お茶でも飲んでけし

2022年3月23日 甲州街道宿場巡り 故郷再発見          平成30年1月  広瀬英貴(M35

1.初めに 日立電鉄ではこれまで「東海道」「中山道」「日光街道」の宿場巡りを催行してきた。

今回その第4弾として「甲州街道」が企画され、宿場巡りの常連の同期生より、“広瀬のふるさと山梨を案内してくれ”と。今さらゴルフの方が楽しい、とは思ったが、75歳に達した記念にと「ふるさと再発見」に挑戦いたしました。 

山梨で18年暮らしたとはいえ、甲府工高へ塩山~甲府間を電車通学したくらいで、当時は 甲府以西にほとんど行ったことがなく、今回のツアーに参加して初めて、歴史を感じながら、 故郷山梨の美しい景色に心ひかれた次第です。

“ちょっくら よっていけし”の村上会長の郷土愛に見習い、これからも機会ある度に“ふるさと再発見”を続けていきたいと思う。

2.甲州街道の概要紹介と感じたこと  前編

(1)江戸幕府による参勤交代で発達した5街道(東海道・中山道・甲州街道・奥州街道・日光街道)いずれも日本橋を起点と
している。甲州街道は信州の3藩(高島藩・高遠藩・飯田藩)のみが利用した。甲斐の国は武田家滅亡後、徳川直轄領となり参勤
交代は該当外であった。

(2)甲州街道は江戸城に危機が迫った際の生命線として、服部半蔵が率いる伊賀衆が警備していた半蔵門から甲州街道に入り、
内藤新宿で「百人組鉄砲隊」、八王子で「千人同心」を従え甲府城に入り、富士川の舟運で一気に駿府に抜ける主要路として整備
されたといわれている。

その後、甲府から下諏訪まで延長され、44ヶ所の宿場が設置された。

(3)物流と通信網の要所として整備された甲州街道は、現在の国道20号線へと発展し、更に今や中央高速道路が開通して、東京
への交通を飛躍的に発展させ、山梨県の産業発展に大きく寄与しているのはご承知の通りです。

写真は甲州街道20号線沿いにある「小原宿本陣」。江戸から数えて9番目の宿場で小仏峠を前にして重要な宿場でした。

 













NMG                                                   top戻り
(日立製作所水戸工場ゴルフOB会)


第391回 水戸NMGゴルフコンペを開催しました。
期日:2022年3月8日
場所:那珂カントリー倶楽部
使用コース 東→中西
<成績>
優勝・大塚静男                                   
2位・船田建夫
3位・村上博靱
4位・大峡 明
5位・秋山郁也 
DC・大塚静男×2 船田建夫×2
NP・大塚静男×2 船田建夫 村上博靱

2022年2月 寒中のため中止にしました。
2022年1月 雪のため中止にしました。



第390回  NMG 12月例会の結果
(日立製作所水戸工場OB会)

期日・・・・2021年12月14日(火)
場所・・・・那珂カントリ倶楽部
集合・・・・8時30分
スタート・・9時07分(中、西)

成績
優勝  船田建夫
2位   大塚静男
3位   大峡 明
4位   秋山郁也
5位   藤原道雄
6位    村上博靱

DC 船田×2 大峡 大塚 
NP 大塚×2  船田
優勝者 船田さん




期日:2021年11月9日(火)
場所:那珂カントリー倶楽部
集合:8:30
スタート:9:08
コース:中→西

雨天のため中止ににしました。



第389回 

期日:2021年10月12日(火)
場所:那珂カントリー倶楽部
<成績>
優勝・渡辺敬一郎                                   
2位・大峡 明
3位・藤原道雄 

9月 コロナ緊急事態宣言で中止にしました。
8月 熱中症防止で中止にしました。


第388回 水戸NMGゴルフコンペを開催しました。

期日:2021年7月13日
場所:那珂カントリー倶楽部
使用コース 中→西
<成績>
優勝・船田建夫                                   
2位・秋山郁也
3位・大塚静男
4位・村上博靱
5位・藤原道雄
6位・大峡 明 
DC・大塚静男
  ・村上博靱×3
NP・大塚静男×2
  ・船田建夫
<優勝者>

西コースNO1



第387回 水戸NMGゴルフコンペを開催しました。

期日:2021年6月8日
場所:那珂カントリー倶楽部
使用コース 東→西
<成績>
優勝・村上博靱                                       
2位・船田建夫
3位・秋山郁也
4位・大塚静男
5位・大峡 明
6位・渡辺敬一郎
 7 位・藤原道雄 
DC・大峡 明
  ・秋山郁也
  ・船田建夫
  ・村上博靱
NP・藤原道雄
  ・大塚静男
  ・船田建夫
<優勝者>


第386回NMGゴルフコンペを開催しました。

期日:2021年5月11日
場所:那珂カントリー倶楽部
使用コース 中→西
<成績>
優勝・村上博靱                                        
2位・大塚静男
3位・船田建夫
4位・大峡 明
5位・渡辺敬一郎
6位・秋山郁也
7位・藤原道雄
NP  船田 村上
DC  船田×3 村上 
<優勝者>



第385回 NMGゴルフコンペ。

期日:2021年4月13日
場所:那珂カントリー俱楽部
使用コース 東⇒中
<成績>
優勝・藤原道雄
2位・大峡 明
3位・船田建夫
4位・大塚静男
5位・渡辺敬一郎
6位・秋山郁也
7位・村上博靱
DC・大塚×3 船田
NP・大塚 大峡
<優勝者>




第384回 NMGゴルフ
期日:2021年3月9日
場所:那珂カントリー俱楽部
使用コース 中→西
<成績>
優勝・船田 健夫                                          
2位・大峡 明
3位・渡辺敬一郎
4位・秋山 郁也
5位・村上 博靱
6位・菅原 道夫
ドラコン・村上×2  船田×2
ニアピン・船田 渡辺

優勝






コロナウイルス感染防止のため中止。

 第385回2月  ゴルフコンペ
 場所  那珂カントリ倶楽部
期日  2月9日(火)

コロナウイルス感染防止のため中止。
 第384回1月ゴルフコンペ内
  場所  那珂カントリ倶楽部 
  期日  1月12日(火)





第383回 NMGゴルフ
期日:2020年12月8日
使用コース 中→西
<成績>
優勝・村上 博靱
2位・大塚 静男
3位・船田 健夫
4位・大峡 明
5位・渡辺敬一郎
6位・秋山 郁也
7位・市野沢伊司
ドラコン・大塚×2 村上  船田
ニアピン・船田


第382回 NMGゴルフ

期日:2020年11月10日
場所:那珂カントリー俱楽部
使用コース 東→西
<成績>
優勝・村上 博靱
2位・船田 健夫
3位・渡辺敬一郎
4位・秋山 郁也
5位・石田 周二
6位・藤原 道夫
     
ドラコン・村上×2 渡辺  船田
ニアピン・渡辺    船田



第381回 NMGゴルフ

期日:2020年10月13日
場所:那珂カントリー俱楽部
使用コース 東→西      
<成績>
優勝・大峡 明
2位・市野沢 伊司
3位・船田 健夫
4位・渡辺敬一郎
5位・石田周二
6位・村上 博靱
7位・秋山郁也
     
ドラコン・村上×2 渡辺  船田
ニアピン・渡辺

優勝者



 
第380回 NMGゴルフ

期日:2020年9月8日
場所:那珂カントリー俱楽部
使用コース 中→東

優勝・・・ 船田 健夫
2位・・・ 大塚 静男
3位・・・ 渡辺敬一郎
4位・・・ 大峡 明
5位・・・ 村上 博靱
6位・・・ 市野沢 伊司     
DC・・・大塚×4
NPン・・・ 大塚 船田 村上

優勝者



第379回 NMGゴルフ

期日:2020年8月11日
場所:那珂カントリー俱楽部
使用コース 西→東 

優勝      船田 健夫
2位      大塚 静男 
3位      村上 博靱 
4位      市野沢 伊司 
5位      大峡 明 
6位     石田 周二 
     
ドラコン   船田 健夫×3     村上 博靱
ニアピン 大塚 静男 大狭 明 市野沢 伊司

優勝者



雨のため中止。
         
 第382回ゴルフコンペ案内
 場所  那珂カントリ倶楽部 
 期日  7月14日(火)

   
コロナウイルス感染防止のため中止。

 第381回ゴルフコンペ案内
  場所  那珂カントリ倶楽部
  期日  6月9日(火)
   

   
コロナウイルス感染防止のため中止。

  第380回 ゴルフコンペ案内
   場所  那珂カントリ倶楽部 
   期日  5月12日(火)      

  第379回ゴルフコンペ
   場所  那珂カントリ倶楽部 
   期日  4月14日(火) 
 
優勝  船田健夫
 2位  大塚静雄
 3位  村上博靱
 4位  市野沢伊司
 棄権  大峡 明
 棄権  石田周二  
 DC  村上     船田×3   
 NP    市野沢  大峡 大塚


第378回 ゴルフコンペ結果
 場所  那珂カントリ倶楽部 
期日  3月17日(火) 

優勝  大峡 明
2位  市野沢伊司
3位  秋山郁也
4位  村上博靱
5位  船田健夫
6位  渡辺敬一郎
7位  大塚静雄
DC  秋山×2 大峡     船田   
NP    市野沢






第377回 ゴルフコンペ結果
場所  那珂カントリ倶楽部 
期日  2月18日(火) 

優勝  石田周二
2位  村上博靱
3位  船田健夫
4位  秋山郁也
5位  大峡 明
DC  石田 秋山     船田 村上  
NP    村上×3

先月に続いて連続優勝です。おめでとうございます。



第376回 ゴルフコンペ結果
場所  那珂カントリ倶楽部 
期日  1月14日(火) 

優勝  石田周二
2位  村上博靱
3位  大峡 明
4位  大塚静男
5位  市野沢伊司
6位  船田健夫
 DC  市野沢 大峡     船田  村上  
  NP    大塚   村上

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2019

第375会 ゴルフコンペ結果。

期日  12月10日(火)
場所  那珂カントリ倶楽部

優勝  村上博靱
2位  秋山郁也
3位  大塚静男
4位  市野沢伊司
5位  渡辺敬一郎
6位  船田健夫
7位  大峡 明
 DC  渡辺 秋山 船田  村上  
 NP  船田 

 






第374回NMGコンペ結果
2019年11月12日(火)
那珂カントリー俱楽部

優勝   村上 博靱
2位   渡辺 敬一
3位     大峡 明
4位   市野沢 伊司
5位   石田 周二
6位   船田 健夫
 DC 石田 ×2 渡辺  船田
 NP    船田×2 村上


第373回 コンペ結果
 2019年10月8日(火)
那珂カントリー俱楽部
・優勝    秋山郁也
・2位  大峡 明
・3  位   船田健夫 


第372回NMGコンペ結果(第3位までの入賞者)
 2019年9月10日(火)
那珂カントリー俱楽部
・優勝     船田健夫     
・準優勝 大塚静男  
・3位  渡辺敬一郎
 

第371回NMGコンペ結果(第3位までの入賞者)
 2019年8月6日(火)
那珂カントリー俱楽部
・優勝     大峡 明    
・2位  市野沢 伊司
・3位  大塚 静男 

第370回NMG結果
2019年7月9日(火)
那珂カントリー俱楽部

優勝   船田 健夫
2位   村上 博靱
3位     市野沢 伊司
4位   大峡 明
5位   大塚 静男   
 DC   市野沢 ×2 村上×2
 NP   大峡  大塚  村上




第369回NMG結果
2019年6月11日(火)
那珂カントリー俱楽部
                
優勝  船田 健夫
2位  市野沢 伊司     
3位  大塚 静男



第368回 NMG結果
2019年5月14日(火)
那珂カントリー俱楽部
                
優勝  渡辺 敬一郎
2位  大峡 明     
3位  船田 健夫



第367回NMG結果
2019年4月9日(火)
那珂カントリー俱楽部
                
優勝  石田 周二
2位  船田 健夫     
3位  渡辺 敬一郎    
 

 
平成30年度年成績(4/9発表)
優勝  大塚 静男
2位  村上 博靱
3位  船田 健夫
4位    大峡 明
5位    市野沢 伊司
6位  渡辺 敬一郎
7位    秋山 郁也
8位      米山 三美
    


第366回 NMG結果
2019年3月19日(火)
那珂カントリー俱楽部
優勝   市野沢 伊司
2位   大塚 静男
3位     村上 博靱
4位   船田 健夫
5位   渡辺敬一郎
6位   大峡 明
DC 船田 ×2 村上×2
NP 船田×3 村上





第365回NMG結果

2019年2月12日 晴れ
那珂カントリー倶楽部(東・西)
優勝   大塚 静男
2位   大峡 明
3位     村上 博靱
4位   船田 健夫
5位   市野沢 伊司
6位   石田 周二
 DC 大峡 船田  村上×2
NP    大塚




第364回 NMG結果

2019年1月8日 晴れ
那珂カントリー倶楽部(東・中)
優勝   村上 博靱
2位   大塚 静男
3位     市野沢 伊司
4位   石田 周二
5位   船田 健夫
DC      石田  船田×2 村上
NP      大塚 ×2 石田









第363回NMG結果

2018

第363回 NMG結果

2018年12月11日 晴れ
那珂カントリー倶楽部(中・西)
優勝   市野沢 伊司
2位   大峡 明
3位     村上 博靱 
4位   船田 健夫
5位   大塚 静男
6位   渡辺 敬一郎
7位   秋山 郁也
 DC   船田×2 大塚 村上
NP   大塚×2




第362回 NMG結果

2018年11月13日 開催
那珂カントリー倶楽部
優勝   秋山郁也
2位   船田 健夫
3位     渡辺敬一郎 
4位   村上博靱
5位   石田周二
6位   大峡 明 
DC  秋山 ×2 船田×2
NP  船田 ×2



第361回 NMG結果

2018年10月9日 開催
那珂カントリー倶楽部
優勝 村上博靱
2位 大塚静男
3位 秋山郁也
4位 市野沢伊司
5位 大峡 明
6位 渡辺敬一郎
7位 船田 健夫
DC     秋山  船田  村上×2
NP   秋山  大塚×2


 

第360回 NMG結果

2018年9月11日(火)
那珂カントリー俱楽部
優勝   大峡 明
2位   船田 健夫
3位   大塚 静男
4位   村上 博靱
5位   渡辺 敬一郎
DC   船田×2 大塚 村上
NP   大塚×2 村上×2



第359回 NMG結果

2018年8月7日(火)
那珂カントリー俱楽部
優勝  大塚静男
2位  船田健夫
3位  市野沢伊司


第358回 NMG結果

2018年7月10日(火)
那珂カントリー俱楽部
優勝  石田周二
2位  船田健夫
3位  渡辺敬一郎


第357回 NMG結果

2018年6月12日(火)曇り
那珂カントリー俱楽部
使用コース 東 西

 優勝  大塚 静男  NP
 2位  村上 博靱  DC×2
 3位  船田 健夫 DC NP×2
 4位 渡辺敬一郎   
 5位 大峡 明  
 6位  石田 周二  
 7位  市野沢 伊司  
 8位 秋山 郁也  DC







第356回 NMG結果
2018年5月8日(火)曇り
那珂カントリー俱楽部
使用コース 中 西

 優勝  大塚 静男  NP×2
 2位  船田 健夫  DC NP
 3位  渡辺敬一郎  
 4位  村上 博靱  DC×3
 5位  石田 周二  
 6位  米山 三美  
 7位  市野沢 伊司  
 8位  大峡 明  


2018年4月11日 晴れ
那珂カントリー倶楽部(中・西)
優勝   市野沢 伊司
2位   大峡 明
3位     村上 博靱 
4位   船田 健夫
5位   大塚 静男
6位   渡辺 敬一郎
7位   秋山 郁也
ドラコン 船田 ×2 大塚  村上
ニアピン 大塚×2



第355回 NMG結果
2018年4月10日(火)
那珂カントリー俱楽部
使用コース 東 中
 優勝  大峡 明    
 2位  村上 博靱  DC×2  NP
 3位  船田 健夫  DC  
 4位  大塚 静男  DC  NP
 5位  米山 三美    
 6位  渡辺敬一郎    
 7位  市野沢 伊司    





第354回 NMG結果
2018年3月13日
那珂カントリー俱楽部
使用コース 東 中

 優勝  大塚 静男  NP×2
 2位  米山 三美  DC
 3位  大峡 明  
 4位  船田 健夫  DC×2
 5位  村上 博靱  DC
 6位  市野沢 伊司  
 7位  石田 周二  

 

第353回 NMGゴルフ結果
期日:2018年2月13日
場所:那珂カントリー俱楽部
使用コース 東→中
<成績>
優勝・・・・船田 健夫                                          
2位・・・・市野沢伊司
3位・・・・村上博靱
4位・・・・大峡 明
5位・・・・大塚静男
6位・・・・根本二三男
DC・・・・村上×2  船田×2
NP・・・・市野沢×2 大塚

第352回 NMGゴルフ結果
期日:2018年1月9日
場所:那珂カントリー俱楽部
使用コース 中→西
<成績>
優勝・・・・根本文雄                                          
2位・・・・大塚静男
3位・・・・村上博靱
4位・・・・船田 健夫
5位・・・・石田周二
6位・・・・米山三美
7位・・・・大峡 明
DC・・・・米山×2  村上 大塚
NP・・・・大塚×2 石田 船田


第351回 NMGゴルフ結果
期日:2017年12月12日
場所:那珂カントリー俱楽部
<成績>
優勝・・・村上博靱                                          
2位・・・市野沢伊司・
3位・・・米山三美
4位・・・大塚静男
5位・・・渡辺敬一郎
6位・・・船田 健夫
7位・・・大峡 明
8位・・・秋山郁也
DC・・・渡辺 市野沢 船田
NP・・・村上 大塚




第350回 NMGゴルフコンペ
期日・2017年10月10日
場所・那珂カントリー俱楽部
<成績>
優勝 秋山郁也
2位 大塚静男
3位 大峡 明


第349回 NMGゴルフコンペ
期日・2017年9月12日
場所・那珂カントリー俱楽部
<成績>
優勝 秋山郁也
2位 大塚静男
3位 市野沢伊司

第347回 NMGゴルフコンペ
期日・2017年7月11日
場所・那珂カントリー俱楽部
使用コース・東⇒中
 <成績>
優勝  石田周二
2位  米山三美
3位  市野沢伊司
4位  船田建夫
5位  渡辺敬一郎
6位  村上博靱
DC  米山×2 船田×2
NP  石田 船田 


第346回 NMGゴルフコンペ
期日 2017年6月13日
使用コース 東⇒中
<成績>
優勝  船田建夫
2位  大峡 明
3位  米山三美
4位  大塚静男
5位  渡辺敬一郎
6位  石田周二
7位  村上博靱
8位  市野沢伊司
DC  米山×3 秋山
NP  村上×2 石田

梅の実が大きくなりました。

第345回 NMGゴルフコンペ
期日 2017年5月9日
使用コース 東⇒西
<成績>
優勝   大峡 明
2位   大塚静男
3位   市野沢伊司
4位   石田周二
5位   船田建夫
6位   渡辺敬一郎
7位   米山三美
8位   村上博靱
DC   米山×2 船田 大塚
NP   渡辺 船田 大塚 石田


第344回 NMGゴルフコンペ
期日 2017年4月11日
使用コース 中⇒西
<成績>
優勝   村上博靱
2位   大塚静男
3位   船田建夫
4位   市野沢伊司
DC   船田×3 大塚
NP   村上 大塚 

第343回 NMGゴルフコンペ
期日 2017年3月14日
使用コース 東⇒中
<成績>
優勝   村上博靱
2位   船田建夫
3位   市野沢伊司
4位   大塚静男
5位   大峡 明
6位   渡辺敬一郎
7位   秋山郁也
DC   船田×2 大塚
NP   村上 大塚 船田



第345回 NMGゴルフコンペ
期日  2017年3月14日
使用コース 東⇒中
<成績>
優勝   船田建夫
2位   大塚静男
3位   村上博靱
4位   秋山郁也
5位   米山三美
6位   石田周二
7位   大峡 明
DC   大塚×3
NP   村上 大峡×2 大塚




第342回 NMGゴルフコンペ
期日  2017年2月14日
<成績>
優勝   市野沢伊司
2位   大塚静男
3位   石田周二
4位    村上博靱
5位    船田建夫
6位    大峡 明   
DC    大峡×2 大塚 村上
NP    大塚×2 



第341回 NMGゴルフコンペ
期日  2017年1月10日
使用コース 東⇒中
<成績>
優勝   船田建夫
2位   大塚静男
3位   村上博靱
4位   秋山郁夫
5位   米山三美
6位   石田周二
7位   大峡 明
DC   米山×2 村上 船田
NP   大塚×3  村上


第340回 NMGゴルフコンペ
期日  2016年12月13日
使用コース 東⇒中
<成績>
優勝   渡辺敬一郎
2位   船田建夫
3位   大塚静男
4位   村上博靱
5位   市野沢伊司
6位   秋山郁也
DC   村上 大塚×2
NP   大塚 


第339回 NMGゴルフコンペ
期日  2016年11月8日
使用コース 東⇒中
<成績>
優勝   大塚静男
2位   船田建夫
3位   大峡 明
4位   渡辺敬一郎
5位   根本文雄
6位   石田周二
7位   秋山郁夫
8位   村上博靱
DC   村上×2 大塚
NP   大塚 渡辺


第338回 NMGゴルフコンペ
期日   2016年10月11日
使用コース 中⇒西
<成績>
優勝   村上博靱
2位   米山三美
3位   大塚静男
4位   秋山郁也
5位   船田建夫
6位   大峡 明
7位   渡辺敬一郎
8位   市野沢伊司
DC   大塚 村上 大峡 米山
NP   村上×2 大塚×2 


第325回 NMGゴルフコンペ
期日   2016年7月14日
使用コース 東⇒西
<成績>
優勝   米山三美
2位   渡辺敬一郎
3位   市野沢伊司
4位   大塚静男
5位   村上博靱
6位   船田建夫
7位   米山京子


第320回 NMGゴルフコンペ
期日  2016年12月9日
使用コース 東⇒中
<成績>
優勝   大塚静男
2位   船田建夫
3位   大峡 明
4位   村上博靱
5位   渡辺敬一郎
6位   米山京子
7位   市野沢伊司
8位   米山三美
DC   大塚×3 村上
NP   大塚 京子

第295回 NMGゴルフコンペ
期日  2012年10月9日
使用コース 東⇒中
<成績>
優勝   松延義一
2位   渡辺敬一郎
3位   石田周二
4位   大塚静男
5位   米山三美
6位   市野沢伊司
7位   米山京子
8位   唐沢洋一
9位   船田建夫
10位  村上博靱
DC   松延 三美 京子 渡辺
NP   市野沢 三美

第294回 NMGゴルフコンペ
期日  2012年9月11日
使用コース 中⇒西
<成績>
優勝   渡辺敬一郎
2位   大峡 明
3位   松延義一
4位   大塚静男
5位   船田建夫
6位   村上博靱
7位   市野沢伊司  
DC   村上×3 大峡
NP   村上×2 大塚


第292回 NMGゴルフコンペ
期日  2012年7月10日
使用コース 東⇒西
<成績>
優勝   米山三美
2位   村上博靱
3位   市野沢伊司
4位   米山京子
5位   渡辺敬一郎
6位   松延義一
7位   大塚静男
8位   船田建夫
9位   大峡 明


第291回 NMGゴルフコンペ
期日  2012年6月12日
使用コース 東⇒西
<成績>
優勝   米山京子
2位   石田周二
3位   村上博靱
4位   大塚静男
5位   米山三美
6位   船田建夫
7位   大峡 明
8位   渡辺敬一郎
9位   市野沢伊司


第289回 NMGゴルフコンペ
期日  2012年4月10日
使用コース 中⇒西
<成績>
優勝   米山三美
2位   船田建夫
3位   市野沢伊司
4位   大塚静男
5位   石田周二
6位   渡辺敬一郎
7位   米山京子
8位   村上博靱
9位   大峡 明


第288回 NMGゴルフコンペ
期日  2012年3月13日
使用コース 東⇒中
<成績>
優勝   村上博靱
2位   松延義一
3位   石田周二
4位   奥村 守
5位   米山三美
6位   船田建夫
7位   市野沢伊司
8位   米山京子
9位   大峡 明
10位   渡辺敬一郎
11位   大塚静男


第286回 NMGゴルフコンペ
期日  2012年1月10日
使用コース 東⇒中
<成績>
優勝   石田周二
2位   大塚静男
3位   大峡 明
4位   唐沢洋一
5位   渡辺敬一郎
6位   市野沢伊司
7位   奥村 守
8位   村上博靱
9位   米山京子
10位   米山三美 
11位   船田建夫


第285回 NMGゴルフコンペ
期日  2012年12月13日
使用コース 東⇒西
<成績>
優勝   大峡 明
2位   村上博靱
3位   米山三美
4位   唐沢洋一
5位   渡辺敬一郎
6位   米山京子
7位   大塚静男


第279回 NMGゴルフコンペ
期日  2011年5月10日
使用コース 東⇒西
<成績>
優勝   奥村 守
2位   米山京子
3位   市野沢伊司
4位   石田周二
5位   渡辺敬一郎
6位   大塚静男
7位   米山三美
8位   村上博靱
9位   船田建夫


第278回 NMGゴルフコンペ
期日  2011年2月8日
使用コース 東⇒西
<成績>
優勝   市野沢伊司
2位   大塚静男
3位   石田周二
4位   松延義一
5位   米山三美
6位   船田建夫
7位   大峡 明
8位   村上博靱
9位   唐沢洋一
10位  米山京子



第277回 NMGゴルフコンペ
期日  2011年1月11日
使用コース 東⇒西
<成績>
優勝   石田周二
2位   村上博靱
3位   大塚静男
4位   船田建夫
5位   大峡 明
6位   米山三美
7位   市野沢伊司
8位   奥村 守
9位   米山京子


第276回 NMGゴルフコンペ
期日  2010年12月14日
使用コース 東⇒西
<成績>
優勝   村上博靱
2位   唐沢洋一
3位   渡辺敬一郎
4位   市野沢伊司
5位   大塚静男
6位   大峡 明
7位   米山三美
8位   船田建夫
9位   米山京子
10位  


第275回 NMGゴルフコンペ
期日  2010年11月9日
使用コース 東⇒西
<成績>
優勝   大峡 明
2位   米山三美
3位   市野沢伊司
4位   奥村 守
5位   船田建夫
6位   大塚静男
7位   村上博靱
8位   渡辺敬一郎


第271回 NMGゴルフコンペ
期日  2010年7月13日
使用コース 東⇒西
<成績>
優勝   奥村 守
2位   大塚静男
3位   米山三美
4位   渡辺敬一郎
5位   大峡 明
6位   村上博靱
7位   石田周二
8位   市野沢伊司
9位   船田建夫


第270回 NMGゴルフコンペ
期日  2010年6月8日
使用コース 東⇒西
<成績>
優勝   船田建夫
2位   市野沢伊司
3位   渡辺敬一郎
4位   大塚静男
5位   松延義一
6位   石田周二
7位   村上博靱
   

第268回 NMGゴルフコンペ
期日  2010年4月10日
使用コース 東⇒西
<成績>
優勝   米山三美
2位   村上博靱
3位   奥村 守
4位   大塚静男
5位   船田建夫
6位   市野沢伊司
7位   唐沢洋一


第267回 NMGゴルフコンペ
期日  2010年3月9日
使用コース 東⇒西
<成績>
優勝   米山三美
2位   村上博靱
3位   大塚静男
4位   船田建夫
5位   市野沢伊司
6位   唐沢洋一
7位   石田周二
8位   大峡 明


第266回 NMGゴルフコンペ
期日  2010年2月9日
<成績>
優勝   石田周二
2位   村上博靱
3位   奥村 守
4位   松延義一
5位   大塚静男
6位   大峡 明
7位   船田建夫


2010年



2008年



2007年



2005年

2022320日 松井昌美(A34)

誌上でこんにちは。「お茶でも飲んでけし」213日掲載の甲州人国記・作家、ギタリストでもある深沢七郎を読んで改めて興味を持ちました。

私は「楢山節考」は長野県出身の人が書いた、と思い込んでいましたので、山梨県境川村と知ってん!と引っ掛かったのです。何故ならば
私の母は川中島出身なので、小さい頃から中央線の姨捨駅を知っていました。

眼下を長野平野が広がり、手前には有名な「田毎の月」が見られる段々畑があります。そして何時からか姨捨山は何処にあるのだろう。
と周りの山を漠然と見ていました。「楢山節考」の映画は1958年おりんに田中絹代、1983年には坂本スミ子が演じて何回も見ています。

何処かに何か引っ掛かっているものがあったのです・・
今日自分なりに理解出来ました。深沢七郎は民間伝承の棄老伝説を題材に舞台は山梨県境川村大黒坂だと。深沢七郎についてまだ知りたい事が沢山ありますが、ぼちぼちと資料を読んで行きたいと想います。

山梨県に素晴らしい作家がいたのですね。お茶でも飲みながらゆっくりとお話が出来たら良いのに。掲載して下さり有り難うございました。 



2022年3月19日

愛宕山界隈を散歩して       村上博靱(E33)

 
去年、甲府へ行った時、時間があったので、愛宕山の界隈を散歩してきました。
昔から気になっていたので一度ゆっくり歩いてみたかったのです。
何故って言われるとほかでもありません。
紺のセーラー服とエンジのネクタイ英和高生徒にあこがれた青春時代を思い出したからです。

当時、甲府二高や湯田高の生徒とは、身延線通学でさほど気にせず話しかけられたが、英和高生となるとちょっと違いました。
「ミッションスクールのお嬢さん」というイメージが強かったので、なかなか近寄りがたく、意中の生徒とは結局3年間一度も話せず終わってしまいました。

そんななか、親友の網倉さんは甲府工業の生徒会長や弁論部の部長ををやっていたので、いつも英和高生と気軽に話してる姿を見て、うらやましかったですね。

今考えれば、あの頃は話も出来ない、ウブ?な自分だったんだなぁーと思いました。

あれから60数年。時の経つのははやいものです。いまや傘寿を過ぎて、やけに昔を偲び英和高校の周りを歩きたいと思った訳であります。

目的を達成した気持ちは、真夏の夕立見たいなモノでした。

舞鶴城から見た愛宕山
 














和4年3月17日
命の源、水の大切さを感じる環境に関する創作文で山梨県知事賞を。 八巻貴哉君(11歳)  平成24年6月

水や海などの環境に関する創作文を、全国の小中学生から募集する「ざぶん賞」。山梨県内から約300点の応募があり、最高賞の知事賞に選ばれた。

『受賞できるとは思っていなかったので、とてもうれしかった』ざぶん賞の応募は、通っている甲府・羽黒小の放課後児童クラブの課題だった。                                   
「最初はやらされている感じだった」けど、母親のめぐみさん(39)のアドバイスを受け、好きな材料をテーマに取り組んだ。創作文のタイトルは「食卓と水」。

夕食の準備を手伝いながら、レンコンハンガーグやオクラのポン酢あえ、ポテトサラダといったメニューを作る際に使う水、ごはんをまぜる前にしゃもじにつける水、なにをするにも水が必要なことに気がついた。 

. 受賞作では「水を使っていない料理はないことにびっくりした。食べることは生きていくためになくてはならないこと。命の源は水だということをあらためて知った」とつづった。                .

受賞後、水を大切に使うという意識だけでなく、自然環境を大切にしようという気持ちも強くなった。友達と遊びに行った川でごみを見つけ、みんなで拾った。

「ごみが落ちていたら気付くようになった。川が汚れると生き物が困る。水がなければ動物や植物、人は生きていけず、自然をきれいに、大事にしなければ駄目。一人一人の自覚が大切だと思う」

趣味は釣り。これまでは釣り堀や海で釣っていたが、川の環境を守ることを意識した今は、渓流釣りを体験したいという。「釣れたときの達成感が楽しい。きれいな川でヤマメやアユ、イワナを釣って、自分で調理したい」と笑顔を見せた。

なお、八巻貴哉君甲府市山宮町在住八巻弘倫さん(E33)のお孫さんです。           

 資料;山梨日日新聞


東京スカイツリー設計陣に土屋哲夫さん(勝沼町出身)再び甲州人の手で「内藤博士の意思」継承

世界一高い634メートルを目指して東京都墨田区で建設中の「東京スカイツリー」の設計に、甲州市勝沼町下岩崎出身の
土屋哲夫さん(40)が携わっている。半世紀以上にわたり国内最高で、完成当時は世界一を誇った東京タワーの設計を手掛けた南アルプス市櫛形町出身の内藤多仲に続き、“最高峰”の建築に再び甲州人がかかわっている。

新たなランドマーク建設で課題となった狭い敷地は、日本の伝統的な建築技術を応用した耐震性の強化でクリア。地面の三角形が次第に円形となる形状は先端ノウハウを生かした。「内藤多仲先生も当時、最新技術を駆使したと思う」という土屋さん。技術の粋を集めたこだわりは塔博士と同じだ。
 
建設現場の約200メートル東にある墨田区押上の京成橋は、展望スポットとして平日でも混雑。見物客が写真撮影する姿を見ながら、土屋さんは「東京タワー(333メートル)を超えてからお客さんが増えたようだ。多くの人に見られるのは、うれしい」と目を細める。
 
土屋さんは、駿台甲府高を卒業後、東京大学、同大学院に進学。東京タワーも手掛けた日建設計(本社、千代田区)に就職した。スカイツリーの設計には社員約20人が中心となってかかわり、土屋さんは建物のデザインや建物内部の仕様を手掛ける意匠設計チームのリーダーになった。
 
高さ634メートルの計画に対する最初の印象は「本当に立つのか」だった。超高層建築物は通常、底辺と高さの割合が「1対5」程度とされるが、建設予定地(約3万7千平方メートル)が細長い地形のため底辺は68メートルで、割合は「1対9」という厳しい条件だった。
 
耐震性を増すため地下約50メートルまで支えのコンクリートを埋め込んだほか、建物の中心に柱のように立つコンクリート製の構造物を、鉄骨パイプが覆う二重構造にした。中心の「心柱」と周囲の梁(はり)などで成り立つ法隆寺五重塔の工法を応用し、中心部と周囲が異なる揺れをすることで、大きな地震にも対応できるような仕組みにした。
 
デザインにも趣向を凝らした。タワーの断面は地面が「最も安定感がある」三角形で、高くなるに連れて丸みを帯び、最後は完全な円形となる。日本刀のそりなどをイメージした鉄骨パイプを組み合わせることで特殊な形状を実現。「工事をする人は大変だが、最初から造りやすい形では面白くない」とこだわりを見せる。
 
日建設計が
内藤多仲と協力して設計した東京タワーの図面も見たという。「内藤先生はわたしにとって教科書の中の人物。意識することはなかった」と振り返るが、「東京タワーもスカイツリーと同じように最新技術を駆使したと思う。その点では内藤先生と同じかもしれない」と話す。なお、高さ634mは「武蔵」と覚えやすい。 

山村宏樹投手(36)=甲斐市出身。       平成24年11月9日 

甲府工業 からドラフト1位で阪神に入団し、近鉄、楽天と3球団で18年間プレーし通算成績31勝44敗 2セーブ。
5年目で病気を理由に自由契約となった時は、甲府工業の恩師が心の支えになりました。

2001年には7勝を挙げて近鉄のリーグ優勝に貢献。山村さんは「解雇、球団消滅など、多くの経験をしてきました。 
今季はけがの影響で1軍登板がなく、「1軍のマウンドに立ちたい思いは強かったが 手首をけがして、靱帯がぼろぼろ。
もう苦しんでプレーする姿を家族に見せたくなかった」と話しました。 
山村さんは敷島中から甲府工業に進み、2年生の時にはエースで4番として甲子園出場を果たした。
1995年にドラフト1位で阪神に入団。4年目に待望の初白星を挙げた。
苦しんでいた山村さんを支えたのは、甲府工業時代の監督・原初也さんでした。
原さんは「もう一度復活させないといけない」と、山村さんに母校のグラウンドを使わせて練習させました。
原さんには引退の決意を一番先に電話で伝え「一生懸命やったから。ありがとな」と声をかけられました。
山村さんは「プロ生活は苦しかったけれど、監督さんの言葉を聞いてよかったと思えた」と語った。 
引退後の進路は未定だが「野球に関わることをしたい。育ててくれた山梨や楽天に恩返しをしたいと思っている」。

野球界発展のために、今までの経験を生かすつもりです。 資料;山梨日日新聞







2022年3月12日

サマーフルーツフェスティバル・さくらんぼの日が16日、山梨市江曽原・笛吹川フルーツ公園で開かれた。
笛吹川フルーツ公園から甲府盆地を眺める夜景は2003年に「新日本三大夜景」に選ばれている。
首都圏から夜景目当てに若者たちが増えたといい、プロポーズをするのにふさわしい「恋人の聖地」として認定されている。
ダイヤモンドをちりばめたような、きれいな夜景を見に一度訪れてみてはいかが。



回想録  2022年3月11日  村上博靱

2011年3月11日の東日本大震災は東北地方を中心に未曾有の被害、多くの尊い命と財産を失い心よりお見舞い申し上げます。
我が茨城同窓生も震災の恐怖をまのあたりに体験し、家族ともども怪我が無かったのが何よりも幸いでした。
復電直後からたくさんのメールで近況を寄せてくれましたので当時の様相を抜粋してご紹介いたします。

 
▼山梨も心配になり南アルプス市の芦安へ行く道の野牛島の叔母さんのところに電話しましたら、震度4だったとのことで、無事で一安心したところです。地震が日本列島の北半分を舞台に暴れまわっているようで不気味な気がしますが早く安定して欲しいです。
地震もそうですが、福島原発も深刻な状況で目が離せません。危機管理の重要性をつくづく感じさせられます。2日前に電気が回復し、今日はガスが復旧しました。水道はまだですのでお風呂にまだ入れません。 3/16   
田原 和雄(E34)


▼修復作業で疲れていますが家族が無事なのが何よりです。宇佐美先輩もご家族共々お元気なようでした。13日12時頃、電気が復帰しました。水道は14日4時30分現在断水中です。昨日は大島悠歩会(高齢者の外に出ようよう会)3月行事中止の連絡で電話不通などのため、お見舞いがてら車で歩きましたがスーパーの近くと常磐線陸橋周辺は交通マヒ状態で難儀しました。会員の皆さま全員のご無事を祈念致します。小山田 浩(E27)


 ▼水戸も震度6の揺れでした。今まで経験したことのない揺れが長く続き相当驚きました。机の下に逃げ込んでおりましたが幸い怪我もなく無事でした。断水・停電が続いておりましたが、昨日夕方より通電されま したのでメールが通じるようになりました。
我家の被害は屋根の瓦が落ちて、半分くらいは浮き上がっております。周囲の家を見てもかなりの確率で瓦が浮き上がって落ちていることと、大谷石の塀は殆ど倒れてしまっています。部屋の中は食器が落ちて割れたり、本箱から本が落ちたり絵の額はほとんど落ちてしまいました。
昨日と今日はこの整理と飲料水と食糧の確保などでした。復電のおかげで昨夜から暖かくして過ごせています。
齊藤 尚武(M32)
  

                                                                                    

 ▼早速のお見舞いメール有り難うございます。当方、木本兄弟お陰様で怪我もなく過ごしております。家の食器等はかなり壊れましたが、片付けも終わり物資の調達に追われています。
電気は13日夜9時30分頃通電しましたが、水道がまだで苦難しています。村上様や皆様のメールを拝見させて頂き、心強い気持ちになりました、感謝申し上げます。  3/14  
木本 土八(E39) 

 
▼一週間を過ぎ、家の中も整理されてやっと落ち着きを取り戻しています。昨日の18日頃から、スーパーやコンビニに物が入り始めました。販売量は制限がありますが、飲料水(2Lボトル2本/一人)、牛乳、卵、なども手に入るようになり、二人だけの生活には十分です。
生活用水は近所で井戸を所有する家から分けて頂いており、大事に使っております。東北の被災地のことを思えばまだまだぜいたくです。断水がまだ続いていますので、生活用水の確保が日課となっています。昨日も大きな余震があり、東海原発が心配になってきました。
石川 信(E33)

                                               

▼お見舞い有難う御座います。家内共々無事です。それにしても凄かったですね、こんなの生まれて初めてです。被災したところは気長に片付けたいと思います。 
河西 徹(E30)

                                     
▼今朝ようやくメールが使えるようになりました。今のところ、我が家は、震災による被害は、殆どありません。現在は、断水状態が継続しています。同窓生の被害が心配です。
今井 勝友(E36)
 

▼今東京にいます。常磐線不通で帰れませんが、家族全員無事は確認できました。しばらく常磐線は不通になりそうです。東京でしばらく、暮らす覚悟です。
早川 博(M36) 

 ▼やっと復電しました、お陰さまで被害は微少でした。断水だけで住居は異常ありません、一番の苦痛は通信手段無しでした。携帯は中継基地ダウン、固定電話は電源無し、文明社会は真に不便ですね。 浅川 茂(E29) 

 ▼那須町は幸運にも被害は少なく電気、水道も12日に復旧しました。我が家も物凄い揺れでしたが極めて軽微な被害ですみました。また日立市の息子の家も地震、津波の被害もなく助かりました。村上様のお心使いに重ねて御礼申し上げます。皆様にも宜しくお伝え下さい。 
飯窪 利昭(E38) 

 ▼自宅の屋根瓦がほとんど落ちてしまい、その片付けで疲れていますが、家内とも無事に過ごしています。今はブルーシートの確保に苦慮しています。寝泊りは、近くに住む息子夫婦のところで過ごしています。皆さまも、それぞれ大変かと思いますが気長に焦らず頑張りましょう。 
中田 豊哉 (E34)
 

 
▼新築して直後に起こった大震災、びっくりしましたが家族はみんな元気で過ごしております。被害にあわれた同窓生の一日も早い復興をお祈りいたします。
網倉 聖紀(E33)


                              

▼小生宅は屋根がやられました。幸い家族は元気で安心しています。復興は時間がかかると思いますが一応応急処置はしましたので暮らしには支障はありません。電気も昨日18時に復旧しました。
まだ水は復旧のめどが立っていないようです。 3/15 
木内 昭男(E31)
 

▼光通信故障なのかようやくTEL,メール出来る様になりました。いつも有難うございます。
白川 武志(M34)


日立地区は電気が昨日、ガスは今日ようやく復旧しました、水道は未だです。従って今朝、市役所の給水センターに行き水を貰ってきました。茨城以北の津波の被害は甚大だし、これに福島原発の大問題と合わせ先が思いやられます。
お互いに健康に気をつけて頑張りましょう、見舞い有難うございました。
川手 貞雄(M27) 

▼生まれて初めて震度6強を体験しましたが、想像以上でした。お見舞いメールありがとうございます。被害が大きくなく安堵しております。今は断水しているので飲料水・トイレ用水の確保が日課となっています。
飲料水は市の給水を利用と旧家の井戸水を利用しています。トイレ用水は市のプールの水を利用しております。食料品も少なく、並んで買い物しています。困るのは、ガソリン・灯油の不足が深刻で、長蛇の列なので車を使わず節約のため自転車を運動のためと思って活用しています。
しかし今度は放射能問題もあり、チョット気をつけないと思っています。同窓会皆様の無事を知り安心しております。余震に気を付けて頑張りましょう。 
深澤 弘義(M37)

 

▼生涯初の巨大地震に面食らいました。水は我が家では井戸でしたので電気がくればOKです。12日には、断水の家に給水しました。家の外壁にクラック、棚の物が落下、転倒防止してなかったPCが机の上から椅子の上に落下しましたが故障しませんでした。
12日勝田にある日立機械研究所の45周年記念総務部OB会が中止となり、大変がっかりです。しかし家内や子供、孫全員無事だったことが何よりでした。まだ、余震が警戒されます。同窓生一同様お気をつけて下さい。3/16  
古明地治光(E30)

 

▼いつも同窓会便りをありがとうございます。差し支えなければ皆様へ添付資料を配信ください。いま、福島原発が厳しい状況が続いているので、報道を聞き皆さんが不安に思っていると思います。私はこれまで放射線管理に携わったので、今報道されている被ばく放射線量(mSv:ミリシーベルト等数値)と人体影響について添付表にまとめてみました。法律に定められているもの、これまでの知見で知られているものです。今の状況を正確な知識のもとに、冷静に判断し、不安にならず、デマ等にまどわされないようにしなければなりません。原発の現状は、核暴走で炉が爆発したチェルノブイリ事故のようなものではありません。冷却水がなくなって、水素が発生、爆発したことで、一部のガス状、チリ状の放射性物質が外部に出ていると思われます。
深澤 国雄(M37) (牧丘町出身) 

▼日立市の藤原です、出身は韮崎です。甲斐の山々の動画、有難う御座いました。南アルプス、甲斐駒、八ヶ岳、綺麗に写っており懐かしく見させて頂きました。今回の地震、お陰様で家屋は大丈夫でした。家の中は花瓶が倒れたり食器が何個か割れましたが、損失は軽微ですみました。
今は、電気とガスは回復しましたが、水道はあと2~3日かかると思います。ガソリンがないので、飲料水の調達など体のために歩く事にしています。福島原発から100km離れています、格納容器の爆発が心配でテレビに見入っています。  3/18
 藤原 悦男(M32)
 
 
                             

 ▼3/11(金)午後2時46分頃は、常陸太田市鯨ケ丘通りの雛飾りを見ながら、俳句の仲間と「吟行会」を旧家(食堂)の二階で句会をやっている時に、突然、揺れだして、なかなか治まらず、外に逃げ出したところ屋根瓦がバラバラ落ちだし危険な状態が続きました。
道路の信号機は直ぐに消え、道路は混み出すし、道路が大揺れしている中を本山経由で何とか帰って来ました。旧い家ですが、増築の際、L形に作ったのが幸いしたのか、屋根の瓦が何とか助かりましたので、ほっと一息でした。
電気は、3/13(日)水は、3/18(金)復旧しました。ガスは、プロパンなので、止まる事は有りませんでした。これで今夜は、風呂に入れそうです。未だ当分の間は、耐乏生活が続くでしょうけど、お互いに頑張りましょう。3/18 
大柴 公夫 (M34)
@日立市中成沢町です。
 
                                                    

 ▼東海村では4日間避難生活を余儀なくされ大変でした。でもパン工場は昨日から給水されたのでさっそくパン作りを再開、JA関係の販売所に納めることが出来ました。自宅の方は先ほどから給水され、8日ぶりに今夜お風呂に入れるのでうれしいです。築40年の自宅の家屋はセメント瓦が少し落ちた程度でした
中村 正喜(M34)

 

▼いつもお世話になり、ありがとうございます。今回の地震につき、連絡が遅れて申し訳ありませんでした。当方旧内原町は、被害もなく平時の生活を送っています。当日は揺れが来てすぐ、テレビを点けて震源地が宮城沖まで確認しました。
近所の人たちも皆外に出て「恐ろしい」と言っていました。すぐに停電になり、一時間ほどで断水になりました。近所のスーパーは品薄ですが開店しています。ガソリン不足が大変なようで、近所のスタンドには連日2方向からの長蛇の列で、2時間ほど待って20リットル制限のようです。
昨日、自転車で水戸市内まで行ってみましたが、屋根瓦の落ちた家や塀の崩れた家があちこちに見られ、墓石も何か所も倒れていました。大谷石の塀の被害がほとんどで、御影石の大きなのも崩れていていました。 
笠井 光一(E43) 

                                                                                            
 ▼茨城は比較的地震の多い地域であり、私の認識としては常にリリースされているので、過去に大きな震度の地震もないし、また活断層もないので、そう大きな地震は起きない良い所という印象でした。
ですからこれほどの地震が起きたことは全くの想定外です。
なんと震度6強、このとき日立市平和通りのビルの2階のある研究所に勤務していました。ただ事ではない揺れに机の下にもぐりこむと山積みした書類が落ち、大きな音と共に、壁に亀裂が入いりました。古いビルなのでこのまま崩壊したら終わりかなと一瞬思ったほどでした。
経験したことのない大きな揺れが5分近く続いたように思います。その後ライフラインが一切絶たれた生活をしてみると電気のありがたさ、ガスのありがたさ、水のありがたさを痛感した1週間でした。ものが無い時代に生き抜いてきた私たちには昔に戻る生活に過ぎませんが、顧みるに便利さゆえにいかに資源を無駄にしているかも認識いたしました。
ものに振り回されないシンプルな生き方をこの大地震から教えてもらったように思いました。同窓会便りで先輩達が無事で過ごしていることも知る事ができ安堵しました。
 渡辺 孝(E36) 

 
                                                         

▼地震にみまわれた時、車が浮き沈みしたのには恐怖を感じました。我が家の被害は屋根瓦がずれた程度で助かりました。ライフラインは全て復旧しました。ガソリンが早く元にもどることを祈っております。健康には気をつけて下さい。
喆  小澤 照夫(M24) 

                                                 

▼日立では特に海岸に面した所は、被害が大きいです。私の所は海岸から少し離れており玄関のタイルが落たり、家の中の棚の茶器類など破損、壁に結構ひびがはいりましたが大きな被害になりませんでした。
毎日水汲み、ガソリン入れに長時間ならび入れられるのは、10リッタ-で2000円分です。今回は電気、ガス、水、等有難さがいやとゆうほど身に沁みました。まだ水道が出ていない地区もあり、大変かとおもいます。もう暫くと思いますので身体に気をつけてお過ごし下さい。3/20 
小林 一彦(E33)

 
                                                    

▼平常の生活の有り難さを切々と痛感しました。 
丸山 迪昭(E32) 

                                                                        
▼災害から2週間すぎてようやく家の中の整理が終わり、昨日は倒れかかった40mのブロック塀を全部撤去しました。取り去った跡はなぜか風通しが良くなり、もうブロック塀は懲りたのでプランターを置いてやろうと思います。
また液状化のため基礎の端が30cm沈み、家が傾いて地震の被害を改めて知った時、昨日調査に来た市役所の応急危険度判定士が「此の近辺では一番ひどいですね」と言いながら、「要注意」のイエローカードを玄関に貼って帰って行きました。
ちょうとせつない気持ちになりましたが「モノは考えよう、立入り禁止のレッドカードでなくて良かったね」と家内の一言で救われたような気がしました。 
3/24 村上 博靱                                                                                                                                                                                                

 

                                                                                  
震災から9ヶ月経ち同窓生も元の生活を取り戻した暮れの2011・12・10(土)午後3時から、ひたちなか市のクリスタルパレスで茨城同窓会を開催した。
当日はお忙しいなかを甲府より保坂精治会長や荒井千明事務局長、東京より小林務会長にご臨席を賜り総会、懇親会に参加して頂いた。

また作曲家の保坂ひろし先生(E33)には「作曲家人生よもやま話」と題して講演をお願いして「多難な人生経験のもと今がある」と語られました。

懇親会は予定時間を大幅に延長するほど盛会裏に終了することが出来た。茨城同窓会は故郷山梨を想う一人ひとりの心の中に宿る“絆”で結ばれています。これからも皆さんと一緒に茨城同窓会をより良く育てる所存でございます。最後になりましたが役員一同、甲府工業同窓生皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げるとともに、母校甲府工業高校の益々の発展を心より祈念申し上げご挨拶と致します。(敬称略)

      令和4年3月10日

   高原をかけ廻る乙女達     昭和32年度 土木科卒 雨宮二六(C32) (平成25年5月記)

私が初めて 清里高原を訪れたのは、今からちょうど56年前( 昭和32年)高校三年生の夏休みである 。その当時の清里駅前には、人家は殆んど数えるくらいしか無かった。

日用雑貨の傍らにお土産品を少し並べたお店と、駅から一寸下がったところに木造の旅館が一軒、それに並んで木造の民家が数軒と、別荘がチラホラ見受けられる程度で有ったと記憶している。

駅から歩いて二十〜三十分ほどの所にあった清泉寮へ通じる道路は田舎道そのもので、大きな石がゴロゴロ転がっており、道路脇の木々は埃をかぶって真っ白くとても歩きにくかった 。

その道路の両側の林の中には牛や馬が放牧されておりあちこちで顔を覗かせ高原の放牧地帯そのものであった。
清泉寮( ポールラッシュさん経営キープ協会)の周りの林の中には、Hokkido-Cabin.・Tokyo-Cabin-Osaka-Cabin等と名ずけられた別荘風の寮( 現在のコテージ)があちこちに建てられており、ちょうど東京のミッション系大学の学生さん達が大勢訪れ、夏休みを楽しんでいるようであった。

このような山間の中で、清泉寮が主催する夏のカンテイーフアイアーとして当時としては、日本では珍しいクロスカントリーレースが行われるとのことで、山梨・長野をはじめ・東京方面からも多数の選手が参加した。

我々甲府工業高校からも夏休みの合宿訓練の打ち上げを兼ねて長距離部員全員が出場のため当地に赴いた。
我々は、レースの前日に清里入りし、前述の当地ただ一軒の旅館に荷物を置き、休む間もなく、明日に備えて調整のトレーニ ングを行った。 夕食後、精神的な緊張をほぐすため、それ程賑わいもない駅前に、仲間を連れて散歩に出た。

程なくして、暗闇の中で花火の上がるのが目にとまった。近づいて見ると、そこには別荘に来ていた中学生くらいの女の子達( 英和女学院)が花火を楽しんでいるところであつた。

我々は、彼女たちが恐る恐る火をつけているのを見て 、点火役を引き受けることを理由に、その花火を殆んど取り上げた形で一緒に楽しんだ。 花火が終わつて立ち去ろうとした時、 彼女達から「別荘に遊びに来ないか?

と声がかかった。しかし、今回の清里入りの日的が先に述べたクロスカントリーレースである 。「 明日のレースを控えているので 、早寝をしなければならないから」と残念ながら鄭重に断り、その代り明朝ウオーキングの折に寄らせて貰うことにした。

翌朝、約束どおり、上級生三〜四人で 立ち寄ったところ、コーヒーなどを用意して待っていてくれた。静かな高原の早朝のコーヒーを御馳走に預かりながら「今日予定がなければ、クロスカントリーレースの応援に来てくれないか」と頼んでみた。彼女達は 大はしゃぎで「 みんなで応援に行く」と引き受けてくれた。彼女達の予期しない 回答に気を良くしてウキウキしながら宿に戻ると、いましがたの感激が何処くやら 、監督の先生のカミナリが待っていた。

正座させられ「団体行動を乱すような行動は許せない 」と怒られ、昏々と諭された。監督に皆で詫びて、レースの参加は事なきを得た。
さて、いよいよレースである 。

御存じの通り、クロスカントリーレースは、野を越え山を越え、小川を超え、牧草地帯や、大きな石の上を飛ぶように走る競技である。
この起伏の激しいコースで 、しかも合宿の疲れも出ておリベストコンデイションというわけにはいかなかった。

しかし合宿で十分走りこんでいたので 、距離についての不安は全くなく、どうやらトップ集団についていくことができた。後半に入り、疲れが出てきたあたりで 、旨い具合にあの女の子達の応援が待っていてくれた。

黄色い声援のおかげでゴール500m位手前で最後の力を振り絞り前の選手を追い抜き第二位に上がり入賞する事が出来た 。このとき、最後に迫い抜いた相手( 彼は三位)が、なんとその数年前ボストンマラソンで優勝した東京松屋所属の田中茂樹選手であった。

何といことだろう 。クロスカントリーレースとはいえ、こんな世界的に有名な選手にまさか勝てるなんて 、とても信じられない事で 、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
 またこんな強い 選手に勝てたことは 、その後の選手活動に力強い自信となって発揮することができた。最近競技会で中茂樹さんとお会いする機会が有るけど田中さんもあの時のことを覚えていて懐かしい昔話に華を咲かせている。
 
表彰式では、上空からヘリコプターで来場された高松官妃殿下から直接大きな盾を戴いた。これもまた競技生活でたつた一度の経験で有り感激もひとしおであつた。
表彰式の後、たまたま取材に来ていた新聞記者 山梨時事新聞の駒井さん)が、日頃から面識が有ったこともあり、「あそこにいる、まるで高原に咲き匂うような彼女達を取材して貰えないか」と頼んでみた。

これが彼女達の声援に対して自分のできる最高のサービスで有った。 翌日の朝刊に 、ススキや名も知らない 草花が咲き乱れている清里高原を飛び廻っている姿が写真人りで「 高原をかけ廻る乙女達」という見出しで 紙面を飾ってくれた。

またレース後、 林道を歩いてくると、Hokkaido-Cabin等が点在する木陰では、 浴衣に装つた、お嬢さんたちが野点を楽しんでいた。それに見とれながら通りかかった我々に「 お客になってくれませんか」とここでもまたお誘いを受けることになった。

お茶の作法も味も知らない連中が正座して御馳走になった 。
日頃、女性にはとんと縁の無い我々が、何故かこの2日間だけは、青春の楽しい想い出を沢山与えてくれた高原で有つた。

                                                                                                                                                                               

 

                                                                                  


                                          

左;望月友利さん(委員長)右;川合伶奈さん( 副  ) 

写真口野道男さん
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「明野は晴れの日が多い」中学に着任した理科教師
口野道男さん(79)は、住民らのこんな話をよく耳にした。 

石油危機で、太陽光などクリーンエネルギーが注目され始めたころ。しかし、ここに気象庁の観測地点はなく、日照時間はわからなかった。

 「自分たちで観測したらどうか」 村おこしのきっかけになるのではと、口野さんが出した提案に、村が乗った。

翌1980年8月、中学の前に日照計などができ、観測が始まった。ガラス球の中の受光板が太陽光を受けると微弱な電流が流れ、記録紙に波形の線を記していく仕組み。

気象業務法で、 データを公表できる「届け出観測施設」となった。

計測するのは生徒たち。中学に気象観測委員会ができた。口野さんは「当時、『村』を卑下する子もいた。自分たちの手で日本一が証明できれば、郷土への愛着が生まれると考えた」と振り返る。

 そして1年後の1981年7月末、年間2796・8時間を記録した。理科年表(国立天文台編)に載っている全国80カ所の値と比べると、数百時間以上長かった。生徒たちは歓喜した。

 甲府地方気象台や口野さんによると、内陸部の山梨は、南アルプスなど3千メートル級の山々にさえぎられ、西からの湿った空気が流れ込みづらい。

特に明野は、年間を通じて低地の川沿いを風が吹き抜け、雲をつくる上昇気流がほとんど生じないという。                               

生徒たちの観測は今も続けられ、今年で33年目になる。参加した生徒は500人を超え、毎年、日照時間や気温、降水量の報告書をまとめてきた。


委員長を務める
望月友莉さん(3年)は「長く続いているのは、すごいこと。責任を感じます」。

学校や市の教育委員会には、近くの農家や県フラワーセンター(ハイジの村)などから「作付けの参考に」と、データの問い合わせがある。                 

 「日本一」をきっかけに明野村は「太陽の村」構想を掲げ、太陽光発電の導入など今に続く流れをつくった。

町村合併の前に始まった「サンフラワーフェス」は昨年で20回目を迎え、満開のヒマワリ畑が映画のロケ地としても有名になり、観光客20万人が訪れる。           
                                

口野さんは「歴代の生徒たちが、ふるさと振興の一翼を担ってきた。誇りに思います」と満足げだ。

 《日照時間》 明野中が観測した北杜市明野町の日照時間は昨年、2533・2時間。     

気象庁の観測地点154カ所(アメダスなどを除く)で、各都道府県のトップをランク付けすると