2022年10月18日

素晴らしきヒコーキ野郎      堀内道雄(E39)

 

1、 幼少時代

小学校高学年 (昭利30年~昭利33年)にゴム動力の模型飛行機を小学校の図工時間に製作して校庭で飛行させました。

担当の先生が模型飛行機に詳しく、極限に近い軽量化を施して出梨大学の運動場で実施された模型飛行機大会山梨県大会に出場した思い出があります

2、 高校時代

 昭利37年 4月に甲府工業高等学校電気科 (担任:斉藤幹夫先生)に入学しました。

放送委員会に3年間所属し校内放送、各クラブ活動の連絡、全校集会時の放送設備の設置・操作、他校の放送 委員会との交流などが思い出されます。

放送委員会の先輩達に感化され昭和38年4月期にアマチュア無線を受験して9月にJAl NQBを開局、2本の竹竿で高さ7~ 8mにアンテナを張り3.5MHz、

7MHz、21 MHzで海外と交信したことを思い出します。

3、 社会人

 昭利40年4月に東京都昭島市の会社に就職して、半導体 集積回路研究部門の一員としてスタートをしました。

吉祥寺のアパートから通勤しておりました、調布飛行場が近くにあることを矢回り、ある日飛行場に赴き軽飛行機 (セ スナ172タイプ)の操縦訓練について

説明を聞きました。なんと訓練費用が教官付で1時間当たり15,000円 、この時、私の給料が一か月9,500円 、到底実現できない現実に落胆した思い出があ

ります。


昭利47年5月に分析専用コンピューターの研究室長をされていた菅澤清孝氏と「システム・インスツルメンツ株式会社」を設立し現在に至っています。

設立当初は、テレタイプ、テープリーダー、ライター、記憶装置などの周辺装置をコンピューターに接続するインターフェース回路設計・ 製作をしていました。

現在は、各種分析装置、医療機器、介護予防機器、など最先端技術を取り入れて製品を創出しています。

昭和48年頃、既に結婚をしていて現在の青梅市に住んでいました。家のことは家内に任せていつも帰宅が夜中という時期でしたが、仕事の合間で時間が

取れる時は幼少からの空への憧れは頭の片隅に残っており、無線操縦 (ラジコン)の飛行機を飛行させてみたり、自宅の庭に設置した高さ16mの鉄塔に

21MHz用 4工レメント八木アンテナでヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカ、などのアマチュア無線家との交信やマイカーに設置したアンテナで通勤途中に太

平洋をヨットで単独横断中の堀江謙一さん(JR3JJE)との交信を楽しんでいました。


平成2年5月の連休に出梨に帰省した時、日本航空学園で一般社会人にも飛行機操縦訓練をしていると言うことを耳にしました。

幼少からの夢が頭を持ち上げました早速、日本航空学園に見学に行き先生から飛行機操縦士免許を取得するまでの状況をお聞きしました。

訓練費用は教官付いて一時間当たり18,000円 (セスナは、45,000円 )当時、同年代の人はゴルフプームで月2回程ゴルフに行くと30,000~50,000円 は出費

する事を聞いていましたから、俺はゴルフに行く代わりに飛行訓練をしようと迷いなく決断、家族に相談するが 飛行機は安全でない危険!だから止めてと猛

反対されました。

しかし、セスナなど軽飛行機に比較して、グライタ一は主翼の長さが17m程 (セスナは、11m)ありエンジンが停止しても安全であると言っていた学園の先生

の説明内容を説明し遂に承諾を得ました。

平成2年7月7日 、日本航空学園鳳飛行倶楽部に所属して(43歳の年齢になっていました)幼少時代から夢に見た飛行機操練が始まりました。仕事と両立し

なければなりません、土曜日、日曜日の休日1日約1~2時間の訓練をして5年間掛かりました、

平成7年7月7日付で自家用操縦士免許証を取得することが出来ました。

訓練中に仕事が多くなったときは、土、日でも朝6時頃家を出て9時から訓練を済ませて帰りに八王子にある会社に寄り仕事をして帰宅は深夜ということを

繰り返していました。

仕事に行き詰まった時など、朝30分でも “ タッチ・アンド ・ゴー"(離陸・着陸の訓練をして会社に出勤すると、頭の中が冴えてアイディアが浮かぶことがよく

ありました。仕事以外の趣味をもつて、時には頭の中を切り替えることが必要であると言うことを体感しました。


4 現在

休日を利用して、大島空港、新島空港、松本空港、富山空港、能登空港などや南アルプスの縦断 飛行、富士山一周飛行など楽しんでいます。

動力滑空機 (モーターグライダー)は、操縦者を含めて2人乗りです。友達、知人など招待して体験搭乗をしておりますが、小型の飛行機など一般的には搭

乗する機会がありませんので喜ばれています。

3年前ですが、心房細動の症状が発見されました。航空局から飛行停止命令が出てしまいました。

心房細動について調べると「カテーテル・アプレーション」という手術があることがわかりました (工ベレストに登出した三浦雄一郎さんと同じ病気)。

六本木にある心臓専門の病院「心臓血管研究所附属病院」で手術を受けて現在は完治してフライトを満喫しています。

NPO法人韮崎市航空協会にも所属して、エンジンの無い上級滑空機でソアリンク (上昇気流など を利用して飛行する)を楽しんでいます。

上昇気流を上手に掴むことが出来ない場合は、15分前後 の滑空時間で着陸しますが、上昇気流を掴んだ時は、30分、1時間、2時間・・・と滑空を継続出

来るようになります。

今年(平成28年)、 70歳になりますが健康に注意して航空身体検査を合格し、可能な限リフライトを楽しみたいと思つています。