平成30年4月20日

高原をかけ廻る乙女達 

 甲府工業高校東京同窓会誌へ寄稿  昭和32年度 土木科卒 雨宮二六(C32) (平成25年5月記) 

私が初めて 清里高原を訪れたのは、今からちょうど56年前( 昭和32年)高校三年生の夏休みである 。その当時の清里駅前には、人家は殆んど数えるくらいしか無かった。日用雑貨の傍らにお土産品を少し並べたお店と、駅から一寸下がったところに木造の旅館が一軒、それに並んで木造の民家が数軒と、別荘がチラホラ見受けられる程度で有ったと記憶している。
駅から歩いて二十〜三十分ほどの所にあった清泉寮へ通じる道路は田舎道そのもので、大きな石がゴロゴロ転がっており、道路脇の木々は埃をかぶって真っ白くとても歩きにくかった 。その道路の両側の林の中には牛や馬が放牧されておりあちこちで顔を覗かせ高原の放牧地帯そのものであった。
清泉寮( ポールラッシュさん経営キープ協会)の周りの林の中には、Hokkido-Cabin.・Tokyo-Cabin-Osaka-Cabin等と名ずけられた別荘風の寮( 現在のコテージ)があちこちに建てられており、ちょうど東京のミッション系大学の学生さん達が大勢訪れ、夏休みを楽しんでいるようであった。
このような山間の中で、清泉寮が主催する夏のカンテイーフアイアーとして当時としては、日本では珍しいクロスカントリーレースが行われるとのことで、山梨・長野をはじめ・東京方面からも多数の選手が参加した。
我々甲府工業高校からも夏休みの合宿訓練の打ち上げを兼ねて長距離部員全員が出場のため当地に赴いた。
我々は、レースの前日に清里入りし、前述の当地ただ一軒の旅館に荷物を置き、休む間もなく、明日に備えて調整のトレーニ ングを行った。 夕食後、精神的な緊張をほぐすため、それ程賑わいもない駅前に、仲間を連れて散歩に出た。 程なくして、暗闇の中で花火の上がるのが目にとまった。近づいて見ると、そこには別荘に来ていた中学生くらいの女の子達( 英和女学院)が花火を楽しんでいるところであつた。
我々は、彼女たちが恐る恐る火をつけているのを見て 、点火役を引き受けることを理由に、その花火を殆んど取り上げた形で一緒に楽しんだ。 花火が終わつて立ち去ろうとした時、 彼女達から「別荘に遊びに来ないか?
と声がかかった。しかし、今回の清里入りの日的が先に述べたクロスカントリーレースである 。「 明日のレースを控えているので 、早寝をしなければならないから」と残念ながら鄭重に断り、その代り明朝ウオーキングの折に寄らせて貰うことにした。 翌朝、約束どおり、上級生三〜四人で 立ち寄ったところ、コーヒーなどを用意して待っていてくれた。静かな高原の早朝のコーヒーを御馳走に預かりながら「今日予定がなければ、クロスカントリーレースの応援に来てくれないか」と頼んでみた。彼女達は 大はしゃぎで「 みんなで応援に行く」と引き受けてくれた。彼女達の予期しない 回答に気を良くしてウキウキしながら宿に戻ると、いましがたの感激が何処くやら 、監督の先生のカミナリが待っていた。 正座させられ「団体行動を乱すような行動は許せない 」と怒られ、昏々と諭された。監督に皆で詫びて、レースの参加は事なきを得た。
さて、いよいよレースである 。御存じの通り、クロスカントリーレースは、野を越え山を越え、小川を超え、牧草地帯や、大きな石の上を飛ぶように走る競技である。
この起伏の激しいコースで 、しかも合宿の疲れも出ておリベストコンデイションというわけにはいかなかった。しかし合宿で十分走りこんでいたので 、距離についての不安は全くなく、どうやらトップ集団についていくことができた。後半に入り、疲れが出てきたあたりで 、旨い具合にあの女の子達の応援が待っていてくれた。黄色い声援のおかげでゴール500m位手前で最後の力を振り絞り前の選手を追い抜き第二位に上がり入賞する事が出来た 。このとき、最後に迫い抜いた相手( 彼は三位)が、なんとその数年前ボストンマラソンで優勝した東京松屋所属の田中茂樹選手であった。何といことだろう 。クロスカントリーレースとはいえ、こんな世界的に有名な選手にまさか勝てるなんて 、とても信じられない事で 、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
 またこんな強い 選手に勝てたことは 、その後の選手活動に力強い自信となって発揮することができた。最近競技会で中茂樹さんとお会いする機会が有るけど田中さんもあの時のことを覚えていて懐かしい昔話に華を咲かせている。
 表彰式では、上空からヘリコプターで来場された高松官妃殿下から直接大きな盾を戴いた。これもまた競技生活でたつた一度の経験で有り感激もひとしおであつた。
表彰式の後、たまたま取材に来ていた新聞記者 山梨時事新聞の駒井さん)が、日頃から面識が有ったこともあり、「あそこにいる、まるで高原に咲き匂うような彼女達を取材して貰えないか」と頼んでみた。これが彼女達の声援に対して自分のできる最高のサービスで有った。 翌日の朝刊に 、ススキや名も知らない 草花が咲き乱れている清里高原を飛び廻っている姿が写真人りで「 高原をかけ廻る乙女達」という見出しで 紙面を飾ってくれた。 またレース後、 林道を歩いてくると、Hokkaido-Cabin等が点在する木陰では、 浴衣に装つた、お嬢さんたちが野点を楽しんでいた。それに見とれながら通りかかった我々に「 お客になってくれませんか」とここでもまたお誘いを受けることになった。お茶の作法も味も知らない連中が正座して御馳走になった 。
日頃、女性にはとんと縁の無い我々が、何故かこの2日間だけは、青春の楽しい想い出を沢山与えてくれた高原で有つた。

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