つれづれに①               




甲府工業茨城同窓会発足の模様  平成13年11月10日
場所;ひたちなか市、日立製作所厚生年金会館)  


皆さん改めましてこんにちは。本日はお忙しいなか、
茨城同窓会発足総会にご出席していただきありがとうございました。
 


本日、司会を行います村上博靱(E33)でございます。

昭和33年度電気科卒で(西八代郡三珠町の出身)ひたちなか市に住んでいます。
どうかよろしくお願いいたします。
 

それではただ今より『甲府工業茨城同窓会』を開催致します。 

はじめに、今回の同窓会発足に際し世話人であります
小沢照夫
(M24)さんにご挨拶をお願い致します。 

                         ▽

続きまして、今回の同窓会開催に当たり大変、骨折っていただきました
事務局の浅川征雄
(E34)さんに今までの経過などを交えて挨拶をお願いいたします。 

浅川さんにこの席をお借りしてお礼を申し上げたいとおもいます。
どうぞ皆さん、拍手を持って感謝したいと思います。
 
                          ▽

次に乾杯を致しますので皆さんご準備をお願い致します。

乾杯の音頭はもう一人の世話人であります櫻井政歳(M26)さんにしていただきます。 

ありがとうございました。

                          ▽

どうぞ、しばらくの間ご歓談下さい。 

これより皆さんにビデオを見ていただきます。今年の4月21日
に甲府工業で行われた同窓会の模様を撮ったものです。

約1時間30分の中からピックアップして約15分です。
 

私は出席してきましたが、改めてビデオを見ていると、
今から、40数年前のあの頃を彷彿させるような場面が沢山でてきます。


 皆さん、応援団の今風の応援セレモニーやブラスバンド演奏の
校歌や応援歌「仰ぐ錦城」を聞いていかがだったでしょうか。

私は始めて聞いたときは率直のところ、
何か胸のなかに熱いものがにこみ上げて来るものを感じました。
いつ聞いても本当にいいものですね。


 これから皆さん全員に自己紹介などをしていただきたいと思います。

約40名ほどいらっしゃいますので誠に申し訳ありませんが
一人約1、2分の持ち時間でお願い致します。


 皆さんのいろんなお話をお聞ききしましたがいかがだったでしょうか。

まだまだ話たい事がいっぱいあったのに思っている方がおありでしょうが
この続きは次回の同窓会に残しておくと言うことで、そろそろお開きにしたいと思います。


 次の同窓会にはお互いに元気な姿で再会出来る事を誓い、
中締めを宇佐美昌則
(M25) さんにやっていただきますのでご唱和をお願い致します。

それだは、これを持ちまして 甲府工業茨城同窓会を終了いたします。長い間ご苦労様でした。

 ………………………………………………………………………………………・

追伸 村上の近況報告でございますが、1昨年、小田原工場を定年になりました。
今は茨城労働基準協会の各種講習会の講師をしております。
科目は電検3種と電気工事士を活かし、
「低圧電気」、「産業用ロボット」、「クレ-ン」、「玉掛け」、「安全等」の講座を担当しております。
 

また、合間には地元ひたちなか市勝田第二中学校に
おいてボランティア教育で理科「電気」を教えております。
 

そのほか甲府工業同窓会のゴルフコンペ、
日立製作所勝田工場OB会のゴルフコンペ等を毎月開催していますのでぜひ、
この機会にゴルフコンペに参加して見たいと思っている方がおりましたら気軽に声をかけて下さい。
初心者大歓迎でございます。



ちなみに12月5日に常陸太田市のグランドスラムゴルフクラブで
第12回のコンペ行いますのでよろしくお願いいたします。


 終わり

 


                          思い出    村上博靭
平成24年度甲府工業同窓会が盛大に行われた。     

 平成24年4月21日(土)甲府市高畑の「ジットプラザ甲府」で平成24年度甲府工業同窓会総会が午後3時からで行われた。私はどうしても家内に“桃源郷”の景色を今年も見せたくて車で、ひたちなかを朝6時に出発、中央高速はいつもより観光バスやマイカーが多かったが、笛吹市御坂の展望台に着いたのは10時過ぎだった。天気も良かったので展望台から眺めた甲府盆地はまさに“桃源郷”。一面にピンクのじゅうたんに染まり気温も18度と絶好の日よりとなった。特に桃の花と菜の花のコラブは、ひときわきれいだったので水戸生まれの家内も来て良かったとさかんに言っていた。     

さて、同窓会は昨年とは場所が変わり、同窓生の石坂正人さんが経営する豪華なイベント会場で行われた。総会はとどこおりなく終わり、懇親会は大ホールに移り「甲府工業から山梨を元気に!」のキャッチフレーズで華やかに開始した。後輩達応援団とブラスバンド、女性コーラスも参加して「校歌」を3番まで唄い、次に「仰ぐ錦城」まで歌い終わる頃は昔を思い出し感慨無量だった。保坂精治同窓会長、斉藤与新校長先生、望月仁司身延町長の挨拶が順次終わり、そのあと、元電気通信の先生長田史壮さんの音頭により乾杯が行われた。                               

小生の席は来賓席でステージのすぐ脇だった。円卓テーブルのまわりには上記先輩の他に宮島甲府市長、小林務東京同窓会長、仲澤四郎関西副支部長さんら普段話すことのない面々だったが時が経つにつれ、よもやま話に花が咲いた。既に会場の中は熱気にあふれ、所狭し言わんばかりに立見席までいっぱい、約500人はくだらなかった。   

それもそのはず後輩の田原俊彦さんのライブがもうすぐ開演するからだ。・・・約1時間にわたって行われたショーは熱狂するほど盛り上がった。今や歌って踊るタレントとして芸能界では随一の存在。まじかに見た若々しいトシちゃんをただただ感激した。また、当時担任の金井光宣先生や多数の同級生が会場にいたため、当時の話にふれた時は会場が爆笑の渦に包まれた。トシちゃんのことを仲間は「タッペー」と大きな声で呼び、またトシちゃんは仲間を呼び捨てにし「お前まだ生きていたのか」と笑わせ、その場を盛り上げる術はさすがだと思った。そして同窓生の前でのショーはよほどうれしかったようだ。 

歌って踊った直後は汗びっしょりで、舞台でひざまずき一生懸命頑張った姿に会場の全員が感動し、声援と拍手の中で幕は下ろされた。とても51歳とは思えなかった。トシちゃんは最後に「何よりも甲府が好きで、これからも頑張っていく」と締めくくった。会場からは「いつまでも頑張っていけよ」の声があちらこちらで飛んでいた。「甲府工業から山梨を元気に!」がまさに今回のジットプラザ甲府での同窓会であったと感じた。当番幹事皆さんの意気込みもひしひしと伝わってきて今回も伝統ある同窓会に参加してよかったと思いました。                           全て終わったのは6時頃、再び家内と夜の甲府駅周辺を散策したあと茨城への帰路に着いた。
 

1992年4月 ワシントンDCの中華街を散歩しました。


1992年4月ワシントンDCのイエローキャブにのりました。



種子島にて


2001年5月 甲府工業33年度卒 電気科2組 クラス会でゴルフコンペを 勝田ゴルフ俱楽部に於いてで行ないました。



種子島のロケット発射基地も見学しました。



娘の結婚式に参列、グアムの結婚式場にて。



日立製作所水戸工場、冨田久三さん主催の月例会 ゴルフコンペ、毎月参加していました。


日立製作所水戸工場の同僚たち。小川さん 小生 網倉さん 


 
甲府工業33年度卒クラス会 大洗ホテルにて 計画しました。奥田先生を始め全国から28名参加してくれました。



甲府工業33年度卒クラス会、紀州鉄道熱海にて計画をしました。

                                                                   
甲府工業高校の三角屋根の校舎、いろいろ逸話があります。私の知人は卒業間際に良き思い出を残そうと二人で登ったそうです。





2019年4月9日 甲府工業入学式に参列しました。
    




校長室で、2週間入院した直後でした。



母校の全景




2019年2月23日 首都圏甲府会に参加しました。東京市ヶ谷、アルカデア市ヶ谷私学会館にて




竜電関と。始て竜電関にあいました。



2019年2月21日  甲府芙蓉荘・甲府工業山岳部OB・五葉会に参加しました。当日石川信さんと車ででかけました。

 




2018年5月14日~19日 韓国清洲工業高校を訪問しました。 


父母も同席しての歓迎会、盛大に行なわれました。


韓国式♡の表し方。最初は判りませんでしたが。





韓国式お酒の継ぎ方、左手を右手の下に添えて注ぐ。見ていて微笑ましい。


韓国・南大門にて

2017年
金婚式に招待されました。あっという間の50年でした。クリスタルパレス於いて




2017年11月19日
 上海、蘇州、天津へ旅行をしました。

羽田発 13:30 上海へ 中国東方航空
上海(虹橋)着 15:55
ホテル着 アンバサダーホテル上海
OP  上海雑技団鑑賞

11月20日  
無錫へ 約130km 約2時間
無錫市内観光
太湖遊覧約 40分
淡水真珠店約40分
昼食後 蘇州へ 約50km 約1時間
蘇州市内観光
世界遺産 耦園 約40分
世界遺産 京杭大運河
虎丘
上海へ 約60km 約1時間

上海市内観光
豫園商城 老街散策 約60分
茶芸店で聞き茶体験 約40分
夕食は四川料理と伝統芸能・変面ショウ
ホテル着
OP 上海ナイトクルーズ

11月21日
上海市内観光
シルク店 約40分
上海発 13:00 帰国
羽田 16:50 着

 
2016年



平成28年10月24日 出雲大社~松江旅行








2018年



2015年

甲府工業計数部OBの皆さんへ

寒くなったり、暑くなったり大変ですが体調には気をつけて下さい。
先日、計数部の村上先輩のブログを見つけ連絡が取れました。
計数部のニュース(下記のアドレス)や母校のニュース、山梨の話題が豊富に書かれています。
見て下さい。
http://mh182130.jp
村上さんは日立OBで、茨城地区の工業OB会の会長です。
ブログの内容を見てもらえば、その活躍ぶりが解ると思います。
          甲府工業計数部名誉会長 島田二郎(T34) 




村上先輩のブログ見つけました

ネットサーフィン中に先輩のブログ見つけました。
半世紀以上会っていませんが、名前はしっかり記憶しています。
豊富な楽しい力作のブログ、じっくり読ませてもらいました。
計数部のOB会、甲府で開催しましたが、先輩と同期の飯島さんも参加しています。
先輩も遠いですが都合をつけて参加して下さい。
計数部の写真懐かしいですね。
お世話になった長沼先生、石原先輩、田中先輩etc………
計数部後輩の相澤、野田、高谷他に、このブログ紹介しておきます。
ネットで遊んでいる計数部の島田です。  
      
村上(E33) 、塚田(E33)、長田(M33)、長沼先生、飯島(E33)、青柳(E33)、広瀬(M33)。
網倉(E33)生徒会長をしていた為写真撮影時は不在だった。






2015年8月27日~タイ旅行旅行 チャオプラヤー川
















2015年7月8日~香港、マカオ旅行

2015年2月26日 長崎~湯府院、高千穂の旅

2015年6月18日 伊勢神宮~東大寺の旅




2014年




旅行
夢のドバイ旅行に行ってきました。

2014年3月7日~12日アブダビ空港着・発

アブダビ観光
コロニーシュロード 
シェイク・ザイート・モスク エミレーツパレス
アルアイン観光 
〇アル・アイン・パレスミュウジアム
ドバイ観光    
ジュメイラ・ビーチ
パスタキア地区
ドバイ博物館 ドバイメトロ乗車
パームアイランド
ドバイモール
ドバイ・ファンウンテン
アジマン首長国
アジマン博物館
クロックタワー
ジャルンダ観光
セントラルマーケット
キングファイサルモスク
シャルジャフォートフジャイラ観光
ビスナフォート
フジャイラフォート
ハディアモスク

世界で3番目に大きいモスク




ブルジュ・ハリファの展望台から見たドバイの高級住宅地。


垂直都市のブルジュ・ハリファ828mの高さ、


砂漠サファリとベリーダンス鑑賞。砂漠にはトヨタ「ランドクルーザ」が一番いいと絶賛していました。



名前、村上博靱をアラビア文字で書きました。






高級車ロールスロイスが街中でみかけました。ナンバーの数字が少ないほど偉い方が乗っているようです。


金装飾品のお店がスゴイ







旅行
2014年7月9日~グアム旅行 海底遊覧船


オンワード・マンギラオ・海越えの12番ホール。ワンオンしました。




2013年

旅行
2013年7月10日 台湾旅行

       

成28年10月24日 出雲大社~松江旅行


2015年


 
旅行
2014年7月9日~グアム旅行



 2013年

旅行
2013年7月10日 台湾旅行





       
2012年

旅行
2012年5月17日~21日 北京旅行
天津市内観光
静園・張園
旧日本祖界地
天后宮
古文化街
顔恵慶旧宅
北京市内
雑技鑑賞
世界遺産
頣和園
翡翠店
世界遺産
明の十三陵・定陵
万里の長城・八達嶺
カンフーショウ鑑賞
天安門広場
世界博物館 故宮博物院
世界遺産 天壇公園
京劇鑑賞


旅行
2012年7月11日~13日 上海旅行
東方明珠見学
上海万博跡
サウジアラビア館
蘇州日帰り観光
耦園他


旅行
2012年2月7日~北海道雪まつり


旅行
2012年4月11日~安芸の宮島 秋芳洞の旅
2011年

大震災 2011.3.11 天神山の被害






湧き水を求めて連日大勢の人々が。


旅行
2011年2月15日~グアム旅行


旅行
2011年3月10日 熊野、伊勢志摩 忘帰洞の旅


2010年

小学校時代のクラスメイト





身延山参拝












甲府工業のグライダー、小学館号
後輩の皆さんご存知でしたか?甲府工業には伝統的なグライダー部が存在していたことを。放課後グランドで
部員達が太いゴムロープを引っ張って飛ばしていました。わずか2~3秒の滞空時間ですが、ここに全神経を集中する部員たちの姿にあこがれていました。一度操縦したいとおもいました。





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袈裟人の思い出(1) 1機作るには数日かかったと聞いています。

  


  今から50年前に制作されました。材料のない時代です。



  プロペラもまわります。木材を削り出して翼をつくりました。




  プロペラもまわります。



     竹を削りだししました。



   手だけで10m位飛行します。主翼は竹です。



 ちゃんと水面に浮かびます。





 甲板が滑空、着陸しやすいように円弧になっています。


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 2009年

茨城同窓会便り
 
      
平成21年2月16日             村上博靱  
甲府工が初優勝 春高バレー県大会男子
バレーボールの第40回全国高校選抜優勝大会(春高バレー)山梨県大会最終日は8日、
笛吹・いちのみや桃の里体育館で決勝を行い、甲府工が初優勝した。
試合は甲府工:日本航空の対戦。第1、第2セットを連取した甲府工が、第3セットを取られたものの、
第4セットを奪って、セットカウント3-1で勝った。
 全国大会は3月20日から26日まで、東京・代々木第一体育館で開かれる。

皆さんはご存じないかも知らないがこの時代のバレー部は強かったんです。
しかし、野球ほど同窓生の関心がなく選手たちにとっては応援が少なかったので悔しい思いをしたと思います。
しかし、その伝統を守り今でも必ず決勝戦にコマをすすめて頑張っています。

2008年

      2008/05/08
ゴルフ結果
第14回 甲府工業同窓会
2008/05/07
第14回 甲府工業同窓会
2008/04/20
第13回 甲府工業同窓会
2008/04/15
網倉聖紀様 石川 信様
2008/04/03
第13回 甲府工業同窓会
2008/04/01
同窓会の思い出ー4
2008/03/25
同窓会の思い出ー3
2008/02/25
同窓会の思い出-2
2008/01/25
同窓会の思い出-1

2007年
2007年1月にVALUE賞の金賞「大容量巻上機負荷試験装置の開発」を受賞しました。 
日立の高層階エレベーター試験に使われています。
未知の領域でしたが無事なしとげました。


240kwモータ負荷試験装置のまとめをしました。フライホールと主軸は焼き嵌め技術を採用。総重量は約100トン。これにより高層階エレベータの各種試験が可能になりました。


 

 

 

2006年

8月13日 佐渡旅行






2005年
シドニ観光泊
ハーバーブリッジ、
オペラハウス
タロンガ動物園
ロックス地区
キングスクロスなど
ブールーマウンテンとフエザーデールパック見学
ブリスベーン市内観光

ゴールドコースト泊
シーワールドトカラビン野鳥公園

2001年



ゴルフは現在も続いています。年間50回くらいプレーし体力増進を図っています。


2000年2000年



小学校のクラス会に参加













サミュエル・ウルマンの有名な詩「青春」』を紹介します。村上博靱

私が日立製作所水戸工場の系列会社にいた頃、尊敬する上司の大平 剛社長が
『いつまでも若々しく生きるために』と講話してくれたことを思い出した。

青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。

優れた創造力、逞(たくま)しき意志、炎ゆる情熱、法懦(きょうだ)をしりぞける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑(こぎ)や、不安、恐怖,失望、こう言うものこそ、
あたかも長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうその胸中に抱き得るものは何か。

いわく驚異への愛慕心、空にきらめく星辰(せいしん)、
その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事(きんぎょう)に処する剛毅(ごうき)な挑戦、
小児の如く求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。

希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。大地より、神より、
人より、美と喜悦(きえつ)、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。

これらの霊感が絶え、非歓(ひたん)の白雪が人の心の奥までもおおいつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて、
神の燐みを乞うる他はなくなる。

頭を高く上げ、希望の波をとらえる限り、八十歳であろうと、人は青春にして巳む 




 

上野小学校クラス会 常盤ホテルにて行いました。


1999年

日立製作所勝田工場ラグビー部に所属していました。ポジションはフロントNO3でした。
試合は日立製作所茨城地区大会のリーグ戦に出場していました。



1990年代、 日立製作所小田原工場茨城分工場(IB工場)の全景。勝田工場敷地内に建設。
このビルの建設責任者を任されました。
施工:大林組  付帯工事;日立プラント  構内3,4、5階は自動搬送車がエレベータを自動で乗降し、部品を搬送していました。
写真は全て小生がヘリコプターを使って撮りました。
ヘリコプターは小田原ー勝田間の足として3か月間運用させ一日2往復していました。
片道約40分、工場立ち上げを早期にするため、通勤の足として従業員が利用していました。
、 

正面側より撮影、横90m×縦60m5階建て 勝田工場南側に建設しました。
この場所を決めるとき常磐線車内から建物が見える事が第一条件。
したがって小生は水戸駅ー勝田駅間を何回も往復してビデオをとり、
本社取締役会の席上に届けた事を思いだしました。そうして今の場所が決定しました。


日立製作所3工場の全景、堀口地区は勝田工場、
市毛地区は水戸工場と那珂工場とあり全部で約70万坪 右下がJR常磐線勝田駅、


左側は那珂工場、右側は水戸工場とエレベーター試験塔(高さ;90m)、手前は日立酸素のタンク。、


左下は勝田第二中学校、裏側の雑木林は今は整地され住宅地となっている。

            
日立製作所小田原工場のスタッフとともに、筆者は前列左から2番目、真ん中が沼工場長

 
茨城分工場全員集合 この日は小田原から原田工場長以下5名がヘリコプターで来場、
訓示をいただきました。当時ヘリコプターは従業員の足として2往復/1日、
小田原と勝田を約40分で往復していた。小生がヘリコプターの担当をでした。



2000年代、日立製作所小田原工場時代の小生、生産技術部の仲間たち。



1985年3月、大阪で行われた国際見本市でセラミックス(SiC)のデモストレーションに参画しました。
私はマイコンで曲を作って「SiC鉄琴」と称して、童謡などを終日会場に流していました。











1965年代頃 当時、日立製作所勝田工場のマラソン愛好会(むかで会)に入っていました。


走った後は疲れてしまいます。
 
96年

旅行
主催 日立製作所総連合組合、家内と共に参加
1996年5月18日~24日 ロンドン、ローマ旅行
5月18日(土)

成田発、13:55
ロンドン着、18:33
ウエストミンスター寺院~国会議事堂~バッキンガム宮殿~ピカデリーサーカス~トラフォアルガ広場
ウインザー城、シェイクスピアの町とオックスフォード観光~テームズ川ナイトクルーズにて記念パーティ


ロンドン発、7:55
ローマ着、 11:20
ローマ市内観光~コロッセオ~サンピエトロ寺院~トレビの泉~フォロ・ロマーノ
フエレンツエ観光~

5月23日(木)
ローマ発、10:45
ロンドン着,12:20 市内散策
ロンドン発、16:30

5月24日(金)
成田着、12:10



バチカン



コロッセオ





トレビの泉






バチカン広場


フレンツエ











1995年

小学館号の滑空見学  
工業には伝統的なグライダー部が存在していたことを。放課後グランドで部員達が太いゴムロープを引っ張って飛ばしていました。
わずか2~3秒の滞空時間ですが、ここに全神経を集中する部員たちの姿にあこがれていました。一度操縦したいと思いましたよ。
現在はこのグランドに5階建ての本館校舎が建っています。


1993年
日立製作所小田原工場文化祭で生産技術部の部長以下約100名で「日立の樹」と「三つの汽車の歌」をコーラスで出場しました。
幸い優秀賞を頂きました。
当時小田原工場の売上高が200憶円/月を達成していたので、それらも歌の中におりこみ、練習期間は退勤後2週間行い本番にのぞみました。指揮者は小生です。


旅行
4月22日 ハワイ(ホノルル)旅行 「日立の樹」の前で




セスナでハワイ島めぐり



筆者は2列目右から4番目、日立製作所小田原工場入社25年目表彰式



1992年

旅行
4月25日~4月30日 ワシントンDC~フロリダ・オーランド旅行
シカゴ経由ワシンントンDC
ワシントン市内観光
ホワイトハウス
国会議事堂
アーリントン墓地
リンカーン記念館
フロリダ・オーランド観光
デズニーワールド
ケネデイスペースセンタ
シーワールドとユニバーサルスタジオ見学
ワシントンDCにて 

ホワイトハウス前にて



国会議事堂前にて




スミソニアン博物館、宇宙航空博物館 アポロ計画で無事帰還した宇宙船カプセルの実物 摩擦熱で黒く焼けていた





初めて月に降り立った月面着陸機                                実物のロケットエンジン


   


JF・ケネディ大統領の墓、365日24時間いつも灯され永遠に消えることはない。



それを衛兵が24時間守り続けている。



オーランドのデズニーワールド デカすぎて全部見るのには1週間かかる。




ユニバーサルスタジオとシーワールド



 















1991年

旅行
2月3日~南九州旅行







1990年

7月11日~16日 ゴールドコーストとシドニ-の旅


7/11 成田発
7/12 シドニ-着 オペラハウス、ハーバーブリッジ
7/13 ブルーマウンテン シドニ-湾クルーズ
7/14 ブリスベン着 ゴールドコースト
7/15 シーワールドとカラビン野鳥園
7/16 成田着




1988年



宏和寮演劇部が瓜連・ナザレ園に慰問にいきました。後列左端が小生。





5月31日
仲のいい仲間達と毎年ハイキングにでかけていました。
時には女性群を誘って行ったこともあります。
あの時代はハイキングが一番楽しい行事でした。計画は小生が率先してやりました。











勝田工場時代、公式行事には必ずはじめに「勝田工場歌」を歌う習わしになっていました。
約2,000人の前で指揮を行いました。
年に2~3回はあったかと思います。そんなことが約10年間続きました。
そのほかに、3工場(勝田、水戸、那珂)
合同運動会の時には「日立社歌」
を参加者全員で歌う習慣がありましたので、その指揮も毎年行っていました。







1980年代 アマチュア無線をやっていました。
 コールサインは JF1FKB(ジャパン、フロリダ、ワン、フロリダ、キロ、ブラボー) 
144MHZと430MHZの周波数で開局していました。
そのころ小田原に単身赴任をしていたので、
週末は毎週小田原と勝田を車で往復していましたのでの、
早々にハムの免許を取得して仲間達と会話しながら走っていました。
 
   

昭和30年代の甲府駅前 正面左が山梨交通電車(ぼろ電)の駅です。駅の跡地はのちに
「山交ビル」に建て変えられました。後ろに舞鶴城の謝恩塔が見えます。


駅前のロータリーには水晶の噴水塔がありました。


車はほとんどが「トヨペット」か「ブルーバード」
が主流でした。このころの値段は約36万円でした。














日立製作所小田原工場のスタッフとともに、
筆者は前列左から2番目、真ん中が沼工場長

 
茨城分工場全員集合 この日は小田原から原田工場長以下5名が
ヘリコプターで来場、訓示をいただきました。
当時ヘリコプターは従業員の足として2往復/1日、
小田原と勝田を約40分で往復していた。小生がヘリコプターの担当をでした。



4月2日 



2000年代、日立製作所小田原工場時代の筆者、生産技術部の仲間たち。






旅行
1988年7月29日 ハワイ旅行





この~木 なんの木 気になる木、「日立」のコマーシャルの木の前で。



   
1980年代 アマチュア無線をやっていました。 
コールサインは JF1FKB(ジャパン、フロリダ、ワン、フロリダ、キロ、ブラボー) 
144MHZと430MHZの周波数で開局していました。
そのころ小田原に単身赴任をしていたので、
週末は毎週小田原と勝田を車で往復しましたので、
ハムの免許を取得して仲間達と会話しながら走っていました。
 
   

1978年
1978年(昭和53年)、こんな賞をもらいました。
この給水所は
日立製作所・勝田工場・水戸工場・那珂工場・日立酸素等の生活用水と工業用水を担っていました。
従来は24時間保守員が常駐していましたが、
この発明により無人運転が可能にすることができました。
始て使ったシーケンサーを駆使し、停電になっても復電したら自動運転して、そして各部署の
モータをまして最終的には現場に給水することでした。
苦労したことはポンプとは真空にならないと水をくみ上げる事が出来ないという
宿命がありこれをどうコントロールするかであります。



那珂川よりここに導水して、水道水を作っていた。
60年経った今でも日夜運転して勝田工場、水戸工場、那珂工場、ルネサス、日立酸素の各工場に給水しています。


1977年


  
1976年

昭和50年代バンド活動やっていました。当時はまだカラオケがなかった時代、忘年会等で演歌が主体でした。


会社の桜まつりにも参加しました。




S51・12・3 職場の忘年会、鬼怒川ホテルにて














1971年
日立製作所勝田工場入社15周年記念写真('前列右から7番目が小生)


1968年
勝田工場 6000t水圧プレス完成記念写真。
当時水圧プレスは鍛造作業の必需品でドイツでしか製造できなかった。
手前(黄色)が200トンターニング、それを吊ているのが250トンクレーン(赤)。
いずれも遠隔操縦で小生が担当しました。地下にプレスの操縦バルブが設置されています。



座っているのは機械技師のドイツ:トレッサー氏(ヒドロリーク社)、
その後ろが小生。
右から5番目が電気技師のイギリスのラシュトン氏(ソホーン社)。
同氏とは1か月間一緒に仕事しました。


完成慰労会



1970年

長期出張で「日立金属安来工場」に6000トン水圧プレス機械の制御装置(英国製)の勉強に行った。
期間は約3ケ月、毎日プレス現場に出ては、制御回路の仕組みや調整方法などを実習してきた。



休日は付近の観光地を訪ね歩いた。山陰本線・出雲市駅


出雲神社拝殿


本殿


境内の松林


参考;同型の日本製鋼所の1万トン水圧プレス。
1万トンの力で約1,000℃のインゴットをプレスします。
精度は1mm。水圧は30Mpa(310kgf/cm2)、
右側に立ってる人と大きさを比べて見て下さい。








同窓会で学校訪問 左から村上 石川 石川先生 宇佐美 小山田 白川の各氏






昭和34年甲府工業高等学校教職員(真ん中が古屋一雄校長)


2018年8月27日

MKC(日立製作所水戸工場・勝田工場)コーラス部   村上博靱

MKC OB
の小森義輝さん、鈴木博之さんの資料と小生のアルバムからまとめてみました。










乙女達。

文化センターにて。



東京上野文化会館前にて。

本番前の練習。

豊間灯台にて

涸沼にて。

勝田駅にて。


大舞台で。

左から木村さん、鈴木さん、佐川さん、田中さん。健保ハウスにて。

文化センターにて。

愛宕山にハイキング

阿字ヶ浦海岸にて。

文化祭で発表。指揮者は佐藤浩さん。

楽しかったコーラス部クリスマスパティー。健保ハウスにて。

東京文化会館で発表のためバスで移動。


反省会を健保ハウスにて。

パート練習を宏和寮で。















MKC5.定期演奏会リンク
MKC6.定期演奏会リンク
MKC7.定期演奏会リンク

戻り
コーラス部の思い出はここまで。

2018年7月7日

童謡 『たなばたさま』 の発祥の地は韮崎市穴山町。

今年も七夕さまの飾りがあちこちで見られる時期になりました。
小さいお子さん達が唄っていた「たなばたさま」。
この歌の作詞は野口雨情の弟子、権藤花代(旧姓 伊藤はなよ)は韮崎市穴山町の出身です。
詩碑はJR中央線穴山駅脇にある「穴山さくら公園」に設置されています。

♪ささの葉 さらさら のきばにゆれる お星さま きらきら きんぎん すなご 

♪五しきの たんざく わたしが かいた お星さま きらきら 空からみてる 

権藤花代は、山梨県師範学校(今の山梨大学を卒業後、教員をしながら童謡の作詞をしていました。
「たなばたさま」は、1941年に国民学校の教科書に掲載され、77年経った今でも大勢の子どもたちに親しまれています。
誰でも一度は口ずさんだことのある愛唱歌。
皆さんも権藤花代の生まれ故郷、穴山町を想い浮かべ「たなばたさま」を口ずさんでみてはいかがでしょうか。
きっと、童心にかえり心が和むことと思いますよ。     

2018年6月6日
思い出の写真 上野小学校2年生、担任は土屋先生 終戦直後。小生はどこにいるかわかりますか?        

  

小生は後列左から6番目です。

平成23年度同窓会本部総会・懇親会の思い出
期日;4月16日(土)
場所;ベルクラシック

茨城同窓会会長       村上博靱(E33)
  甲府市の「ジットプラザ甲府」で総会、懇親会が行われるため車で水戸を朝6時に出発、御坂の展望台に着いたのは10時過ぎだった。
天気も良かったので展望台から眺めた甲府盆地はまさに“桃源郷”一面ピンクのじゅうたんに染まり、気温も18度と絶好の日よりであった。
桃の花がひときわきれいだったので家内も喜びご機嫌だった。
さて、同窓会は同窓生の石坂正人氏が経営する豪華なイベント会場で午後3時から行われた。
総会はとどこおりなく終わり、懇親会は大ホールに移り「甲府工業から山梨を元気に!」のキャッチフレーズで華やかに開会した。後輩達の応援団とブラスバンド、女性コーラスも加わって「校歌」を3番まで唄い、「仰ぐ錦城」まで歌い終わる頃は、みな甲工生になりきっていた。保坂同窓会長、斉藤校長先生、望月身延町長や宮島甲府市長さんの挨拶が順次終わり、元電気通信の長田先生の音頭により乾杯が行われた。
私の席は来賓席でステージのすぐ脇だった。円卓のテーブルには先ほど挨拶した皆さんの他に小林東京同窓会長、仲澤関西副支部長さんら普段話すことのない方々だったが、時が経つにつれて和やかなになってきた。かれこれするうちに会場の中はざわめき始め、所狭し言わんばかりに周囲には立見席でいっぱいなっていた。それもそのはず、トシちゃんこと田原俊彦のショーがもうすぐ始まるからだ。
約1時間にわたって行われたショーは盛り上がり大熱演、今や歌って踊るタレントとして芸能界ではさきがけの存在だ。当時担任の金井先生や多くの同級生が会場にいたため、トシちゃんのことを仲間たちは「タッペー」と大きな声で呼び、またトシちゃんは仲間のすぐ近くに行き、「お前らまだ生きていたのか」と冗談まじりに言い、会場が爆笑の渦に包まれた。そして同窓生の前での演技はよほどうれしかったようだ。その証拠に汗びっしょりで舞台でひざまずき、一生懸命頑張った姿には会場の全員が拍手を送り、とても51歳とは思えなかった。
トシちゃんは最後に「何よりも甲府が大好きだ、これからも頑張っていく」と締めくくり喝采の中で幕は降ろされた。会場からは「いつまでも頑張っていけよー」と激励の声があちこちから飛んでいた。  
「甲府工業から山梨を元気に!」がまさに今回のジットプラザ甲府での同窓会であったと私は思った。当番幹事の皆さんの意気込みもひしひしと伝わってきて、伝統ある甲府工業同窓会に参加して本当に良かったと思いました。すべて終わった時はすっかり暗くなり、再び家内と夜の甲府駅周辺を散策したあと茨城への帰路に着いた。
 





平成26年2月20日発行

島津勝董(E33)   平成26年2月17日(月)朝  記す

村上君大雪お見舞いありがとうございました。   

当方、体調の方は異常なく元気です。雪状況を少し報告します。私の住でる三芳町は東京池袋に約25kmの西側に位置し鉄道は池袋から北西に延び埼玉県の川越、東松山、小川町方面に連絡している東武東上線があります。
私の最寄駅は「みずほ台」という駅で池袋から約25分の所です。
全国的には“川越のサツマイモ”でほんの少し知られているイモの産地がありますが私の町三芳町が主たる産地で畑がかなり残っているところです。
今冬何回か雪が降りましたが、2月8日朝から夜まで降り約40Cm積もりました。
この時、山梨も降り、たぶん私の実家の韮崎市穴山町では50cm超だったでしょう。
2月12日
午後、妻と二人でいつものルート、圏央道入間 IC~八王子JC~韮崎ICというルート走行で
実家の雪点検に向かいました。夜7時実家に着きましたが、道から実家の庭に入るのに無人のため、雪が自然のまま残っており、約50cmもあり、レガシーでも突っ込む気にはとてもならず、雪の中を歩いて物置小屋のカギをあけて、スコップ2丁持ってきて、二人で約40分雪かきをしました。ようやく道から庭まで約15m車を入れることができました。
この時の雪は、上1~2cmは日中溶けたのが凍って硬い状態でしたが、その下はまさに粉雪でスキーには最適の雪で軽くて、雪かきは比較的楽に出来ました。外気温はマイナス6°ほど。
一夜明け、家の周りの雪状況を点検。家のウラに小さな竹やぶがあり、一番気になっていた竹の折れが、なんと一本もありませんでした。かなり乾燥した軽い雪だったのでしょう。いくつかある物置等の屋根に雪は積もっていましたが、壊れている屋根はなかったです。家の周囲に生垣がありますが、この中の木が一本だけ完全に雪におじぎしていただけです。
そんなことで、家周辺の雪かきを2月13日7:00~12:00までやって、やれるだけのことは終了しました。
天気予報では明日はかなり大雪になるとのことでしたので、どんな雪が降るか見ておくかと思い、この日も穴山で泊まりました。
2月14日
5:00起き外を見るとパラリパラリと小さな雪が降っており、外に止めた車も少し白くなり始めていました
テレビでも東京も降るとのニュースで、これは少し本気に行動しなくてはと思い、妻の提案で早めに埼玉に戻ることにし6:00穴山を出発。中央道須玉IC~甲府と走行(甲府から大月にかけてかなり降ってきており50km/h速度制限とチェーン規制もところどころ出ました)~八王子JCから圏央道に入るあたりは少し白い程度で~入間ICを出、所沢~三芳町自宅には8:40着でした。三芳町でも雪は降っていました。午後、長くつで傘をさして約3kmの富士見市にある“アスリエ”というスポーツジムにトレーニングに行ってきましたが、いつもよりはジムは空いていました。
テレビのニュースでは甲府の大雪が報道され甲府より穴山の方が20~30cmは多いので、昨日、少し雪かきしたのに、その上に2倍以上も積もるのかと・・・。でも実家は古いし無人のため“なるようにしかならない”という気持ちで何の心配もしませんでした。
夜中に雪から雨になるような予報でしたが2月15日5:00まで雪が降り続いており、約50cmも積もって前回より多い雪でした。6:00車や車庫の屋根が心配なので物干しさおに小道具を取り付け屋根の雪下ろしを約1時間行い、なんとか雪で屋根のつぶされるのを守りました。庭のチンチョーゲやクチナシ等は雪に弱くすぐおじぎして折れそうなので、竹ボーキで雪をたたき落とし折れるのを防ぎました。
この雪では周辺の人々も車はノーマルタイヤなので走行もほとんどなく、町道は真っ白、たとえスタッドレスでも、雪が車のハラについて走行は無理でした。7:00~11:00頃まで雨が降り、その後は晴れてきました。昼頃から車もかなり出はじめて走り出したようですが、私たちは炬燵でのんびりしていました。
近所の人は、なれない雪かきを楽しむのか、ワイワイ言いながら、自分の家の車が出れるように雪かきをしました。(雪をかいてもノーマルタイヤでは出られないのに)。
私は尺八の稽古をしたり、午後3時にはフロに入りのんびりしました。
2月15日
午後、甲府に住んでる妹のところに電話し「甲府も雪で金メダルとったようだね」と話したところ、大雪でどうにもならない、近所ではビニールハウスが雪でつぶれちゃったとか、かなり大変のようだとのことでした。

2月16日
三芳町は朝から晴れて、50cmの雪も屋根の上は20cmにまで減っていました。一昨日の雨と昨日の晴天で、道路はかなり車も走り路面も妻と買い物に出ましたが、道路はシャーベット状でスタッドレスでもかなり不安でした。自車は良くても雪の経験のない車の運転車が多く、いつぶっつけられるかヒヤヒヤでした。近くの“くら寿司”(100円回転)は雪で道路状況他でネタが入らず止む無くかき入れ時の日曜日なのに一日休業していました。
テレビニュースでは、三芳町の隣の富士見市の体育館の屋根がつぶれたとかで、埼玉でも被害がでているようです。うらの家の車庫は雪の重みで一部がつぶれてしまいました。

2月17日
朝8:00 芦澤正志君から電話あり、村上博靱君からのメール見たか等、山梨の雪の状況等について話し合いました。メール見たら、貴殿、石川信君、名取久俊君からメール入っていました。私は昨年8月、パソコンが古くなり、パソコンのインターネットを解約して、アイパッドに切れ替えました。息子の指示でメールはアイパッドで見ました。それでメールを送ろうとしましたがめんどうになり、手紙を書きだした次第です。
その時、4月19日ころ甲府工業の同窓会が予定されているとの情報を芦澤君ら聞きました。故郷の服田尚隆君たちがご苦労して同級会も併せて計画してくれるのではと思い予定しています。
以上一気に書いてしまったので、まとまりのない文章になりましたがごめんなさい。
要点は以下のとおりです。
 1、雪の新潟で10以上住んだ私の経験だと、今回の山梨の雪は凄い。120cm⇒80cmになると雪の密度が1立方cm当たり多くなるのは水分が多くなるわけで、山梨の外気温度は夜るー10°近くになり、完全に凍るので今回の雪は3月まで残ると考えられます。
2、私の住んいる三芳町の雪は、大雪であるがあと1週間もすればなくなるでしょう。
3、山梨の道路の通行止めがいつ解除されるか、山梨への物資運搬がかなり社会問題になりそうです。
4、甲工同級会が4/19(土)20(日)開催されれば、現在健康状況は良好なので最優先で出席します
5、今冬、趣味の一つがスキーの私は12/26,1/7・24、2/7・11と既に5回新潟、群馬のスキー場に日帰りで行って
きました。あと、2~3回行く予定です。
6、尺八の稽古は11年目に入り何とか続いています。また、尺八製作は6年目、現在27・28本目を製作中です。
7、毎朝約1時間40分の早朝散歩で1日1万歩以上の目標は達成中です。
8、週末、祝日のテニスも継続中ですが、この雪には勝てません。                                     以上


平成26年2月19日(水)
15日、実家に電話しました。実害はないが、ビックリしています。どうすることも、どうしようもないので、炬燵で様子を見ているしかないようです。
幸い電気がきているので、当面困ることはない。との事でした。 ただ、今日のテレビでは雪がまだ沢山残っています。 実家は山の近くなのでかたずけも進んでいないのにまた雪が来たらと心配していました。
                       網倉聖紀(E33)

甲府の服田です
2週続きの大雪で毎日雪かきです。  パソコンの前に座る事も出来ません。
今日千葉の芦澤兄から電話を頂き同期の皆様方が 心配なさって居るとの事を知りました。
幸い被害は有りませんのでご安心下さい。 雪の日は車で出かける時はくれぐれも気を付けて下さい。
ましてやノーマルタイヤでのお出かけは絶対駄目ですよ・・・ 14日の日に私が苦い経験を致しましたので "忠告"を致しますよ。
怪我は有りませんから心配は無いです。 又天気予報では19日には雪が降りそうです・・・・勘弁してほしいです。
服田 尚隆(E33) 

ご無沙汰しております。
いつも茨城の皆さん等の情報を頂き、有難うございます。皆さんお元気の事と思います、私も年相応に頑張っております。
私の住んでいる市川市は30㎝程度の積雪で、特に大きな被害は聴いておりません。
田舎の笛吹市境川町は残雪の上に、新しく約1.3mの雪が降り、その積雪は2m程度にもなり、初めて体験する大雪に皆ビックリしているようです。幹線道路の除雪作業は地元の業者等が中心に行い、16日にほぼ完了したそうですが、農家の被害等はまだ判明しておらず、先行きが心配されております。 尚、同窓会の連絡を頂きましたが、できれば服田さん等に、又、骨をおって頂く事をお願いし3年ぶりの同級会が開催される事を楽しみにしております。芦澤 正志(E33)

平成26年2月18日(火)

記録的な大雪に見舞われた山梨県内は17日も鉄道が運転を見合わせ、高速道路で通行止めが続くなど、他県との交通機関がまひしている為、山梨県が陸の孤島になっています。
以下被害状況を下記に示します。・・・・ 参考資料;各社山梨版四方津~小淵沢間、終日運転を見合わせ JR中央線JR東日本は17日、四方津~小淵沢間で終日運転を見合わせる。
甲府~身延駅間、17日も終日運転見合わせ JR身延線甲府~身延駅間で終日運転を見合わせると発表した。運転再開には相当の日数がかかる見込み。
315の小中高校が休校
山梨県教委によると、週明けの17日、大雪の影響で県内の公立小中高校と特別支援学校計315校が休校した。 
大雪被害、山梨に政府調査団派遣へ内閣府は16日、甲府市で観測史上最多の積雪を記録するなど大雪に見舞われた山梨県の被害状況を調べるため、政府調査団を
派遣すると発表した。横内知事は今回の大雪で農業被害も深刻だと訴え、県への財政支援を求めた。
大雪で県災害対策本部を設置山梨県の横内正明知事は17日、記録的な大雪による被害を受け、県災害対策本部を設置し、「未曾有の災害に県を挙げて対応する」と述べた中央道、17日中の通行止め解除めざす
中日本高速道路は、大雪で通行止めが続いている中央自動車道(富士吉田線を含む)について、「17日中をめどに通行止め解除をめざす」としている。高速バス、17日も全路線運休 山梨交通 そのほかの一般路線バスは全て運休する。陸自、郡内地域で除雪作業に入る県から災害派遣要請を受けた陸上自衛隊は16日、富士河口湖町などの国道138、139号の除雪作業に入った。大月市の国道20号で立ち往生している車列に対応する部隊は東富士五湖道路を除雪しながら、山中湖村を移動している。
1125軒で停電続く東京電力山梨支店によると、県内では大雪の影響で17日午前8時半現在、1125軒で停電が続いている。
停電が続いているのは、北杜(20軒)、南部(325軒)、身延(620軒)、早川(160軒)の4市町。同支店は自衛隊の協力で職員を受けてヘリで現場に運ぶなど、復旧作業を急いでいる。
早川、南部、身延町の一部では14日から3日間にわたって停電が続いている。  
被害にあっている山梨の同窓生の皆さん、お見舞い申し上げます。
今後も体調管理しながら復旧作業等に頑張って下さい。茨城同窓会一同。

平成26年2月17日(月)
いつもお世話様です、
このところの天候には営業業務に差し支えがあり苦渋しております。甲府工高同窓会の方々への訪問ご挨拶も、日立地区はほぼお伺いさせて頂きました。さて、この度二度の積雪で山梨も大変の様子で身内にお見舞いの電話を致しました。
韮崎は甲府以上で120Cmは超えたようで停電 断水もあり、生活通路の雪かきも 家族







思い出のスナップ写真 北陸に野球の応援


昭和34年4月 電気科2組入学式後の記念写真







昭和38年1月2日 甲府市塩部町 朝日館









昭和37年1月3日 甲府市塩部町 朝日館








昭和36年1月1日 甲府市












毎年1月1日は皇居一周マラソン大会に出ていました。


昭和30年代の甲府駅前 正面左が山梨交通電車(ぼろ電)の駅です。
駅の跡地はのちに「山交ビル」に建て変えられました。
後ろに舞鶴城の謝恩塔が見えます。仲のいい仲間達と毎年ハイキングにでかけていました。
時には女性群を誘って行ったこともあります。
あの時代はハイキングが一番楽しい行事でした。計画は小生が率先してやりました。

宏和寮演劇部が瓜連・ナザレ園に慰問にいきました。後列左端が小生。



宏和寮委員長の頃の写真、宏和寮には8つの棟(村)があり、
各棟に村長が存在し、その上に委員会があった。
村対抗の各種行事が毎年行われ、楽しい寮生活を送っていた。


成人式に参加して


当時からラジオ・短波放送を聞くのが趣味で、
ラジオは秋葉原からキットで買ってきてトリオの「9R-42J」を組み立て、
タブレットアンテナを張り、「NHK甲府放送局」「ラジオ山梨」 「信越放送」を聞いていました。


宏和寮にて
ラジオ


 


1955年
卒業記念に姉と写真とりました。姉は甲府工業機械科の古屋智功先生と結婚していました。


甲府二高生




甲府工業図書員会



山梨県高校図書員会の総会、議長をやりました。


計数部で東京IMB本社を見学



山梨県図書委員会出席、小生は左端、甲府一高於







図書委員


池田洋子さん(市邨学園/高倉女子商業)





1958年



1957年

甲府工業生徒会図書委員長の頃。


1956年  b

入学時の甲府工業・三角屋根の校舎。








山梨県西八代郡三珠町の上野中学校からあこがれの甲府工業電気科に入学しました。






1956年
校長は山下先生、筆者は最後列左から4番目。甲府工業に2名,市川高校に5名入学しました。



「現在の上野小学校」おもんじさんの中、身延線芦川駅近くにあります。


修学旅行 大阪城にて


1955年
上野中学校2年2組;担任 日向輝夫先生 筆者は後列左から2番目






1953年

上野小学校卒業記念 校長;山下先生。英和中学校に3名、甲府南中学校に2名、転向しました。

     



1952年
小学校6年生の頃、担任は相川 誠先生 筆者は後列左1番目



わたくしの母校上野小学校校歌(今でも自然に歌っています。) 

       校歌                                応援歌

      1  南をめぐる山なみの             芦の流れに磨きたり

    四時のながめうるわしき        心も清きますらおの

    自然のゆたけき恵みもて        歴史も古き上野校

    いしずえふりし上野校          ふるえや選手時は今

   2 甲斐の文化にさきがけし               応援節

    歴史を今も誇りにて            おもんじさんにがんかけて

    日々新たに進みゆく            おみくじひいて見たらば

    たゆまぬ力持つわれら         いつも上野は勝ち勝ち勝ち勝ち

   3 流れは清き芦川の

    絶えぬひびきを朝夕に

    励みの友を親しみて

    学ぶわれらのたのしさよ

1949年
上野小学校3年の時 担任は一瀬茂先生 筆者は3列、右1番目です


1948年
昭和23年 上野小学校2年の時 担任は土屋先生 筆者は後列左から6番目です。衣食がない時代に育ちました。