15本やり、もう皆へとへとになじながらも、この練習で部員一同一段と力を付ける事が出来ました。
“ このプレーイングコーチこそ全てのスポーツにも共通し選手を強くする最高の指導者で有る”' 事を、身をもつて体験させて戴きました。何といっても甲府工業高校100年の歴史に唯一残る最大の思い出は第8回全国高校駅伝大会であります。
当時出梨県内では2年連続全国大会出場の農林高校が部員も多く選手の粒も禰っていて 飛びぬけて強く、石和高校も力のある選手が大勢いました。他には全国大会出場の伝統校谷村高校 などの強敵校が揃つていました。一方我が校は部員も少なくやつとメンバーが種う程度でとても県予選を勝ち抜く力はありませんでしたが、全国大会に行く為にはこの強敵校に勝たなければなりません。
こで、水上先生に、「どうしても全国大会に行きたい」と申し入れましたところ、先生は二言返事で「よ―し分かつた」と言われて、それからというものは更に厳しいトレーニングが始まりまし た。正月も繰り上げ、4日からの合宿練習を皮切りに3月 、夏休みに2回、そして10月の試験休みを利用して水上先生の綿密な計画に基づいて、実に合計5回の合宿練習が行われました。昭和32年12月 1日 山梨県予選会には、2カ月も前から、風邪など引かないで当日のスタート 時間に万全の体調で臨めるように調整に努めました。
その結果、宿敵農林高校、石和高校を破り、初の全国大会出場の栄冠を勝ち取ることができました。
この時、“ 成せばなる、 成さねばならぬ何事も、・・・”ということを肝に銘じて学ばせていただきました。 代表旗を手に大会5日前の12月17日 全校生徒に見送られ大阪に向けて出発しました。大会開催の会場は現在は京都ですが当時は大阪でした。
私たちは全国の予選会記録では46代表のうち第31位であつたので、本番では初出場でもある ので一つでも順位を上げて30位以内に入ろうと皆で話合いました。大会当日の12月 22日午後1時、大阪毎日新聞社前を一斉にスタートした私は花の1区 10kmを任され16位でタスキを渡しました。2区 3kmは 2年生の岡田友孝選手、区間21位 と好走 しそのまま16位をキープしました。3区 8.1 0 7kmは 1年生の細窪芳文選手がなんと区間8位の 走りで4人を抜き全体12位でタスキを渡しました。4区 8.0 8 7 5kmは 3年生の山坂富彦選手、 区間12位の好走で全体13位を維持。5区3kmは 2年生の剣持昌訓選手、区間15位の走りで 14位を維持。6区 5kmは 2年生の五味恵選手、区間24位の走りでしたが全体14位をキープ しました。そして、アンカー7区5kmは 1年生の細田正樹選手、歯を食いしばり、区間15位の走 りで1人抜き全体13位でゴールしました。 このときゴール地点で中年の女性が健闘した甲府工業高校を称えて飛びついてきてくれたという心の温まるエピソードもありました。この日、全選手が驚異的な力を発揮できたことは2カ 月も前からの体調管理と精神面でも頗るリラックスして大会に臨めたこと、さらに水上先生の全国大会出場に向けての献身的かつ綿密な作戦があつたことを忘れてはならないことと深く肝に銘じています。誰も予想し得なかつた“ 第13位、2時間19分28秒"は、初出場ながらの健闘ぶりを全国に示 すことができたことを誇りに思つています。この第13位のプライド は、その後の自分の人生の大 きなかけがえのない宝の財産として心の支えとなつています。このメンバーを基に、現在では湯村の常磐ホテルで、毎年「水上和夫先生を囲む会」として今年で 14回 目を迎え、先輩、後輩等陸上競技部の選手を交え、夜遅くまで当時の思い出話等を語り合い懇 親を深めています。 最後に何を言いたかつたかと言えば、私を育んでくれた「甲府工業高校」のお陰で数多くの素晴 らしい貴重な思い出を作ることができたということであります。

現役の後輩諸君も是非全国大会を目指して、頑張つて貰いたいと思います。 僕の前に道はない、僕の後ろに道は出来る …



平成29年7月13日(木)
[元気甲州人]  甲府工業東京同窓会長  小林 務さん。

首都圏在住の甲府工業卒業生でつくる東京同窓会会長を、2009年から務めている。卒業生が経営する企業を会員が訪問するなど、特色ある活動を展開。同同窓会活動について「山梨の良さを再認識する機会」と位置づけ、会員約千人の相互交流と故郷発展に向けた活動に励んでいる。両親から「地元で働き口は少ない。手に職をつけて東京に出てほしい」と言われ、電気技術の専門的な知識を身に付けるため甲府工業に進んだ。3年間、実家がある大月市から中央線の普通電車に乗って2時間近くかけて通学した。
高校時代はラグビー部のキャプテンを務め、国体にも出場した。卒業後の進路として複数の実業団から声がかかったが「早く経済的に自立する必要があった」ことから諦め上京する道を選んだ。京王電鉄に入社し、定年まで働いた。長くビルや公共施設のメンテナンスを担う関連会社で営業に携わり、「会社を成長させるため、得意先開拓に励ん」現役時代は仕事に追われ、同窓会活動は「時間が合えば親睦会に出向く程度」だった。だが、同窓会の会員有志がつくるゴルフ同好会に参加したことが縁となり、57歳で入会。
事務局長を経て、6年前に会長に就任した。「若いときから参加すればよかった。異業種で活躍する同窓生と交流ができ、仕事の視野が広がる」と後悔した。同窓会について「いつも同じメンバーで楽しんでいる内向きの組織」という印象があった。
このため、会長就任後にホームページを立ち上げ、会員向けのメールマガジンの発行も始めた。県人会連合会にも参加し、「より開かれた同窓会に変革し、組織の活性化を目指した」。3年前からは、卒業生が経営する企業や仕事場を会員が訪問する取り組みを開始。
12月には都内でカイロプラクティックのサロンを経営する機械科卒業生を訪ね、観光管理などについて話を聞く。「頑張っている同窓生を激励しながら、会員自身の人生を充実させることにもつながる」とかたる。会員の高齢化と若年層の確保が課題だ。
「同窓会に入会すれば、母校と同窓生はもちろん、故郷との接点が新たに生まれる。人生の中で故郷の位置付けを見直す機会なることをPRし、会員の確保に努めていく」という。同窓会の旅行やクラス会、ゴルフなどで月に4、5回は県内入りし、「できるだけ山梨に足を運び、山梨の再発見に努める」。人口減少が進む県内の現状に心を痛めており、「首都圏の県人が山梨の良さを再確認することが大切だ、同窓会活動を通じて故郷の発展に微力ながら貢献していきたい」と語っていました。
資料;山梨日日新聞に2015年10月17日掲載された。

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平成29年6月15日(木)
より遠くヘ練習漬けの毎日    金子今朝秋(M39)

1年次の関東大会では、県外の高校生の強さに圧倒され、惨めな思いで帰省した。中学時代からの先輩であり
手ほどきを受けていた窪田一郎先輩(M38)から「二人で全国大会を目指そう!」と誘われ、厳しい練習が始
まった当時は、飯田町の陸上競技場が練習の中心であった。 9時から正午まで走・跳を中心に1日おきに学校
に戻ってウェイトトレーニング、その日は13時頃までになった。午後は、和田町(現緑ヶ丘)の陸上競技場
で15時から19時頃まで砲丸・円盤投げの投擲(てき)練習を行った。
 体力的にはウドの大木で先輩に追いつくだけで精一杯、練習は厳しく、何回となく挫折しかけた。先輩に叱咤
激励されながら夏の練習を消化していった。当時、「練習中は水は飲まない」のが常識で、練習後の水のおいし
さは格別であった。汗をかいて塩分が欠乏するからといって、食塩水を初めて飲んだ時の「しょっぱさ」は今も
わすれない味である。 夏休みも後半になると、トレーニング効果が表れ、日々の練習にも余裕が出てくるよう
になり、30mダッシュ・立三段跳び・懸垂・腹筋等々が強くなるとともに、円盤投げでも連日自己記録を更新
秋の大会が楽しみになってきた。
 そんな努力が実って、県体育祭で優勝(34m51)、来年への夢が膨らんできた。冬の練習はさらにエキ
サイトして、朝練習のハンマー投げ、昼休みには平行棒・鞍馬等を使っての上半身の強化、休み時間には廊下
で空身ターン、さらに、放課後のホームグランドでのメイン練習、夕食後には自転車で脚力強化登美の坂へと
一日中練習に明け暮れた。2年次のシーズンは、早々よりベスト記録の更新、惨敗した関東高校では予想を翻し
て優勝(45m22)、そして、全国インターハイでは、投擲3冠王を達成した室伏重信氏(後のアジアの鉄人)
に次いで第2位(46m85)の成績を収めることができた。たまたま祖父の故郷の新潟であったことも何かの
縁、皆様方に喜んでいただいた。



順天堂大学卒業後同大学の教授、陸上部監督、コーチ歴任(箱根駅伝優勝時)し退職後も後輩の指導に尽力
しています。東京同窓会、小林 務さんより情報いただきました。有難うございました。
 練習場所がない時代、思考錯誤しながら練習に励んだ結果、最後には新記録で優勝するまでの過程がつまびら
かに描かれています。そしてインターハイでは室伏重信氏に次いで第2位の成績に輝き、有終の美を飾りさすが
だと思いました。今の甲工生に読んで欲しいですね・・・




平成29年5月18日(木)

マラソン人生 東京同窓会 深澤榮造(C38)



深澤さんにはいつも茨城同窓会を声援していただき感謝申し上げます。
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マイルストーン賞受賞  甲府工業茨城同窓会  齊藤尚武

                                  

                                

いろいろお世話になりました。5日の母校での講演は無事終了いたしました。
1年~3年までの在校生840名と教職員、同窓会関係者合わせて900名の聴衆の前で
1時間半の講演が出来た事は非常に良い記念となりました。講演後も多くの生徒から質問
が出され、文武両道、質実剛健の校風の伝統を嬉しく思いました。

後輩たちに、一つでも「挑戦」の気持ちが伝われれば良いと思っております。

新聞記者も同席してくれた後インタビューを受けましたが、早速翌日の記事に載り、
多くの方々からも電話やメールや手紙を頂き、さすがメディアの反応は凄いと実感しました。
講演会後の齊藤校長先生や参加された同窓会、クラスの級友との記念写真も添付します。
高速道路は行きは6/4の水戸8時半出発、外環道路経由で3時間半でした。
帰りは6/7 石和19時出発、首都高が空いていたので2時間45分でした。
お手数をかけ、有難うございました。     齊藤 尚武(E32) 




平成29年1月16日

“後期高齢者の伊勢神宮参拝” (1)村上博靱(E33)

 前から伊勢神宮参拝に行こうと思っていても、なかなか実行できずいたが6月23日は小生75歳の節目、
後期高齢者入りでこれはいい機会だと思い、急きょ茨城空港発着の伊勢・奈良の3日間の記念旅行に出掛けた。
そのために今までガラケーだったが旅行中にいろいろ調べることがあるだろうと思いさっそく、スマホを買い
求めた。
そうは言ってもホテルだけは事前に確保しておかねばならぬと思い、家内に任せ1日目は梅田の
「大阪第一ホテル」、2日目は「伊勢シティホテルアネックス」予約をとっておいてくれた。
それ以外は全工程をタブレットに頼り地図や時刻表とにらめっこしながらぶっつけ本番の旅だった。
さて、茨城空港の神戸行きに12時05分ころ出発、1時20分にはもう神戸空港だ。
そこからポートライナー約20分で三宮に行き、阪神電鉄の梅田駅までおおよそ1時間で梅田駅の地下街。
大勢の人々で混雑していた。
ホテルは歩いて2~3分のところにあり、丸いビルですぐにわかった。
チェックインを済ませたあと、まだ明るいので繁華街、道頓堀に行くことにした。
道頓堀も大勢の人でごった返し何やら聞こえてくるのは東南アジア系の言葉。
とにかく外国人が多いのにはびっくり。長い列を作っているお店があったので覗いてみるとタコ焼きやさん。
皆さん買って歩きながら食べていました。


近辺を散策したのでもう十分と思い次はタクシーで大阪城に向かった。
話し好きの運転手さんと世間話をしている間にもう大阪城入口に到着。さすがに大阪城は静粛につつまれ
雄大な城を眺めていると落ち着いたような気がした。
昔の人は良くもこんなにも立派な城を築いたなあと感心しつつ、特に堀の広さと石垣の大きな石には目を
見張りました。
約1時間散策したあとあたりも暗くなってきたので、タクシーでホテルに帰り今日の予定は無事こなす
ことが出来た。
お蔭で今夜はぐっすり眠れそうだ。明日は早く伊勢に行くことにした。(続く)





“後期高齢記念の伊勢神宮参拝” (2)村上博靱(E33)
 二日目は伊勢に行くため早く起き、環状線で鶴橋に出てそこから伊勢方面の近鉄特急に乗った。
所用時間約2時間。伊勢神宮駅を降りると外宮の鳥居がすぐそこに見えた。
入口のお土産さんの2階で「おかゆ御膳」を食べたあと、鳥居をくぐりいざ参拝が始まる。
実は伊勢神宮には今迄2回来たが、本宮は「感謝の気持ちを参拝」して個人の「欲望、願いごとは」は別宮で
参拝する事を初めて知りました。
今回の参拝の本命は内宮だったので、外宮はそこそこ切り上げ路線バスで内宮に向かった。
20分くらいで到着し、外宮に比べ多くの参拝客が本宮に向かう姿を見ることが出来た。
大きな鳥居の前で写真を撮り右に曲がり歩き出して数分、後ろから規則正しく迫ってくる足音で振り返ると、
なんと2列に並んだ高校生だった。無駄口は一切利かず、ただもくもくと歩いている長蛇の列にちょっと
驚いた。
行儀がいいなあ感心し、どこの生徒か気になったので一緒に歩きながら話かけてみた。
「どこの学生さんですか」「皇学館高校です」「何人くらいいるんですか」「全校生徒1,100人できました」
「年に2回ここに来て参拝しています」との返事だった。
引卒の先生がたも黒のスーツで身を固め列の所々に付き添って歩いていた。
そう言えば私も黒か白を羽織って来なければとその時気付いた。
後で調べたらすぐ近くの神道系の由緒ある「皇學館高校」であることがわかった。
歩くこと十数分、階段を上り切ったところが参拝の場所だ。
学生達は整列し、本宮に向かって参拝する姿は壮観というか威容にも感じた。
全員で柏手を打つ音色はぴったり合って静寂な社に響きわたり消えた。
私たちも参拝が終わり帰路の途中、報道関係のカメラマンが一か所に陣取り、今から始まる催事の撮影に
備えていたので足を止めた。
その祭りというのは伊勢神宮祭主の参拝であることが後で解かった。
その間一般参拝者の歩行も禁止され、決められた場所で祭主の列を見送りすることになった。
めったにない二つの出来事に偶然にも接することが出来て良かったと思いました。
内宮の近くのお土産さんがある「おかげ横丁」で腹こしらえして、そのあとタクシーで二見浦に向かった。
二見興玉神社の夫婦岩を参拝したあと、近くのお土産さんでタクシーを呼び二見が浦駅まで行き、JR参宮線
でホテルのある伊勢市に戻ってきました。ホテルは近鉄伊勢駅から徒歩3分くらいのところにあったが、
周囲にはお店もない閑散とした町だった。明日は奈良だ。(続く)











後期高齢者の伊勢神宮参拝” (3)   村上博靱(E33)

 三日目の朝は少しゆっくりして再び近鉄特急で奈良に向かいました。
途中2回乗り換え意外と早く近鉄奈良駅に到着予定。
到着数分前に電車の左窓側の広場に平城京がぽつんと見えた。
近鉄電車が平城京の広場を横断していたのでもうすぐ奈良駅だとわかりました。
「奈良」の語源は諸説があるが、段差のある都を造成のため「地をならす」から「なら」という説もあると聞いた
ことがある。だからいたるところに段差が見受けられた。
 その一番高いところに築いた寺が興福寺です。残念ながら本堂を工事中だったので今回は行かなかった。
さて、ロッカーに荷物を預けて駅前のバス停から、まず大仏殿のある東大寺に行きました。
バスに乗ること数分、そこはもう多くの参拝客というか修学旅行の生徒達でひしめきあっていた。
門前の左側に広いバスの駐車場には、色とりどりのバスが止まっていて数の多さにびっくりしました。一年中
こんなにたくさんの観光客がここに来るのにはそれなりの訳があります。
奈良には国宝がいたるところあり、またそれが世界遺産に登録されている。
奈良時代に建立された歴史を誇る大仏殿がその一つだ。
 間口57㎡、奥行50㎡、高さ48m木造建築では世界一。
その中に高さ15mの大仏さんが鎮座している。それをひと目見るために国内はもとより外国からの観光客も
半端ではない。大仏殿から歩いて今度は春日大社に向かい40分ほどで着きました。
つかれたせいか足取りは重くとても長く感じました。
ここに来るまでの参道には多くの釣灯篭や石灯篭が設置されて、すべて昔は庶民の寄進によるもので名前が
刻まれていた。途中雨が降り出したので早目に参拝を終わらせ、タクシーで近鉄奈良駅に戻り近くの繁華街
「東向き商店街」に行ってみました。名前がユニークだったのでそのいわれを聞いたら、興福寺にお尻を向けては
いけないので西側にのみ建物が建てられ全ての建物が東を向いていたそうです。その後興福寺の勢力が衰退すると、
通りの東側にも建物が建つようになったとのこと。
いよいよ帰路につくため神戸空港発16;10に乗るために逆算して近鉄奈良駅を13;00に出発することに
しました。西大寺駅で乗り換えて近鉄~阪神直通電車三宮駅に向いました。
そし予定通りに神戸を発ち茨城空港には17;25着きました。
途中空の駅「そらら」に立ち寄って家内は現実の世界に戻り食料品を買いあさってきました。
かくして後期高齢者の二泊三日、伊勢神宮参拝旅行は無事終わることが出来ました。(終)
            










H28年12月17日

オフィスバロン主催のグアム旅行を行いました・・・木本土八(E39)

当社主催のゴルフコンペで優勝した茨城同窓会の村上博靱夫妻を招待して2014年7/9~11グアム旅行を行いました。
参加者は木本社長と私と家内の五名でした。

初日はグアム市内観光を皆でしたあと、夕方から「アウトリガービーチサイド」で目の前に広がる壮大な海を眺めながら
ビーチサイドバーベキューをしました。豊富な食材とおいしさは格別でした。

二日目男性陣は「オンワードタロフォフォゴルクラブ」でゴルフを満喫、茨城同窓会ゴルフの海外版のようでした。
女性陣はアトランティスサブマリーン(潜水艦)で海中を30m潜航して自然のままの海を鑑賞しました。

夕食は「hotel nikko guam」最上階のレストランで、夕日を眺めながらディナーを心ゆくまで堪能。 

 三日目は「オンワードマンギラオゴルフクラブ」で再びプレイしました。。
特に海越えの「マンギラオ12番・160ヤード」は名物ホールで大変でした。海を越えるのが精一杯。とてもワンONは
難しかったが、村上さんはONして喜んでいました。

また、マンギラオゴルフは評判が良いせいか日本人の若者が多く、ここグアム?と目を疑うほどでした。
その日の女性陣は恋人岬など市内観光とモールショッピングを楽しみました。

夕方5時、グアムを出発して11時には日立の自宅に無事に帰ってきました。
天候も良く有意義な3日間のグアム旅行を楽しむことができました
来年もまた海外旅行を計画したいと思います。

 












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